第20話

「すごかったです。乗る前まではこんなに楽しいなんて、思いもしませんでした」

「……それはよかった」


ジェットコースターから無事に帰還した俺は、何とも無様に死にかけていた。

流石と言うべきなのだろうか、広告では日本一を唄っていただけあって、死にかけるには十分すぎる爽快感であった。全く持って看板に偽りなしの恐ろしいアトラクションに、俺の足は情けなく震えるしかない。


「もう一回、もう一回乗りましょう」

「……冗談だろ」


身体は行くべきではないと、必死に抵抗する。だが、まるで年端もいかぬ子供みたいに無邪気に笑う文乃さんを前に、その警告はほとんど無意味に等しかった。


「一回だけだからな」


震える足を無理やり動かすと、再び処刑台へ続く列に並ぶ。

その後、結局三回も乗る羽目になり、俺の身体が先に限界を迎えた。


 ◇ ◇ ◇


「すいませんでした」

「いや、いい。気にはしていない」


昼時、テラスで食事を待つさなか、文乃さんが深々と頭を下げる。


「はしゃぎ過ぎました……」

「たまにはいいじゃないか。それに楽しかったんだろ?」

「それは……そうですけど……」

「なら、それでいい」


しょぼくれる彼女の姿に、俺は思わず笑ってしまう。今日だけで知らない文乃さんがたくさん知れた。膝はガクガクだし、立っているのも辛かったが、それでも、彼女の笑顔を見られただけで、ジェットコースターに何度も乗った甲斐があるというものだろう。


「お待たせいたしました」


注文した料理が店員によってテールに並べられていく。


「まあ、気を取り直して食事にしよう」

「……はい」


そう言って、俺はサンドイッチに手を伸ばす。味の良し悪しは分からない。せいぜい、温かい何か、冷たい何か、くらいしか分からない。


味が分からなくなったのはいつからだっただろう。ああ、そうだ。彼女が、文乃さんがいなくなってしまったあの日から、だった気がする。回帰してからもそれは治ることはなくて、未だ食事は味がしない。


「水垣君、本当にそれだけで足りるんですか?」

「ああ、まあな」


口を半分ほど開けたところで、彼女がそう言うので俺は頷く。

サンドイッチ二切れ。サイズはそこそこ大きいので、むしろこんなには要らないのだが、男子高校生の食事量と考えればどう考えても少ないだろう。


「私のも少し食べますか?」

「食事なんていつもこんなもんだ。なんなら、いつもより多い。だから気にするな」


そう言うと、彼女は自分の食べていたたらこパスタをくるくるとフォークに巻き付けて、それをグイっと突き出す。


「食べないと身体が持ちませんよ?」


目の前にあるパスタに、俺はどうすればいいのか戸惑いと羞恥と躊躇が入り混じる。

こんな幸せ、俺に許されるのか。というか、文乃さんは自分で何をしているのか分かっているのだろうか。もしかして、俺が意識し過ぎなだけで、今の高校生の男女はこれくらい普通だったりするのだろうか。


そんな事を考えているうち、文乃さんが早く食べるよう目で訴えかけてくるので、俺はほとんど反射的に、パクリと目の前の餌に食いつく。本当に、我ながら単純な人間である。


「……」

「どうですか?」


味がした。いつ振りか分からない舌からの信号に、俺の脳はあまりの事に機能を止める。食事とはこんなにも美味しいものだっただろうか。そんな衝撃が、身体を駆けた。


頬が緩む。噛めば噛むほど、たらこソースのうま味が舌の上を転がる。ごくりと飲み込めば、小麦の香りが鼻を抜けていった。


「ああ、うまい」


俺はそれだけ言って、自分のサンドイッチも口に運ぶ。卵の香り、レタスのシャキシャキとした食感、トマトのみずみずしさまで、失っていたものが鮮明に走り抜ける。


「水垣君? どうしたんですか」


感動を噛みしめていると、不思議そうな顔で文乃さんがこちらを覗き込んでくる。


「……なんでもない」


食事なんて、ただの栄養補給だった。死なない為の、一日一日を延命するために仕方がない行為。そこには楽しみも何もない。だが、それを他でもない彼女は取り戻してくれた。それが、何よりも嬉しい。


「食事とは、こんなにもいいものだったのだな」

「? そうですよ。食事は全ても源ですからね」


楽しそうに笑う文乃さんに、俺も自然と頬が緩む。熟したリンゴみたいに染まった頬の色を隠すように、彼女の髪がさらりと揺れる。

久しぶりの幸せな食事は、驚くほど速い時間で過ぎて行った。

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