第8話 喫茶店にて

 喫茶店の席には、水瀬が先に待っていた。

 眼鏡などかけてそれとなく正体を誤魔化しているが、彼の顔を知るものは少ない。名前は知れても、当時の観測所や国は彼の顔が流出するのをずっと隠してきた。そのかいあって、八年後の彼が彼だと気づく人間は今のところ殆どいない。

 人類を救った英雄にして史上最多の虐殺者キルスコア、そんなやつが呑気に喫茶店にいると知ったら、迷宮巣の出現とそれに関連した混乱で生じた遺族らが、どんな反応をするかは察するに余りある。

 当時を生きた人間ですら、何度殺しても殺したりないはずだ。


「……よく大手を振って歩けてるね、バカ兄」

「また随分なご挨拶だな、方丈。

 梛木ちゃん、大変だったみたいだな」

「いえ、私は別に――大丈夫ですよ、水瀬さん」


 方丈が苦い顔をする。

 実兄が八年前と変わらぬ姿で、自身と実年齢が逆転しかかっているパラドクスに、頭が追いつかないでいた。


「ネストの向こうでは時間の流れが違うってマジだったんだね……僕がおじさんになったわけじゃないよけっして」

「お、そうだな」

「方丈おじさんは、さっきからずっとそんなことばっかりぶつぶつ言ってるんです、最近頭髪薄くありませんか?」

「やめてさしあげろ、随分忙しそうだな」

「うちは人手が足らないんだわ、連れてきてやったけど、これ以上は時間が押してるから、お暇させてもらう」


 すると水瀬が最後に訊いた。


「梓は元気?」「無事だって伝えたら喜ぶよ、きっと」

「……ありがとう」

「――」


 水瀬は終始物腰の穏やかなものだが、かたや梛木は用が済んだなら、方丈とさほど長くいたくもない。


「さっさと行けって目をされてるなぁ、あと任せたよ」

「お仕事頑張って」

「頑張ってね、おじさん」


 また何度目かのとどめを刺されて、方丈は退散する。


「梛木ちゃん……あいつにやたらあたり強くない?」

「水瀬さんこそ、いつぞやされたのに、甘すぎませんか?」

「大人になるってのはね、ある程度は妥協なんだよ」


 薄毛に悩まされてるのは不覚にも噴きそうになったが、いざ自分が同じ立場になり得たら、そのとき擦り倒されるのがいやなので控える水瀬であった。

 まぁ、水瀬が薄毛に悩まされることはしばらくないのだが。


「ユイさんとはうまくやってる?」

「聞いてこいって、頼まれました?」

「様子を見ろとは言われたけど、俺もこの八年で梛木ちゃんに何があったか、ちゃんと知りたいな」

「!」


 あの頃の優しくてかっこいい、あの人の目……私はどうしようもなくこれに弱いのだ。



「――というわけで、臨検を利用して、クソ上司の鼻っ柱へし折ってやりました」

「するといつもの予知、ありき?」

「それでタイミングを合わせたのは事実ですけど、先におじさんに相談入れたんです、なんか抜き打ちに臨検できる上手いカードないかって。念のためと、探索者や社員の証言は前からかき集めてましたから。

 声を上げるのは、たまたま私だっただけですよ」

「今回はことなきを得てるが、あまり危ない橋を渡るものじゃないぞ。それ、本当に備品の賠償をおっ被らされる一歩手前だったじゃないか」

「ごめんなさい」

「俺も人のこと言えたもんじゃないが……成長したな、そこまでやれるとは驚いたよ。俺では絶対に、思いつかない」

「えへへへ……」

「探索者になりたいのか」


 梛木は、俯く。


「ユイさんには、反対されてますけど。

 私が自分で望んですること、ほかのことで言われたことなかったのに、どうしてあんなかたくなになるんだか」

「そうか……金紅からもすこし話を聞いたけど、ネストのことは俺も学習と認識がまだ擦りあってないんだよな。これから梛木ちゃん自身に教わることも多いかもしれない」

「水瀬さんならあっという間に私なんて追い抜きますよ」

「だと、いいがな」


 水瀬は苦笑する。


「自分も向こう側にいたけど――帰ってきたら、こちらのほうが異世界のように様変わっているんだ、学ぶことはたくさんある」

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