第37話 赤い蝶の向かう先に(アリシア視点)
二人のやり取りを聞きながら、アリシアは黙々と作業を続けていた。
鞄から取り出した小さな瓶。その蓋を回し開け、中にミシェルの髪を一本浸す。すぐに蓋を閉めてから、幾度か軽く振る。すると、まるで氷が溶けるように、赤毛はゆらゆらと揺らめきながら液体と混ざり合った。そうして、無色だった液体はキラキラと赤い輝きを放ち始める。
その様子に気付いたアニーはアリシアの手元を覗いた。
「それが、魔力?」
「はい。これを……」
アリシアは蓋を外して手を翳す。すると、中の液体が沸きあがるようにこぷりと泡立った。
「
凛とした詠唱に応えるように、その手から魔力の輝きが放たれる。光が小瓶を覆うと、中の液体がさらに体積を増して外に溢れ出した。しかし、それが足元に落ちることはない。まるで、シャボン玉の様に膨れ上がって宙に浮いた。
「空へ羽ばたけ!」
光の中、溢れた液体は蝶の姿となりひらりと舞い上がった。
「
アリシアが高らかに唱えると、赤く光る蝶は開かれた窓から外へとひらりひらりと飛んでいく。
「あれを追えばいいんだな!」
「はい!」
「仕組みはよく分かんないけど、これなら楽勝ね」
「あぁ、先に行く!」
そう言って、窓枠に足をかけたキースは軽やかに外へと飛んだ。
「私達も追うわよ!」
アリシアの荷物を掴み、彼女の手を引いたアニーは階段を駆け下り、外に飛び出した。
空を見上げれば、キラキラと赤い光が風に乗って帯を作っている。その先を見れば随分前をキースが駆けていた。
一度、大きな通りに出る。しばらく学院に戻るようにして飛んだ蝶であったが、道を折れて裏路地へと入っていった。
「この先って……」
「職人通りがあるわね。人通りも多いから、誰かミシェルを見てるかもね!」
「……でも、職人通りには地下があります」
「あー、連絡通路とか搬入に使ってるやつか……それ、匂うわね」
ミシェルがどういう形で連れ出されたかは分からないが、赤い蝶が小路を縫うように飛んでいくのを見ると人目を避けて移動したのだろう。
走り通しでアリシアの息が上がってきた頃、赤い蝶は職人通りの裏道を何度も行き来するようになった。ついには道を見失ったのか、人気のない場所で翅を休めてしまった。
どういうことだろうかと足を止めたアリシアは首を傾げ、ぐるりと辺りを見回した。
職人通りからは賑やかな声が聞こえるが、裏手となるこの場所に人影はない。
「このどこかに、ミシェルがいるのは間違いないのだけど……魔力が足らなかったのかしら」
「魔法で隠されてるとかはないの? 前、ミシェルが探索で隠された通路を探し出したことがあるわよ」
「あり得ますね」
「魔法で隠されてるなら、魔法で見つけるのが定石なんでしょ?」
「試してみます」
頷いたアリシアが辺りを探るように歩き始めると、丁度、キースが合流した。
「なぁ、職人通りのアーケードって、上がれるんじゃなかったか?」
「そうね。外付けの階段でいけるはずよ」
「上から様子を探ろうかと思ったんだが、その階段が見当たらねぇんだよ」
職人通りを見上げるキースに釣られ、アニーとアリシアも上を見る。
アーチ状の屋根に覆われている職人通りの上には、両側の商店を繋ぐための通路が等間隔で設置されている。ずいぶん幅の広い通路には低木や花が植えられたプランターも置かれているのが、下から見ても分かった。店舗兼住宅である店の住人たちが置いているのだろう。
「あそこって、店の人以外も入れるんですか?」
「誰でも入れるわよ。でも、日中は店主も店にいるし、この一帯の住人もあまり行き来しない場所ね」
アニーがそう答えると、アリシアは何かに気付いたのか、建物の周辺を覆う木々を指さすして口を開いた。
「
アリシアの澄んだ声が響き、その細い指が宙に文字を刻むと、ふわりと風が舞い上がった。
スカートの裾がはためき、彼女の下ろされた前髪が揺れる。
「混迷する
ザアァッと音を立てて職人通りの裏手を覆い隠していた木々が揺れる。すると、揺れた枝木は糸が解れていくように、キラキラと光の欠片となった。ガラスの破片のように輝く細かなそれは、風に乗って舞い上がる。
シャンッと音を立てて光は霧散し、視界が開けて古い石造りの階段が現れた。
赤い蝶が、休めていた翅を再び動かした。階段を上るように、ひらりひらりと舞う。
三人は顔を見合わせると階段を駆け上がった。
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