第11話 広大な未知

 迷宮巣の開いた場所のうちいくつかは、かつて“繭”と呼ばれた不定形体があった場所に近い。

ㅤそれは“交感存在”を称する外宇宙由来の知性体による、次元を越えた侵略の鼻先。

ㅤ三十年近くに渡り、霊長の因子を活性させ、“シンギュラリティ・コモンズ”と呼ばれる異形、霊長のなり損ないを粗造しては、人類の文明をゆるやかに疲弊させつつ、地球全土の地熱と生命の持つ特殊なエネルギーを吸い上げ、母星の維持に扱おうとしたらしい。

ㅤそれを食い止めたのは、異能使い、切原水瀬の異能だった。

ㅤ辛くも地球圏から“交感存在”の干渉を『切り祓い』、その余波で各地に開かれた迷宮巣の向こうへと彼は消え――、あの人のいなくなった世界で、人類は滅びる一歩手前まで行った。


 緋々絲アカイイト、彼が乗っていた人形の名だ。

 もとは観測所の試作機として造られ、シンギュラリティ・コモンズや交感存在と対峙し、その役割をまっとうした、切原水瀬の愛機。

 あのひとの背中を追うのなら、いずれ同じものが必要だと、そう想っていたが――、


「――」


 カーミラ、せっかく金紅さんが用意してくれた再生機。

 私はこれに、いつになったら乗れるのだろう?

 水瀬さんが帰ってきた今、無理に深域へ繰り出す必要が、私にはなくなってしまったのではないか。


*


 紡くんが小学校へ行ったあと、リビングに日差しと風を入れながら、結が話し始める。


「あの子、どんどんあの頃のあなたに似てきてる」

「どういうところが?」

「何かするとき、自分の身を顧みないところとか。

 初めて話した頃の水瀬くん、金紅くんのためならなんだってやってたよね。そのためなら死んでもいいって、そう想ってたでしょう?」

「――、もともと自己肯定感が強い子じゃないんだよな。

 あの子に親がいない分は、俺たちで愛情を注いでいこうって、そう約束しただろう」

「だからこそ、あなたにずっと焦がれている。

 あの子、娘としてより、女としての自分を認めてほしい気負いがあるの。どうせ気づいててはぐらかしてるでしょう。

 ……いっそ、抱いてあげたら。今なら籍入れてないし、浮気にならないわよ」

「わりと本気で言ってるんだろうけど、やめてくれ。

 梛木ちゃんも、あの年になれば俺よりいい男なんてすぐ捕まえてきそうなものだけどな、いい男なら、好きな人を八年もほったらかしにできない」

「あら、そう?」

「つーか、そんなこと言ってる裏で、きみに同じことされてたら、たまったもんじゃないものな」

「つむくんのいるのに、火遊びしてらんないよ。

 今が一番楽しいの、私」

「なあ」


 水瀬はより核心を掘り下げようとしている。


「やっぱり梛木ちゃんの進路が、つむくんに齎す影響は大きいのかな」

「――、あなたと梛木ちゃんがそうであったように。

 血の繋がりより、触れ合った時間が大事でしょう、私たちのようなのは……つむくんも、優しい子だから、きっと」

「感化されるか、一緒に住んでる以上は。

 梛木ちゃんが急にあんなこと言いだしたのも、すると納得だ」

「なに、言われたの?」

「じきすぐにわかるよ。あの子は俺の猿真似程度で収まるような器じゃないんだから」


*


 昼下がりに返ってきた梛木と三人、ダイニングテーブルで家族会議が始まる。


「私はいまだって梛木ちゃんの親代わりなつもりだし、だけど同時につむくんの母親だから。……梛木ちゃんが探索者になることのリスクや影響が、あの子に降りかかることが怖い。

 でもそうでなければ、梛木ちゃんが探索者になることを容認できるかっていうと、そうでもないのよ。

 方丈くんから、上役に脅された件は聞いてる。

 名のある企業でそうなら、この先も似たようなことは起こりうるんでしょう?

 うまく切り抜けられる保証なんてないのに」

「――」


 梛木はそのあたり、言い返せることもないので閉口している。


「水瀬くんは帰ってきた。だったら無理に探索者になって、深域へ向かおうなんてしなくていい。

 お金を稼ぐのが目的ってわけでもないんでしょう?

 ……それでもなお、PCSへ入学してまで、ネストの向こう側へ行きたい理由があるなら、話して欲しい」

「――、ちょっと前までの私なら」


 水瀬さんを捜すことを言い訳に、ユイさんから逃げ続けたんだろう。だけど、私が迷宮巣の向こうへ踏み入る理由は、それだけでないこと――言葉にして、話さなくてはならない。


「水瀬さんを捜すことが、そのまま逃げ口上になってたんでしょうね。

 私が低域へ潜るようになったのは、たしかにお金のためじゃありません。……あそこで私の異能、未来視は使えなかった」

「それって」

「ええ、私は初めて、いつ来るかもわからない未来に怯えなくて済んだ、人生で初めて“今”を手に入れたんです。でもそれだけじゃない。

 ユイさんの言う通り、迷宮巣や異界に関わりたいだけなら、もっと安全なやり方はある、だけどあの大地で、広大なあの未知を味わうには、自分の足で踏み込まなきゃ意味がない。

 それならもう私は、派遣なんかで誰かに使われるんじゃなく、自分の意思で、ネストの向こう側を探索する力を身につけたい。

 ――結果そこに骨を埋めることになるとしても、自分の意思で、自分の選択を掴みたいんです。

 派遣会社の仕事は、はっきり言って劣悪でしたよ。

 PCSの就学には、『迷宮巣低域を半年にわたって就業探索した』っていう前提条件が要りますから。

 これだけ証明できればひとまずいいんですが、ろくな学歴もない私じゃ、半年も低域にいたってアリバイを作るの、ほかだと存外難しいんです。

 ひさめさんも私には、それができないとさえ見越して、ほかの進路を薦めてくれてたんだとは、わかってるんです、だけど……諦めたくない。向こう側に立ちたい、そこで感じられるすべてをもっと深く、自由に――そう想えてしまったから」


 少女の瞳は、確かな決意に燃えていた。

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