第13話
面倒な授業が終わり、騒がしくなった教室。俺は教科書を後ろにあるロッカーに入れると、背骨をパキパキと鳴らして伸びをする。
回帰してすぐの頃、俺は勉強なんて適当にやっても何とかなると思っていた。
だってそうだろう? 二度目の高校生活。つまるところは、もう既に一度経験した事の焼き直しだ。授業なんて気持ち程度に聞いておきさえすれば、そこそこは出来るはず。
そんな甘い気持ちで臨んで、すぐ現実というものに跳ね飛ばされた。
元々成績が良かった人なら話は別だっただろうが、中の下にならない程度で卒業した人間にとっては、残念ながら例え二度目だろうと出来というものは変わらない。
そもそも、高校を卒業してから十年近くも経っているのだ。内容なんてものは、半分も覚えていない。人生、そんな甘い話がある訳が無かったのだ。
大きな欠伸を噛み殺して教室を出る。階段を下りて、人気のない校舎の端へ。
クラスメイト達との関わりがほとんどないので、昼休みは人気のない場所で昼寝を楽しむのが日常になりつつあった。
時刻は十二時を少し過ぎた頃。
賑やかな校舎は、いつも疎外感を覚えて少しだけ寂しい気持ちになる。もう、ずいぶん昔に忘れてしまった気がするこの感情に、今はただ苦笑する事しか出来ない。
「あ……」
そうして歩くうち、ふと飲み物の買い忘れた事に気が付く。
考え事をしながら歩くと、何か一つ抜け落ちてしまうのはいつものことだ。むしろ、途中で気が付いただけ僥倖と言えるだろう。
「はぁ、面倒くさいな」
頭を掻きながら俺は来た道を引き返す。窓から差し込む陽の光が頬に当たり、微かなぬくもりが触れる。
あの暗いオフィスの中で、死んだように生きていた日々からは考えられない温かみ。それがどうにも嬉しくて、僅かに口元が緩んだ。
心地良い陽気の中、溢れ出た大きな欠伸は、少しだけ気持ちの良い感覚だった。
「ねえ、やっぱり陸上部入らない?」
「いや、私は……」
自販機で飲み物を買った帰り、少し離れた場所で話す二人の生徒の姿が見えた。一人は文乃さん、もう一人は……誰だろうか。見たことあるような、やっぱり無いような。
あやふやな記憶の中では、どうにも思い出せない。恐らく、口ぶりからして陸上部の誰かだろう。
どちらにせよ、目的地はあの二人の先にある階段の下だ。廊下のど真ん中で話しているので、通りずらいから出来る事なら早めにどいて欲しい。
「文乃さんって、中学校の時に大会で新記録連発してたみたいだし、辞めちゃうのもったいないよ」
壁に寄りかかって事の顛末を見守っていると、大きな声だったので僅かにそう聞こえる。そういえば、回帰前に噂程度だが聞いたことがあった。
中学生の頃、文乃さんは陸上部のエースで、かなりいい成績を残していたのだという。だが、ある時を境に何故か急に辞めてしまった。
監督と揉めたとか、家の事情だとか、そもそも陸上に興味がなくて嫌々やっていたとか、色々な噂をされていたが、どれも定かじゃない。
「っ……」
俺はそんなことを考えながらぼんやりと二人の姿を見ていると、文乃さんの表情を見て、不意に胸が痛む。
彼女の顔が、一瞬だけ酷く歪んだような気がした。まるで今にも崩れ去ってしまいそうな、あまりにも苦しそうな表情。
次の瞬間、彼女は作り物めいた笑顔を浮かべて、困った様に肩をすくめる。その笑顔はどこか陰りがある辛そうな顔で、見ているだけで目眩がした。
「……すまんがその人、少し借りてってもいいか?」
気が付いたときには身体が動いていた。自分でもどうしてそうしたのかは分からないけれど、不思議と後悔はなかった。
驚きと僅かな警戒の入り混じった視線が突き刺さる。ちらりと文乃さんを見てみれば、微かに陰りが残っているものの、さっきまでの辛そうな顔ではなく、ほんのりと罰の悪そうな表情で俯いていた。
何故俯いているのかは知らないが、何はともあれ、あんなひどい顔はもう見たくない。
「もしかして、取り込み中だったか?」
「え、いや、別にそう言う訳じゃないけど……」
「そうか。なら、借りてくぞ」
そう言って、俯いたまま動かない彼女の手を引き歩き出す。
当初の目的通り、俺は廊下の先にある階段に向かって歩みを進める。文乃さんはその間、何も言わずただ連れられるがままになっていた。
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