第28話
午後は体育だった。体育館をネットで半分に仕切って、男女別れての球技。運動不足にとっては、なにより辛いものである。
「吉村を潰せ‼」
「あいつにボールを回させるな」
白熱したバスケットボール。男子たちは恐ろしく殺気立っている。教室で小耳にはさんだ程度だが、女子へのアピールらしい。学生らしくて、青春を感じる。眩しすぎて目がつぶれそうだ。
ちなみに吉村とは、バスケ部のエース。らしい。詳しくは知らないが、どうやら、かなりモテていて、こういう時には目の敵にされているようだ。ぼーっとしながら、俺は重々しいため息を吐く。
バスケは嫌いだ。誰かと競い合うのはそこまで好きじゃないし、配られたビブスだって微妙に臭い。そもそも今だって、ゴール下で守備を任されたはいいものの、やることはない。
ボールは基本的に中央辺りにあって、吉村とかいうやつのおかげで白熱した試合をしているし、ただ棒立ちになっているだけなのだ。
あまりの暇さから女子のコートの方を見ていると、文乃さんが丁度ゴールを決めた所だった。
「すごいな」
ぽつりと呟く。楽しそうに運動する文乃さんを見ていると、どこか微笑ましい気分になる。
「水垣‼」
何処からか聞こえてきた叫び声で我に返った直後、額に凄まじい衝撃が走る。どうやら飛んできたボールが直撃してしまったようだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
「大丈夫かー?」
俺はどうにかジェスチャーで大丈夫だと伝えると、再開した試合は再び白熱し始める。正直言って大丈夫ではないのだが、試合に集中していなかった自分が悪いのだ。
額をさすりながら、俺はふらふらと立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
授業後、体育館の傍にある水道で額を冷やしていると、聞き慣れた声が聞こえる。振り返れば、心配そうに見つめる文乃さんがいた。
「さっきボールぶつけてしまっていましたよね」
「……見ていたのか」
恥ずかしい。あんな情けないところを見られているとは思わなかった。羞恥から逃げ出したかったが、何とか堪えて濡れた髪をかき上げる。
「授業始まるぞ」
「……分かっています、けど、その……」
何故か動揺する文乃さんに、俺は思わず首を傾げる。
「どうした?」
「何でもないです。それと、水垣君はずるいのでその仕草はやめてください」
「……何の話だ?」
「なんでもです」
そう言ってタオルを差し出してくれるので、俺はありがたくお借りした。
「っ……。髪型も、いつも通りにしてください」
髪を拭き終えると、文乃さんは何故か顔を赤くして、背伸びをしながら髪をわしゃわしゃとする。
「……なんだ」
「なんでもです‼」
有無を言わさぬ彼女の行動に、俺は何もすることが出来なかった。
◇ ◇ ◇
「水垣君、ぶつけたところ、大丈夫ですか?」
「ああ、少しだけこぶになっているだけだ」
放課後、いつもの図書室で俺らは隣で座り合う。
「痛そう……」
彼女は恐る恐る俺の額に触れる。それはまるで、労わるように。壊れ物に触るように。優しく。
「……もう、大丈夫だ」
恥ずかしさから顔を背けるが、彼女はそのまま俺の髪にゆっくりと触れる。
「……髪、サラサラですね」
「……そう、か」
緊張と羞恥で心臓が張り裂けそうだった。頭だけでなく、身体中が沸騰しそうな勢いで熱い。もう、どうにかなってしまいそうだった。
「……もう、いいだろう」
「あっ、すいません」
俺が顔をふいっと背ければ、彼女は名残惜しそうに手を放す。彼女の手が離れた後も、身体には甘い痺れが残響していた。
「勘違いする奴が出る。俺も男だ。今後は気を付けろ」
「……勘違いじゃないかもしれませんよ?」
「あまりからかうな」
「ふふっ、善処します」
悪戯っぽく笑う彼女に、俺は奥歯のむず痒さを必死に堪える。
最近の文乃さんは、回帰前からは想像すら出来ない言動が多くて、どうしていいのか分からない事が多い。分からないことだらけだ。
「そう言えば水垣君、今朝は早かったんですね」
「ん? ああ……今朝は早く目覚めてだな?」
「そうだったんですね」
言えるはずがない。文乃さんのことを考えていたら、ろくに眠れなかっただなんて。
直後、文乃さんのスマホが鳴った。彼女は画面をちらりと見ると、その表情に影が落ちる。
「どうした?」
「……いえ、今日はもう帰りますね」
少し長い間の後、彼女はそう言って立ち上がる。まるで、文乃さんが文乃さんでないような錯覚を覚えながら、俺は彼女の後ろ姿を見送る。
あの暗い表情の文乃さんに、俺は何も言う事が出来なかった。
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