第22話
「もういい時間ですね」
「そうだな」
夕日が沈み始めた頃、そんな言葉を交わす。
お化け屋敷が終わった後、いくつかアトラクションを回ったが、どれも楽しいものだった。ゴーカート、メリーゴーランド、迷路。それら全てが、人生で間違いなく一番と呼べるものだった。
つくづく俺は単純な人間だと思う。文乃さんと一緒なら、何もない場所ですら楽しく感じてしまいそうな、そんな自分が一周回って怖い。
「最後に何か乗っていくか?」
「そうですね……。じゃあ、あれに乗ってみたいです」
そう言って指さしたのは、観覧車だった。
「テレビとかで見たことがあって、気になっていたんです」
「なら、せっかくだ。乗っていくか」
俺たちは列に並ぶ。きっと時間も時間という事もあったのだろう。人はほとんどおらず、すぐに乗ることが出来た。
観覧車に乗ると、景色がゆっくりと上がっていく。街並みが、俺たちを見上げる。
「……綺麗ですね」
上っていく観覧車の中で、文乃さんがぽつりと呟いた。
彼女の頬が、夕日に照らされて茜色に染まる。桜色に染められた唇が、微かに弧を描く。
「ああ、綺麗だな」
俺はそう言って、観覧車の外に視線を向けた。眼前に広がる街並みが、彼女と同じく夕日色に染められている。
ふと視線を感じて文乃さんの方を見ると、彼女と視線が交わる。彼女はふふっと笑うと、小さく口を開いた。
「なんだか、夕日にあてられて、リンゴみたいですね」
「それは文乃さんも、だろう?」
そう言うと、互いに微かな笑みが零れる。この穏やかな時間が、どうにも心地いい。
気が付けば、観覧車は頂上付近まで上がっていた。
「今日は本当にありがとうございました」
「いや、それはこちらのセリフだ。俺も久しぶりに楽しめた。ありがとう」
「……隣、いいですか?」
「……ああ」
文乃さんは隣に腰を下ろすと、西日に目を細める。少しだけ、夏の匂いがした。
俺は彼女に手を伸ばすと、そっと頭を撫でる。すると、文乃さんは気持ちよさそうに目を閉じて、そっと俺の肩に身を寄せた。
妹も、こうして頭を撫でられるのが好きだったなと思い出す。今や懐かしい記憶だ。
夕日がゆっくりと沈んでいく。
それに呼応するように、夜が歩きはじめる。
満足感に満ちた今日は、確かな思い出となって刻まれていった。
◇ ◇ ◇
「ここまでで大丈夫です」
「分かった。気を付けて帰れ」
彼はそう言って、元来た道を歩きはじめる。その後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、私も帰り道へと足を進める。
「ただいま」
誰も居ない家にそう告げると、服が皴になるのも構わず、すぐさまベッドにダイブする。
今日は良い一日だった。水垣君と沢山お話して、沢山の新しい顔を知れた。
「かっこよかったな……」
そう呟いたところで、不意にスマホが鳴る。私はビクリとしながら画面を見ると、愛莉ちゃんからだった。
愛莉:綾ちゃん? 今大丈夫?
文乃:はい、今帰ったところですから
私は頬が熱くなるのを感じながら、スマホをぎゅっと握る。
文乃:愛莉ちゃん。私、水垣君が好きみたいです。
愛莉:それはもう知ってるよ。ラブリーな波動を常に感じてたから。
私は持っていたスマホをずるっと落としそうになる。そんなに分かりやすかっただろうか。
愛莉:ま、自覚を持つのは良い事だと思うよ。
愛莉:それより、一体いつからあんなに距離縮めたの⁉ もう付き合ってる⁇ 詳しく聞かせてよー
可愛らしい猫のスタンプと共に、矢継ぎ早に繰り出される質問の嵐に、私は思わず苦笑する。
文乃:図書委員の仕事を手伝ってもらって、そこからです。お付き合いはしていませんよ。
愛莉:えー、あんなのもう付き合ってるようなもんじゃん。告白しちゃえばいいのに。
愛莉:脈ありだと思うけど。
文乃:どうでしょう。水垣君は優しいですから。そんなんじゃないかもしれません。
そう、彼は優しい。だからこそ、もし違った時が怖い。彼からほんの微塵でも私への好意が見えていれば、私だってこんなに悩まなかった。
彼からは、他の人からは見える下心が少しも無い。いつも私を心配してくれて、その瞳からは温かい何かを感じる。そんな人は愛莉ちゃん以外居なかったので、少し戸惑ってしまう。
愛莉:綾ちゃんがそう言うならいいけどさ。
愛莉:せめて、振り向かせる努力は怠らないようにした方がいいぜ
私はスタンプを送信すると、近くにあったぬいぐるみを抱き寄せる。
振り向かせる努力。それは、愛莉ちゃんが再三言っている事だった。今の愛莉ちゃんからは想像できないけれど、昔の彼女は奥手がゆえに想いが実らなかったことがある。きっと、私には同じ経験をして欲しくはないのだろう。
「振り向かせる努力かあ……」
考えてはみるが、いい案は思いつかない。確かに水垣君はカッコいい。今日の装いなんて、特にだった。彼のカッコよさに他の人が気付けば、きっといろんな人が寄って来るだろう。
それはなんだか、想像するだけで嫌だった。
だから、先んじて手を打っておきたい気持ちはある。でも、彼はどこか鈍い節があるから、何をどうすれば伝わるかが分からない。
そうやって考えているうちに、だんだんと心がポカポカした。私は今日の彼の姿を思い浮かべながら、頬を緩ませて一人ニヤニヤとしてしまう。
頬が熱い。彼の事を考えるといつもこうだ。
胸が温かくなって、たまに複雑な気持ちになったりして、頬に熱がこもる。
それは嫌って訳じゃなくて、むしろ気持ちがいい。
「早く学校、始まらないかなぁ……」
溢した言葉が、胸の中で徐々にぬくもりに変わっていく。
どんどん緩んでいく頬の緩みは、しばらく治る気配はなかった。
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