第49話 父の優しい眼差し
ホーンブレッドを齧りながら、クッキーやスコーン、林檎の飴がけ、いくつもの菓子を買ってはお父様に薦めた。アーチー通りを抜ける頃には、私の持つ籠はお菓子でぎっしりになっていた。
ギルド広場では華やかな催し物が行われていた。
中でも、楽団の演奏に合わせた演劇が観衆を集めている。演目は、お姫様と騎士の恋物語のようだ。
騎士の剣が翻ると魔法の光が降り注ぎ、姫のドレスが揺れれば花弁が舞う。音楽に合わせた魔法の演出が見事で、思わず私も足を止めた。
「グレンウェルドの魔法の発展は、本当に凄いものだな」
降ってきたお父様の言葉に、私は「そうでしょ!」といいながら、その顔を見上げた。そこには、慈愛に満ちた瞳があった。
「こうして街中を歩くのは久しぶりだが、本当に豊かな国だ」
「魔法は戦うための力だけじゃないの。この国では、人々を笑顔にするための力なのよ!」
「……そうだな。お前を魔術学院に通わせてよかったと思っているよ。だが」
目を細めたお父様は、その固い指先で私の口元をぐっと拭う。ついで、ワンピースの胸元もパンパンと払った。どうやら、砂糖とパン屑がついていたらしい。
「もう少し、淑女らしい落ち着きも学んでほしいところだな」
恥ずかしさが込み上げて言葉を失っていると、横にいたキースから堪えきれない笑い声が聞こえてきた。
「キースの口にもついてる!」
「俺はお行儀のいい人生じゃないからいいの」
「そんなのずるい!」
「ずるいって言われてもな」
笑いながら口元をぐいぐいっと手の甲で拭ったキースは「冒険者なんてそんなもんだ」と、したり顔で笑って歩き出す。それを追っていった私は、お父様がどんな顔で私たちを見ていたかなんて知る由もなかった。
「仲が良いのだな」
聞こえた声に振り返る。そうして「仲間だもん当然でしょ」と言えば、キースは苦笑いながら「まぁ、そうかもな」と言って髪をかき乱した。
その時、広場の中央でわあっと歓声が上がり光と花びらのシャワーが一帯に降り注いだ。
風にあおられた花弁が落ちてきた。それを摘まんだキースの手の中で、花弁は光の粒となって弾け飛ぶ。
キラキラと輝く魔法の花に、胸の奥がほわほわと温かくなる。どちらともなくキースと顔を見合って笑っていると、お父様が「仲間か」と呟く声がした。
歓声は鳴りやまず、演奏される曲が軽快なものへと変わった。
騎士もお姫様も悪役も、演者が次々に手を取り踊りだす。輪を作り、通りの観客も巻き込んで賑わいは最高潮へと達した。
すれ違った女の子が、私の手を引っ張った。思わず、私もキースの手を掴む。
「お父様も──!」
声をかけてもう片方の手を伸ばそうとしたけど、空いている手はない。お父様は、笑って私を見ていた。その横に、見覚えのある姿が近づく。
あれは、レイさんだわ。何か話を始める様子を見て、胸騒ぎがした。もしかして、お父様はもう帰ってしまうのかもしれない。
急いで戻らないと。そう思っても、私たちはあれよあれよと言う間に大勢の輪へ飲まれてしまった。
「ね、キース! レイさんがいる!」
「レイ? ああ、本当だ。もう用は済んだのかもな」
「お父様もう帰っちゃうのかしら……」
「まあ、竜騎士隊長様ともなれば、忙しいだろうからな」
「何話してるんだろう。あ、こっちを見てる?」
「お前の話でもしてたりして」
「私の?」
「お転婆すぎて困るなとか。行儀見習いさせた方が良いんじゃないかとか?」
「それは嫌! ちょっと、お父様と話してくる!」
「あ、おい。待てよ!」
踊りの輪を抜け出そうとしても流れには逆らえず、私はキースの手に引っ張られる。
楽曲はまだまだ鳴りやまない。
女も男も、大人も幼子も手を取り笑い合う。その流れに逆らい、引き込まれそうになりながら再び抜け出すのを試みる。そんなことを繰り返していると、お父様が笑ったように見えた。
何とか躍りの輪を抜け出し、息を弾ませてお父様の元へ戻ると「楽しいか?」と微笑まれた。
「はい! お父様も一緒に踊りましょう」
「すまないが急用を思い出してな。レイに送ってもらおうと思っている」
「……今すぐなの?」
「あぁ。いつも急ですまない」
ああ、やっぱり。
降って湧いたような急用は今に始まったことではない。小さい頃からよくあった。我が儘を言って困らせてたとしても、お父様が用事を取りやめることはないと十分に分かっている。
久しぶりに会えたのに。親を恋しく思う気持ちを押し込めて、私は息を吸い込んだ。
「分かりました」
ワンピースの端をきゅっと握りしめる。
お父様の手が伸びてきた。そっと前髪に触れたかと思うと、動きを止め、その指は私の肩に置かれた。頭を撫でてもらえるのかと思ったけど、そうじゃなかったみたい。
「春には一度、屋敷へ戻ってくるであろう? その時にまたゆっくりと話そう。これまで同様しっかりと学び、よりよき魔術師となれるよう努力を怠らぬように」
突然の言葉に、目をぱちくりと瞬く。驚きに顔を上げれば、穏やかに笑うお父様がいた。それってつまり……
「キース、娘は無茶ばかりしてお前たち仲間に迷惑をかけているだろうが、よろしく頼むぞ」
私の横に立っていたキースにそういって、お父様は背を向ける。レイさんもまた、小さく頭を下げるとその後を追って歩き出した。
「……お父様! 私、もっと凄い魔術師になるから!」
声を張り上げると、お父様は一度足を止めた。だけど振り返らず、少しだけ手を上げると再び歩き出し、人混みに紛れるようにしていなくなった。
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