第43話 「お前に拒否られるのは、辛い」(キース視点)

 強張る小さな肩を抱きしめたキースは、涙にぬれて頬に張り付く赤毛を指先で払うと、小さな背中を優しく叩いた。まるで子どもをあやすように、とんとんっと。

 

「怖かったよな。遅れちまって、悪かったな」

「大丈夫だよ。たれただけだし」

「だけって、お前……」

「お気に入りのワンピース、破かれたけど」

「そんなもん、いくらでも買ってやる」


 まだ少し腫れている頬に、もう一度そっと触れると、ミシェルはびくっと震えた。それは明らかな拒絶。

 あんなことがあったんだ。しばらくは男に触れられることを反射的に拒絶しても仕方ない。そう頭で分かりながらも、腕の中で大人しくしている彼女を見ていると、一抹の不安と悲しみを感じざるを得ないのだろう。キースの端正な眉が下がり、情けない表情が浮かんだ。


「頼むから……辛かったって言ってくれ」

「……キース?」

「遅れた俺を責めていいんだ。大丈夫なんて言うなよ」


 辛いことを辛いといえないことは、嫌ほど経験してきたキースだ。謂れのない中傷を受け、石を投げられたこともある。未だに、半妖精ハーフエルフってだけで、卑しいものをみる目を向けられることさえある。惨めだった自分の過去を思い出しながら、キースは案じていた。


「お前に拒否られるのは、辛い」


 こんなことを告げるつもりではなかったのに。

 少しの後悔を抱きながら、キースはと思う。


「キース、泣かないでよ」

「泣いてねぇし」

「嘘。泣いてる」


 小さな手が、熱くなった頬に触れてきた。


「あのね……本当は、怖かった」

「うん……」

「一人でどうにかしなきゃって思った」

「頑張ったな」

「キースが来て……嬉しかった」


 嬉しかったんだよと繰り返すミシェルの姿が霞み、キースは内心かっこわりぃと呟く。それでも、こうして抱きしめていることを許されたことに安堵し、涙が止まることはなかった。

 ミシェルが鼻をすんっと鳴らし「煙草の匂いがする」と呟く。


「あぁ……悪い。嫌いだったな」

「でも、キースの匂いだからかな、安心する」


 ミシェルの肩からふっと力が抜け、それが伝わったことでキースもほっと安堵の息をつく。

 しばらくそうして抱きしめたまま無言でいると、ミシェルが小さく笑った。見下ろすと、その涙は止まっていた。少し、気恥ずかしそうな顔をしている。


「キースも泣くんだね」

「……アニーには言うなよ。知られたらどんな揶揄からかいのネタにされることか分かったものじゃない」


 涙で汚れた顔を見合って、二人は同時に笑った。どうやら、にんまりと笑うアニーの顔を、同じように思い浮かべたようだ。


「二人だけの秘密だね」


 何気ないミシェルの言葉に、キースは瞬きを繰り返す。大人には程遠いミシェルの言葉だ。きっと他意はないのだろう。


「それも悪くないな」

「……え?」

「なんでもねぇ」


 背にしているベッドからブランケットを引っ張ったキースはミシェルを抱き締めたまま、それにくるまった。


「寝るまで、側にいてやるから」

「……うん」

「寝れないなら、子守唄でも歌ってやるか?」

「何それ。似合わない」

「失礼だな。あー、でも、エルフ語のしか知らねぇや」

「……エルフ語? どうして……」


 腕の中で、ミシェルが瞼を揺らす。


「俺の育ての親がよく歌ってくれたんだ」

「……聞きたい……」


 瞼を揺らす幼い顔を見下ろし、キースは口角を上げる。

 笑ってほしい。優しい夢を見てほしい。

 願うことしか出来ない夜は長いなと思いながら、窓の外に視線を投げたキースは、記憶を頼って子守唄を口ずさみ始めた。


  おやすみ カケスもキツネも 夢の中

  薔薇の棘も 今宵は眠る

  やさしい 銀の光を よい子にかぶせ

  月は窓から 微笑みかける


  おやすみ 白い花も 青い木も 静まりかえる

  甘いお菓子も 戸棚に戻る

  暖炉の火も 灰をかぶりて 瞳を閉じた

  朝日を夢見て 静かに眠る


  しあわせな 夜のささやきに 耳を傾けて

  夢の中から 小さな手を振って

  朝日が微笑む 明日の朝を 迎えましょう

  眠れや 眠れ 愛しい森の子よ


 次第に心地よい眠気が訪れた。

 ミシェルを抱えてベッドに上がったキースは、そっと柔らかなマットに彼女を下ろすと、その寝顔に触れる。もう少し、もう少しだけ見ていていいかと誰にともなく尋ねながら、彼もいつしか意識を手放した。

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