第9話 虐殺者の“夢”

「その身をもって、今日までに経験したこともあるだろう。

 危険ってのは何も、迷宮巣の向こう側にばかりあるわけじゃない。きみにとってネストの深域へ潜ってでもなしたいものが、今もあるならとかく」

「――」

「今朝がたの、企業側から理不尽な要求や現場責任を押し付けられることも含まれるんだ。一時の危機はしのげるかもしれない、だけど梛木ちゃんがなおもネストへ潜り続けるなら、それらとずっと隣りあわせだろう?

 俺やユイさんが心配しないわけないんだよ。

 そうまでしたい理由があるなら、話してほしい。

 そこで俺の身柄が言い訳になる段階は過ぎている、当たり前だが」

「!」


 梛木はぴくりと片眉を揺らした。


「……観測所にいた頃の俺は、金紅の夢を支えたかった。

 俺しきの命でそれが為せるなら、いくらでも捧げてやりたい気分はあったし、だから無茶だってできたよ。

『異能だけでも人形だけでもたどり着けない場所』へ、あいつとなら、それこそ導かれるように――けして、楽しいことばかりじゃなかったし、寧ろしんどいことのが多かった。あの頃はそれでも虚勢張ってたけどね、誰かを不安がらせないのも、大人の責任なんだよ。

 『冒険した』ってこの感覚が、母親になったいまのユイさんに伝わるかはわからないけど。

 梛木ちゃんが夢を持つなら、俺はそれを家族として全力で支えたい。

 だけどな。夢を見続けるには、必要なものがふたつある」

「なんでしょう」

「『体力』と『確信』、前者は文字通り、後者は大目標と自分の望むもののスケールや着地点にあたりがついていることだ。

 一度飛び込んだら、後戻りはできない。

 失敗だってあるだろう、痛い目を見とかないとわからないものも、実際世の中にはあるからな。程度ってものの加減も難しいが、我が身や命を脅かされないくらいの塩梅で、逃げ切るしかない。ひとの嫉妬や悪意に付け入られることも……そういうのを梛木ちゃんは慣れているから、あまり人間関係に心配はしてないけど、慣れ過ぎも鈍るからよくない。

 それともう最後に言っとくと――夢が叶っても叶うまいとも、ひとはそこで終わりじゃない。そこまで積みあがったものには、尾ひれのように責任がついてくる。

 たとえば金紅のような実業家なら、自らの造ったものが普及したとき、それが社会という総体にとって、善いものだったか否か。俺のほうは、昔から夢と言えるほど自分のことを考えてたわけじゃないけど、結果……ダメだな、背負いきれないものなんて、世間にはいくらでも生えるけど、論外だった」

「そんなこと――」


 迷宮巣が地球全土に顕現したあの時、水瀬がそうしなくては、人類はおろか、……それをぎりぎりの瀬戸際で防いだはずの彼が、当時を知っている世代にすらも、虐殺者だと謗りを受け続ける。

 こんなのは、世界の方がおかしいんだ。


「説教臭くなって、悪かった。方丈のことを笑えないな、俺も」

「いいえ、水瀬さんが言ってること、よくわかりますし。

 きっと私には、必要な薫陶なんだと想います」

「そう。相談なら、またいつでも乗るよ。

 話聞くだけなら、今のところいくらでも時間あるから」

「ありがとうございます……」


 ――そこで俺の身柄が言い訳になる段階は過ぎている、当たり前だが


 これまでも、ユイさんに深域へ行きたい理由を問われたら、そこに水瀬がいるからだと、梛木は口にしてきたわけだが、今となってはそれは逃げの口上にさえならない。

 だとしたら今なお私はなぜ、探索者という在り方を捨てきらないんだろう?

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