第26話

「はぁ、はぁ、はぁ……」


胸が痛い。色んな意味で、胸が痛い。こんなにも全力で走ったのはいつ振りだろう。


「あ、綾ちゃん」


下駄箱まで全力疾走したところで、呼び止められて私は足に急ブレーキをかける。

顔を上げてみれば、そこには愛莉ちゃんがいた。愛莉ちゃんは、少し驚いた顔でこちらを見つめる。


「どうしたの? そんなに大急ぎで」

「はぁ、はぁ、……ちょっと、色々あって……」


肺に大きく空気を吸い込んで、どうにか息を整える。


「愛莉ちゃん……どうしよう。わたし、わたし……」

「分かったから一旦落ち着いて? それから話そう?」


思い出すだけで、今すぐ悶えてしまいたい。最近は彼と話すだけで、この胸の内から溢れ出る思いが止まらない。だから、あんな事を言ってしまった。そのくせして、居ても経っても居られなくて、逃げ出してしまった。


なんであんな事を言ってしまったのだろう。分からない。分からないけれど、不思議と後悔はない。むしろ、どこか胸のつかえが取れた気がする。


「愛莉ちゃん。私、告白、みたいなことをしてしまいました……」

「……え? ごめん、ちょっと待って。え? 本当に?」


私は愛莉ちゃんに事のいきさつを話す。図書室に行ったら、彼が眠っていた事。そんな彼が愛おしくて、誘惑に負けて頬に触れた事。そしたら寝ぼけた水垣君に、逆に触られたこと。それから、告白まがいの事まで。勢いに任せて、全てを話した。

すると彼女は、その場で膝から崩れ落ちる。


「何故その距離間でまだ付き合っていない……」

「……え?」

「ていうか、なんで逃げちゃったの⁉ 絶対にいい返事もらえたのに」

「あの時は頭が真っ白になっちゃって……。それに、いい返事貰えるかなんて、分かんないですもん」

「それでダメだったら、水垣クン側に問題があると思うなぁ、私は」


愛莉ちゃんはそう言って、スクッと立ち上がる。


「まあ、次会った時は逃げちゃだめだよ。と言うか、今から戻って返事聞いてもいいんじゃない?」

「……まともに顔を見れる気がしません」

「ま、今の綾ちゃんじゃ、そうか。顔、真っ赤だし」


私は猛省しながら、下駄箱から靴を取り出す。明日こそはちゃんと話そう。そう固く決心しながら、私は帰路に着いた。


  ◇ ◇ ◇


翌日、いつもより早い時間に通学路。俺は一人、考えていた。それはもちろん、昨日の文乃さんの言動についてだ。


『……だから、やっているんです』


あそこまで言われれば、いくら俺でもうっすらと気が付く。

きっと文乃さんは、俺に対して好意を持っている。

今すぐにでも飛びつきたい幸福。でも、迷いがあった。


俺は本当に、その気持ちに応えられるのだろうか。俺は、過去に囚われているだけで、今の文乃さんを見れていないのではないだろうか。そもそもな話、好意と言っても、もしかしたら恋愛的な好きではない可能性すらある。


不安。ただ、それだけが身体を巡る。


いつの間にか到着していた学校。人気のない廊下を歩いて、誰も居ない教室へと足を運ぶ。席に着いて、机に突っ伏すと顔を少し動かすと、窓の方を見る。


『ねぇ、水垣君。心って、どんな形をしているんだろうね』


かつての文乃さんの声が聞こえた気がした。そんなはずないって分かっているのに、その声にそっと耳を澄ます。


『裏表があるなんて言うくらいだから、結構多面的なのかな』


 分からないよ、俺には。在り方すら揺らぐんだ。形なんて、想像すら出来ない。


『想像してみて。水垣君の心はどうしたいの?』


 俺は、どうしたいのだろうか。分かっている。答えなんて出ているようなものなんだ。でも、それを認めてしまいたくない。


『でも、答えは出さなきゃいけないんでしょう?』


ああ、そうだ。答えは出さなければならない。でも、怖いんだよ。万が一、億が一にでも違ったら。そう考えるだけで、胸が辛く悲鳴を上げる。

どれだけそれっぽい理由を並べても、俺はただ怖いんだ。


『なら、もう答えは決まっているんじゃない?』


ああそうだな。でも、今だけはこの温度感に浸っていたい。そう思いながら、俺は静かに目を閉じた

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