第21話

「この後、どこに行きましょうか」


食後、行く当てもなく園内をぶらぶらと歩きながら、文乃さんがそう言う。


「そうだな……」


俺は辺りを見渡しながら、良さげなアトラクションを探す。食後なので絶叫系だけはやめておきたいところだ。最悪、乗っている最中にゲロの雨を降らしかねない。


「あ、あそことかどうだ?」


俺の指を差した方向を見ると、文乃さんは一瞬だけ表情をこわばらせる。


「み、水垣君? 本当にあそこに行くんですか?」

「ダメだったか?」

「いえ、そう言う訳ではないんですけど……その、なんというか……」

「?」


彼女はそう言って、言葉を濁す。俺は前方に見えるお化け屋敷を見ながら、なるほどと理解する。


「天下の文乃さんにも、ダメなものはあったんだな」

「私だって苦手なものくらいありますもん……」


そう言って頬を膨らませる文乃さんが愛おしくて、俺は思わず笑みが零れる。そんな俺を見て、彼女は不服そうな顔で俺の手を引っ張る。


「別に、苦手ってだけで行けますもん。ほら、行きましょう」

「無理はしなくてもいいんだぞ」

「無理なんかしてないです」


文乃さんはそう言って、お化け屋敷の列に並ぶ。どうやら、ここまで来たらもう何を言っても無駄らしい。


「途中でリタイアもできるらしいな」

「そうなんですね」

「早めにそうするのも一つの手ではあるな」

「…………」


文乃さんは抗議の意味なのかにぎにぎと手を握るので、俺も同じように握り返してみれば、くすぐったかったのか、彼女はクスクスと笑う。すると、文乃さんはお返しと言わんばかりに指を絡ませてくるので、俺はそのお返しを甘んじて受け入れる。

細く滑らかな指が表皮を這って、くすぐったさと共に甘い痺れが身体を駆ける。俺は仕返しとばかりに文乃さんの指の腹をなぞってみると、隣から微かな笑い声が聞こえてきた。


そんな事をしばらくの間無言で続けていると、とうとう俺たちの順番がやって来る。握られた手から僅かな震えが伝わって来るので、俺は勇気づけるようにぎゅっと手を握った。


「行こうか」

「……はい」


垂れ下がる暖簾をくぐると、すぐに暗みが視界を覆う。すぐに腕を引っ張られる感覚があったので見てみれば、怯えた顔の文乃さんが抱き着く様にしてそこにいた。


俺は彼女の歩幅に合わせながら、ゆっくりと進む。途中、定番な白装束のお化け役や、気味の悪い物音などがあったが、その度に文乃さんはビクビクと愛らしい姿を披露していたので、怖いどころではなかった。


「水垣君、これいつ終わるんですか……?」

「そろそろだとは思うから安心しろ」

「そうですか……」


腕から確かな震えが伝わる。本当に苦手なのだと、そう思った次の瞬間、曲がり角からお化け役の演者が唐突に現れた。


文乃さんに気を取られていたからだろう。あまりに突然だったので、流石の俺も驚いてビクリと肩を揺らす。と、その時、不意に先ほどまで感じていた腕のぬくもりが消える。

視線を隣に移してみれば、そこに文乃さんの姿はなく、視界の少し下に彼女は居た。どうやら腰を抜かしてしまったらしく、顔は青ざめており、今にも倒れそうだった。

やり過ぎたと思っているのか、戸惑う演者、今にも卒倒しそうな文乃さんという何とも言えない空間で、俺は少し躊躇しながらも彼女を抱きかかえる。


文乃さんが立ち上がれるまで待つのもいいが、恐らく卒倒するのが先だと判断しての事だった。


近くにあるリタイア用の扉をくぐると、外の明るさで一瞬視界が白む。眩しさで目を細めながら、俺は近くにあるベンチまで向かい、文乃さんを座らせた。

暗闇で気が付かなかったが、彼女の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。相当怖かったのだろう。俺は隣に座ると、優しく頭を撫でる。


「もう大丈夫だ。もう、安全だ」

「……はい」


声が震えている。俺は安心させる為、ただそうやって寄り添う。思えば、妹も怖がりだった。そのくせ好奇心旺盛だから、よく怖い番組を見てはこうしていた気がする。


少し隣を見てみれば、いつの間にか文乃さんの表情は和らいでいた。目は微睡むようにとろんとしていて、気持ちよさそうに目を細めている。


長い睫毛が日に当たって、宝石を散りばめたみたいに輝く。指通りの良い髪が、指の腹を撫でる。風に運ばれた彼女の香りが、仄かに鼻をくすぐった。


とくん、とくんと、心臓が鼓動した。温かな感情が、心のコップから溢れ出る。

この時間が永遠に続けばいいと思った。この穏やかで幸せなひと時を、ずっと。

その時、背後の草むらから、がさりと何かが動く音がした。何の気なしに視線を向けて見れば、そこには見覚えのある一人の少女がじっとこちらを見ていた。


「……どうしたんですか?」


撫でる手を止めたからだろう。文乃さんは名残惜しそうな瞳でこちらを見つめる。が、俺の視線に気が付いたのか、彼女も背後の草むらに視線を向け、石のように固まった。


「ありゃ、バレちゃったか」


少女はそう言って、草むらから立ち上がり、こちらへと歩き出した。


「あ、愛莉ちゃん……? 何でここに……」

「んー? 私は友達と来てたんだけど、なんか見覚えある姿が見えたもので、つい


ね。ところで、綾ちゃん。そちらの男の子は?」

文乃さんは目を白黒させながら、俺と愛莉と呼ばれた少女を交互に見る。


「水垣誠だ。初めまして、ではないよな」

「え……、君、水垣クンだったの⁉」


彼女は大きく驚いた表情で俺を頭のてっぺんから足の先までじっくりと見た。


「確かに、言われてみればそんな気はしなくもないけど……。よくもまあ、ここまで……。ああ、不躾にごめんね。私は深井愛莉。気軽に愛莉ちゃんって呼んでね。よろしく」

「よろしく、深井さん」


差し出された手を無視してそう言えば、深井さんは苦笑する。


「警戒心高いな~。猫みたい」

「その値踏みするような視線を向けられれば、誰だって警戒する」

「ん~、水垣君ってもしかして、思ってたより強敵?」


そこまで話していたところで、不意に服の裾を引っ張られた。視線を隣に戻してみれば、文乃さんが少し不満そうな顔でこちらを見つめている。


「およ? 綾ちゃんごめんね。水垣クンを取る気はなかったんだ」

「……別にそんなんじゃないです」

「拗ねないでよぉ」

「拗ねていません」


そこまで言ったところで深井さんは文乃さんに何か耳打ちする。文乃さんは何か言いたげに口を開きかけるが、深井さんはそれよりも早く、にこりと含みある笑いを浮かべる。


「ごめん、もう行かなきゃ。お邪魔してごめんね。……そうだ。綾ちゃん、後でいろいろ聞かせてねぇ~」


そう言って走り去っていく。まるで嵐のような人だった。そして、警戒心が高い人だとも思った。その警戒心も、きっと文乃さんを心配してのことだろう。


「……なんか、愛莉ちゃんがすみません」

「いや、いい。気にしてはいない」


俺は大きく息を吐き出すと、緊張を解きほぐす。文乃さん以外の人とまともに話したのは、随分と久しぶりだった。


「……もう少し休んでいくか?」

「あ、はい。実はまだ震えが収まらなくて……。そうしてもらえるとありがたいです」


そう聞いて俺は小さく息を吐くと、ゆっくりと目を閉じる。

午後の気持ちの良い陽気が、優しく降り注いでいた。

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