第2話

「お疲れー。相生あいおいさん、岡田くん」


 過去の思い出に浸りそうになった時、爽やかな声でやって来たのは、総務部の佐野部長だった。35歳という若さで部長になった彼は、まさに爽やかで、なんでも高校球児だったらしく、常に元気で明るい。誰とでも仲良くできる系の佐野部長は、背も高く、色黒ではあるが清潔感溢れる容姿で、多分モテる。岡田くんの冷淡な態度にも嫌な顔ひとつせず、むしろ楽しんでいるように話しかけるので、いつか岡田くんがキレるのではないかと、内心ヒヤヒヤしている。


「佐野部長、お疲れ様です」

「お疲れ様。これ、差し入れ。2人で食べて」


 紙袋を手渡され中を覗くと、そこには『要冷蔵』のシールが貼られた白い箱が入っていた。なんだろう、と箱を取り出して開けて、わたしは叫んだ。


「hitotoseのチーズケーキじゃないですかっ!」


 行列必須のケーキ屋さん名物のチーズケーキが、2切れ互い違いに入れられていた。


「どうしたんですかこれ! 並んだんですか⁉」


 我を忘れて興奮するわたしに、佐野部長にものすごく優しい微笑みを向けられた。


「前に相生さんが食べたいって言ってたから」


 鼻血が出るかと思った。佐野部長は、人たらしなのだ。好きなスイーツの話になって、ちょろっと「hitotoseのチーズケーキ」と言っただけなのに。それを律儀に覚えていて、買ってくるなんて。しかも並んでまで!


 こんなにいい人がいるだろうか。いや、いないだろう。多分、佐野部長は絶滅危惧種に値する。


「ありがとうございます。仕事頑張ります」

「うん。頑張ってください」


 佐野部長はそう言って、わたしたちを見渡せる自席に着いた。学校で言う所の校長先生のような位置だ。


 時計を見ると、ちょうど午後3時だった。我が社は昼休憩とは別に午後3時から15分間、休憩がある。箱から慎重にひとつのチーズケーキを取り出し、岡田くんの分は箱ごと右隣の机に置いた。


「岡田くんもいただこう?」


 ペリペリとチーズケーキの周りに付いているセロハンを剥がすと、岡田くんはわたしの机に箱を押し戻した。


「朱莉さん、食べてください」

「え、ダメだよ。部長はわたしと岡田くんにって言ってくれたのに」

「いいです。朱莉さん、ここのチーズケーキ好きなんですよね」

「好きだけど……」


 一応、佐野部長に聞こえないように小声で話す。


「2つ、食べたくないですか?」


 無表情で甘い言葉みたいなことを言うものだから、少しドキッとした。横目で箱の中身を見る。まだ手元のチーズケーキも食べていないのに、2つ目のチーズケーキに目が行くなんて。どんだけ飢えてんだわたし。


 ダメダメ、と首を横に振った。


「2つも食べたらわたしだけ太る。これは君が食べて、わたしと平等に太るべき」


 ずい、と岡田くんの机の方に箱を押した。これ以上差し出してくるなら部長に報告しよう。センセー、違った。ブチョー、岡田くんが部長の差し入れを受け取ってくれませーん。


 しかし、岡田くんはフッと鼻から息を出して「わかりました」と頷いた。


「平等に太らせていただきます」

「そうだね。岡田くんはもう少し太った方がいいね」


 わたしのことはいいとして、岡田くんは見るからにヒョロヒョロだった。ちょっと強い風が吹けば飛ばされそうだ。


「……じゃあ、朱莉さんの分も俺が食べましょうか」

「どういう意味それセクハラじゃないの」

「冗談です」


 岡田くんは無表情で冗談などと言うので、本当かどうか疑わしい。でも、なんか、少し打ち解けたみたいな物言いに、わたしはちょっと嬉しくなった。なんだ、普通に喋るんじゃん。


「岡田くんは好きなスイーツとかないの?」

「別に特には」

「あ、そうですか……」


 シャッター閉じるの早いな。わたしはこれから徐々にこじ開けられるのか。


 チーズケーキはレアチーズで、フォークを入れた時の感触がないに等しいほどふわふわだった。口に入れれば一瞬で溶け、あまりの美味しさにほっぺたが痛くなる。んー幸せ。


 わたしは宣言通り、定時までしっかりと仕事をこなした。

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