第12話
「水垣誠クン? ちょっとお話良いかな?」
四限が終わった直後、何かをする間もなく、俺は名も知らぬ女子に絡まれていた。
「……誰だ?」
率直な疑問が口から漏れ出る。同じクラスなのは知っているが、それ以上の記憶はない。ましてや、こんなに胡散臭そうに、ニコニコとした表情で話しかけられる謂れはない。
「愛莉ちゃん、本当に違うんです‼ 水垣君、ごめんなさい。何でもないですから」
「え~? 本当にそうかなぁ?」
愛莉と呼ばれた少女は、慌ててやって来た文乃さんに、からかうような笑みを浮かべる。
「でも、綾ちゃんと仲の良い男子なんでしょ? 私も仲良くしたいな~」
「だから、そんなんじゃないんです‼」
何で揉めているのかは知らないが、文乃さんにそこまで否定されると、流石の俺も少しばかり傷つく。と言うか、俺は一体いつまでこの二人のじゃれ合いを眺めていればいいのだろうか。
「……用件が無ければ、俺はもう行く」
「あっ……」
席を立つと、文乃さんはほんのり名残惜しそうな声を上げる。そんな声を出されたら、持ち上げた腰を再び下ろしたくなってしまう。けれど、周囲から突き刺さる視線の雨に対して、もうだいぶ限界だったので許して欲しいところだ。
俺は素知らぬ顔で文乃さんの横を通り過ぎると、教室を後にした。
「水垣君、お昼はすいませんでした。ちょっとした誤解があったみたいで……」
放課後、いつもの図書室で、文乃さんは申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
「構わん。そう言う日も、たまにはあるだろう。俺は気にはしていない」
「そう言ってもらえると助かります」
ページをめくりながらそう言うと、少し安心した様に彼女は笑う。春の木漏れ日みたいな、温かな笑みだった。
「春されば、まづ咲くやどの、梅の花……」
その笑みに、聞こえないくらいの小声で、思わず言葉が漏れ出る。
春の始まりを告げる、美しき花。凍えてしまいそうになる冬の寒さよりも、きっと春のぬくもりの方が、文乃さんにはよく似合う。
だから、昔の貴方のように孤独でいて欲しくはない。一人ぼっちというのは、真冬のように心が悴んでしまうから。
「独り見つつや、春日暮らさむ。梅の花の宴、三十二首ですね」
俺は驚きから顔を上げると、ふふっと声を出して笑う彼女と目が合う。
「和歌、好きなんですか?」
「そう言う訳ではないが、言葉の響きが綺麗でな。たまたま覚えていただけだ」
「確かに、耽美な響きがしますよね」
「ああ、春先に咲く、梅の温かさが感じられる気がする」
「そうですね。でも、独りで梅を慈しむのもいいと思うんですけど、誰かと一緒に愛
でた方が、私はいいと思うんです。きっと、その方が春の温かみを感じられますから」
その言葉に、胸の中から様々な想いが溢れ出して、身体中を駆け巡る。グチャグチャに混ざり合った心が、形容しがたい叫び声を上げたがっていた。
「……どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
心配そうにこちらを窺う彼女にそう言うと、安心させるために僅かな笑みを浮かべる。一人より、誰かと一緒の方がいい。その言葉が、深く、深く胸の奥に浸みていく。
「そうだな」
目を細め、俺は目の前の愛おしい春を、心で触れる。
「一人よりも、誰かといた方がいいか……」
「……俺も、そう思うよ」
彼女の言葉を反芻して、彼女の最後を思い出しながら、その言葉を心の奥底に書き留める。
「水垣君ならそう言うと思いました」
そう言って微笑みを浮かべる彼女は、春の始まりを告げるかのように、どこかぬくもりに満ちていた。
「……そうか」
微かな笑みを浮かべて、文乃さんの醸す空気に溶け合っていく。
孤独に満ちていた彼女の世界を、少しでも結んでいければいい。そうすれば、きっと文乃さんの人生も報われる様な気がする。そんな事を考える、夕暮れの放課後だった。
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