第18話

「明日からゴールデンウィークですね」

「ああ」


妙に上機嫌な文乃さんに、俺はそれだけ言って手元の本をめくる。


「もしかして、水垣君はあまり楽しみじゃないんですか?」

「いや、そう言う訳じゃないんだが……」


俺は頭を掻きながら、目の前に座る彼女から微かに視線を逸らす。


「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」


もし文乃さんを知る誰かが今の彼女を見れば、かなり驚く事だろう。普段の文乃さんと言えば、一定のリズムを崩さない人で、良くも悪くも隙のない人間だった。


それが今や、かつてないほどの上機嫌に、とろけそうな緩んだ表情。正直言えば、朝からこの片鱗はあった。声はいつもより上擦っていたし、教室で見せる普段の作り笑いも、時折自然な笑みが零れていた。


今の彼女の表情は、なんだか見てはいけないものを見ているような気分になって、直視がしづらい。そんな俺を見て不思議だったのか、文乃さんは目を瞬かせながらこちらを見つめる。


「それにしても、今日は随分と機嫌がいいな」

「そ、そんなに顔に出ていましたか……?」

「ああ……まあ、そうだな」


そう言って彼女は自身の柔らかな頬を、ぺたぺたと触って確認する。


「実は朝、愛莉ちゃんにも同じことを言われたんです」

「そりゃあ、そうだろうな」


俺は新たに知った文乃さんの意外な一面に、思わずクスリと笑ってしまう。


「私、そんなに分かりやすいですかね……」

「……どうだろうな」


俺は少しばかり頭をひねるが、文乃さんは回帰前も今も、そんなに分かりやすかったという印象はない。

試しにじっと彼女を見つめてみるが、文乃さんはその頬を朱色に染めてこちらを見返すばかりで、何を考えているなんて想像すらつかない。


「……分かりやすいとは思わないな」

「そう、ですか……」


そう言うと、文乃さんはホッとした様な、それでいて少し残念そうな顔で息を吐く。


「あっ、そう言えばなんですけど」


少しの間の後、彼女は思い出したように口を開く。俺はどうしたんだと文乃さんを見るが、目が合うなり彼女は開いた口をもにょもにょと動かして視線が右往左往するばかりで、言葉だけが宙ぶらりんに彷徨う。


「……やっぱり、なんでもないです」

「? そうか……」


もじもじと揺れる彼女に、俺は不思議に思いながら再び手元の本へと視線を落とす。

言いたくないことくらい、誰にでもあるだろう。それを無理に出そうとしたところで、それは本心にはなりえない。本心ではない言葉を聞いたところで、それにきっと意味はないだろう。


たまに口を開いては閉じるを繰り返す文乃さんを視界の隅に収めながら、俺は本のページをめくっては、たまに彼女に視線を送る。が、以前のように視線が右へ左へと泳いでしまうばかりで、目を合わせてはくれない。


もしかして、俺はまた何か知らないうちに彼女の機嫌を損ねてしまったのだろうか。そんな不安に駆られていると、不意にスマホが震える。

画面を見てみれば、それは文乃さんからだった。


文乃:ゴールデンウィーク、どこに行きましょうか


彼女から届いたメッセージに、つい先日の事を思い出して、俺は頭を悩ませる。はっきり言えば、ノープラン。さらに言えば、社交辞令だと思って忘れていた。


水垣:遊園地のチケットならあるが、文乃さんはどうだ?

文乃:いいですね、遊園地。行きたいです。


確か、知り合いに貰ったチケットがあったはずだ。期限もそろそろだったので、丁度いいだろう。

ふと彼女の方を見てみれば、スマホを口元に充ててこちらを見ていた文乃さんと目が合う。


「楽しみにしていますね」


文乃さんがぽつりと吐いたその言葉に、俺は思わず卒倒しそうになる。

これはいけない。文乃綾と言う人間は、魔性の女か何かなのだろうか。彼女には想い人がいるはずなのに、こんな反応をされては勘違いしてしまいそうになる。しかも、思いを寄せている人間にだから、余計にだ。


「ああ……」


俺はそれだけ言って、僅かに視線を逸らす。

ふんわりと香る甘い香りが、微かに鼻腔をくすぐっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る