第5話 八年 / 三ヶ月

 二十代後半に差し掛かり妻帯子持ちの実業家、そんな金紅を丸くなったと彼が揶揄していると、逆にお前は左の耳にアクセを生やした以外は変わってないと言い返されている。


「いや、アクセじゃなくてだな。

 ネスト――だっけ、ともかく向こうの世界では、バイオラ結晶だとか粒子とか呼ばれてる代物で……気づいたら生えてた。

 寄生、つうほうが正しいかもしれないが」


 左の耳介に三つ生えた、粒爪状の一見アメジストのようにも視える輝石。こちらの世界に微量持ち込んだところで、曰く具体的な用途があるではないという。ただし向こうの世界でそれは、霊性を司るまじない石との伝承があるらしい。


「勾留が長引いたのは、これのせいでもある。

 ま、怪しいことこの上ないよなぁ、今の恰好は、やっぱちと悪目立つ?」


 それ以外はすっかり高校生だった当時のまま。当人曰く、自身からすれば迷宮巣ができたあのときから、三か月程度が経過したという認識だそうだ。


「するとすっかりウラシマなにがしの気分だな。

 ……藍乃さんには、子どもがいるって言うし」

「「――」」


 金紅はそれとなく話していたが、その話題を自ら切り出してしんみりする水瀬を前に、流石に下手なことを言えない。


「あはは、二人が同情してくれるのは分かるよ。すまない。

 俺が三か月しか経ってないつもりでも、向こうは八年も無責任にほったらかされてたらそりゃ愛想尽きて、ほかの男だって作るよな、待てるわけが」

「いやな、水瀬よ……?」

「だってその子いま六歳でしょ。

 するとユイさん大学進学してから、途中休学して出産にあててたみたいだけど。

 俺がいなくなった時期から出生月逆算してみたけど、普通に考えて、そういうことじゃん。ほかに何があるんだよ」

「え――あ」


 梛木は最初、水瀬が何を言っているのかよくわからないでいたが、すぐに思い至る。確かに妙だ、あの少年、藍乃紡は目元鼻筋など水瀬に瓜二つだというのに、それだと水瀬の失踪から妊娠出産までがいささか


「水瀬、その話ストップだ、梛木ちゃんも」

「「???」」

「会ったらちゃんと話そうと想ってたが――」


 八年前、当時は“観測所”という施設があった。

 水瀬と金紅はそこへ所属していた同年代の青年たちで、梛木に至っては十歳にも満たなかった。


「まさかユイさんとお前が」

「ないから安心しろ。昔から相変わらず折り合い悪いし――脱線はさておき、あれから半年して観測所を引き払った際、お前個人についての資料は、特定のデジタルデータを除いて廃棄処分されるはずだった。ただその際、義母さん曰く、フィジカルサンプルの一部が紛失したらしい。

 でさ、お前がいなくなってから藍乃さん、あの頃は臨時スタッフに雇ってたんだよ……義母さんは明言しなかったけど」

「――」


 フィジカルサンプルと言われ、水瀬が真っ先に想いだすのは、


「輸血用にストックされた俺の複製造血、あるいは……そんな、ありえんだろ、ほんとだとしてもホラーだよ?」


 複製造血、あるいは解析用の冷凍精子サンプルだ。

 それを観測所解体のどさくさにまぎれて、彼女が持ち出した。金紅が示唆しているのは、そういうことである。


「DNA解析もこっそりかけたが、あれはお前の子だよ」

「あるいは染色体のパターンからして、俺の近親者で生きてるの、方丈ほたけくんか?」


 方丈とは水瀬の実弟である。故あってずっと疎遠だが。


「……いや、まず間違いなくお前の子だよ」

「ちょっと待って、仮に俺が認知してもさ!

 それって俺いま詳しくない元同級生たちに『在学中にユイさんぶち犯して孕ませた鬼畜オス猿』判定されてないかそれッ!?」

「強く、生きろよ」

「水瀬さん……?」


 水瀬はクルーザーに揺られながら、頭を抱える。

 避妊はちゃんとするって約束したのにそんな搦め手使うなんて聞いてない、だのとぶつくさ嘆いているが、さすがに金紅と梛木はいまだけは聞き流した。

 梛木自身、言われるまで出産スケジュールの矛盾を気にもとめなかったわけで。

 本人の責任でもないのに、自分の子供が六年かけて育っていたのだから、水瀬は完全に被害者である。

 とはいえ、紡くんはすでに生きている。父親不在で。


「すまないふたりとも、自分のことばっかりで」

「いや、無理ないだろう。……俺だってそんなとんだ暴挙をやらかしてるとは、当時夢にも想わなかったし。

 思い詰めた子ってのは、すごいよねぇ」

「そしたら水瀬さん、いっそ別れないんですか?

 私は普通にドン引きなんですけど、ユイさんに」

「――、あのひとをそこまで思い詰めさせたのが、俺のせいだったとしても。まずは話を聞かないとな」


 水瀬の目にそれ以上の迷いは見受けず、梛木はその選択を切り出す、自分の浅ましさが少し嫌になった。


(それだけのことをやっても、水瀬さんはやっぱりユイさんを棄てられない――わかってるくせに。

 でもそっか、水瀬さんの子ども産むだけなら、できるんだ)


 ユイさんのしたたかさには、つくづく驚かされる。

 それを認めるべきでないが、女としてはいささか羨ましい気がしないでもない。

 異能なんて持たずとも、なんだかんだと昔から目端の利くところがあったからな、あのひと。狙った獲物は逃がさないってことか、大した狩猟本能である。

 水瀬は、小舟の外の波間に視線を落とす。


「そっか……忘れられてたわけじゃ、ないんだな」

「当たり前です、誰が――」


 梛木はそう呟きかけて、気づく。

 あの独り言は梛木ではなく、結局はユイさんに向いた慈愛を滲ませている。


「私だって――ッ」

「梛木ちゃん?」

「私だって、大人になったんですよ?

 あの頃の水瀬さんやユイさんたちと、もう変わらないじゃないですか!

 なんでそんなに……私だって、ずっと待ってたんです!」


 秘めていた歳月の想いが、胸の奥から溢れかえって、止まらなかった。梛木は水瀬に抱きついて、彼はその頭を静かに撫でる。


「そうだな。ありがとう、ごめんな。

 ちゃんとをやってやれなくて」


 ……この人はいつまで、私を子ども扱いし続けるんだろう?

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