第3話 出来過ぎな少女
彼女が市街地、人気のない道へ向かうのを追う青年。
「待てよ、お前っ」
「私、いま急いでるの。今日は寄るところがあるから」
「――あんた、名前は?」
「私は『何者でもない』し、あなたも『名乗らない』。
それで手打ちにしておけば。
好奇心は猫を殺すっつうでしょう?」
「じゃあ……これだけ、聞かせてくれ。
どうしてあの場にすぐ現れた?
比較的規模のある崩落だったのに、何事もなかったよう、俺なんかが声を上げるよりはやくに駆けつけた。
その後も殆ど迷わず、あいつの患部を見立てて止血した。
まるであそこが崩落するのを知っていたみたいだ、あんたの行動は出来過ぎている」
「あなたたちが何に狙われてるかは興味ないけど、だったらこうは考えない?
私の裏には、あなたたちに危害を及ぼした何者かがかかわっているかもしれず、そいつはあなたたちがどこまで痛い目を見て音を上げるか、いまも結果を心待ちに推し量っている、とか」
「――」
「やっぱり狙われる心当たりはあるのね」
「待て、今のって」
「やめなさい、
それ以上、こちらに近づかないで」
梛木は哀しげにはにかむと、後ずさる。
「私はあなたたちの危険なんて、知ったことじゃないのよ。
もう二度と会うこともないでしょう」
彼女はそう言い捨てて、姿を晦ませた。
「『狙われる心当たり』――俺を試したのか、あの女?」
口ぶりからして、あの少女はすくなくとも、脈道を崩落させた当事者ではない。ああいう言い回しになったなら、それは状況を俯瞰する観測者の言葉だろう。
それがわかったところで、あの手際の良さは、漆からすれば不可解以外の何物でもなく。
「ああ、くそッ」
少年は自分の頭を掻きむしる。
*
『異能は人を呪うもの、異能は人を救わない』
それがあのひとの口癖だった。
超常は人を狂わせる、それがどのような運用、かりに善性から出たものだろうと、世界の摂理を歪めれば、その不自然はどこかしらにしわ寄せを生じる。
『使うなとは言わないけど、この力は全能じゃない。
それを弁えていないと、いつか自分の無力さをいたずらに呪う羽目になる。……まぁきみがきみらしくいるために、それが必要なら、そのときはきっと迷わなくていい。梛木ちゃんは梛木ちゃんだ』
今では随分、あの言葉が身に染みていた。
私の異能は大したものじゃない、ただ極直近の未来を視て、そこから自分にとってよりマシなものを選べる、それだけの“極近未来の視認”。
そんな力があったところで、八年前のあのひとを、私は連れ戻せなかった。
私にとっての救いは、この異能が視る未来が、ひとつに定まったものでなかったこと。
所謂ラプラスの悪魔的なものであったなら、私はもっと毎日を悲観して過ごしたろうから。
それでも避けられない――たとえばさっきの崩落なんて、それが起きた原因が人為的なものやトリックがあるなら、それに気づけなければ防ぎようもなく、私が観測するのは短期的な予知に過ぎないので、そのような恣意的な悪意にはめっぽう弱い。
視たくないものを視ないということもできず、主観に依拠した力である以上、これを制御することも極めて難しい。正直私の意思にかかわらず発動するものなので、いつもその場しのぎな対処が関の山となる。
「そもそも事故――ないし、あの崩落が起こらないようにできない時点で、恨まれはしても、誇れることじゃないんだよね」
異能とそれを通じてできることは、結果いつも中途半端で煮え切らない結末が殆ど。
「屑だなぁ、私……」
少年の名乗る未来を先読みし、こちらのカードとした。
こちらとてやばいやつを寄せ付けない、そういう処世術があるのだ、なまじろくでもない未来を見せられてばかりなら、それで自衛しないわけがない。
(あの漆ってひと、私に危害を加えることはないっぽいけど、なんか妙にイキった態度で気に食わないんだよなぁ……自分が世界で一番頭がいいとか、わりと本気で想ってそうというか。
顔は悪くないけど――水瀬さんほどじゃないな)
今日は湾内の人工島、自立学園都市区『シンビオシス・ポート』の一角へ、ひさめの養子である
「急ぎと聞いてまいりましたよ?」
「やぁ梛木ちゃん、さっそく報告がふたつある。
手短になってしまうけど、まずは――頼まれていたものだ」
その倉庫は格納庫になっており、梛木の案内された場所には
「ようやく完成した。
ㅤ再生機だよ、型番は当時のものをそのまま使っておくけれど、まぎれもなくきみの機体だ」
「金紅さん、いいんですか?
ㅤ私がこれに乗って――
ㅤかつて水瀬さんが乗って、そのまま姿を眩ました。
ㅤあれとまったくの同型。当時は試作機の意味合いもあっての緋色がなかば水瀬のパーソナルカラーだったが、今回は落ち着いた灰色だ。
ㅤ全高八メートルほどの流線的な人型で、コクピットは背部に備わっている。
ㅤただし顔は異形のそれ。兎の耳のように二本生えた特徴的な
「勿論、だけど以前のものとは違う。せっかくならきみだけの名前をくれてやれ」
「じゃあ『カーミラ』で」
「お、おう。……そういうお年頃かい?」
「ずっと決めてたんです、厨二でしたかね」
ㅤカーミラ、蘇生した女吸血鬼という伝承の元ネタは、彼女自身かるく聞きかじっただけだが、相応の想い入れがこもっている。
ㅤそれは彼女自身の出自にまつわるところだからだ。
「これでもっと、迷宮巣の向こうを調べやすくなりますね!
ㅤこれさえあれば、水瀬さんにだって、会いに行ける」
「やっぱり、きみの目的はそれだよな……ところで、なんだが。次が本題になる」
「?」
ㅤ自称天才だとか昔から自身を公言して憚らないこのひとが、珍しく歯切れの悪そうにしている。
「なんというか、とんだ肩透かしを喰らうようだが――」
「なんです?」
「帰ってきたんだよ、水瀬が」
「――」
その意味が頭の芯に染みてくれば、梛木は言葉を喪うのだった。
-『緋々絲 カーミラ』
ㅤ時雨梛木の専用機。かつて緋々絲を運用していた“繭状不定形体観測所”の職員でもあった天縫金紅が手配したパワードスーツ。
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