第36話 ミシェルの部屋に向かう(アリシア視点)
息を切らしながら戻ったのは学院前の通りだった。
肩を揺らしながら立ち止まったアリシアは、干上がった喉に唾液を落とし込もうとして激しく咳き込んだ。
「ちょっと、大丈夫?」
「……はっ、は、い……ミシェル、見つけ、なきゃ……」
ゼイゼイと荒い息を繰り返しながら、アリシアは辺りを窺った。学生の姿は、やはり少ない。
「ねぇ、学院の人に協力を願い出たらどう?」
「それも、考えた……けど、証拠がない、と、たぶん」
「えっ、おじいちゃん先生の秘蔵っ子なのに?」
無理だと否定するアリシアの言葉を遮るように驚きの声を上げたアニーは、口をへの字に曲げて聳え立つ学院を見上げた。
「ミシェルが、学院長の弟子、なのは……非公式……よく、思わない、人もいるから」
「どの道、見つけ出すことに変わりはない」
アリシアの言葉を遮ったキースは、幾分息が戻ってきた彼女に「何をすればいい」と尋ねた。
大きく息を吸ったアリシアは滴り落ちる汗を手の甲で拭う。
「……今、私が出来ることは、一つ」
ぎゅっと手を握りしめ、アリシアは校舎を見上げて大きく息を吸った。
「まずマルヴィナ先生に屋敷の鍵を借ります。その後、私が魔力感知で追跡をします。私は戦闘に不慣れなので、もしもの時の護衛と、ミシェルの救出をお二人に任せます」
「荒っぽいことなら、任せて」
「あぁ、それは俺たちの役割だ」
長い灰褐色の髪を手早く結びなおしたアニーは好戦的な笑みを浮かべる。その横でキースは腰に下げる剣の柄に手をかけた。
ミシェルが下宿しているロンマロリー邸が建つのは、学院から少し離れた職人通りにほど近い場所だ。
屋敷に辿り着き、アリシアは震える手で借りた鍵を鍵穴に差し込む。
大丈夫。大丈夫だから。──心の中で何度も自分を励まし、アリシアは扉を押し開けた。そうして階段を駆け上がり、何度か訪れたことのあるミシェルの自室を目指した。
開け放ったドアの向こう、部屋に乱れはなかった。
何者かに拐われたのではないか。その疑いを脳裏にちらつかせながら、アリシアは部屋を見渡す。
文机の上はいくらか物が散乱しているが荒らされた形跡はない。通学に使っている鞄も見当たらない。つまり、ミシェルはこの部屋へ戻っていないということだ。
「ねえ、ここがミシェルの部屋なの? 意外と地味ね。お嬢様っぽくないし」
「帰ってないな」
「何で分かるのよ」
「見りゃ分かるだろう。荒らされてねぇし」
「本当にそれだけ? あ、まさか、あんた来たことあるわけ? 年頃の娘の部屋に入ったていうの? やらしー!」
「うるせぇな。今はそんなことどうでも良いだろう」
耳元で騒ぐなと言いたそうな面持ちのキースは、アニーから離れると閉ざされた窓に手をかけ、それを押し開けた。
風が部屋に入り込むみ、小さなカンテラが揺れた。
キースとアニーのやりとりを聞きながら、アリシアは小さなドレッサーの前に立つ。
台の上には鮮やかなリボンが入れられた箱、小さな化粧水瓶と櫛が置かれている。アリシアはその櫛を手にすると、絡まる赤毛を一本抜きとった。
「髪の毛?」
不思議そうにアリシアの動きを見ていたアニーは、それをどうするのかと尋ねた。
「魔力は全身を流れています。髪の先までくまなく。なので、この髪にも残留魔力があるんです。これをまず分解します」
「それどう使うのよ?」
「薬液に溶けた魔力を使って、
真剣そのものなアリシアであったが、アニーには結局のところ何をするのか見当もつかない。任せたわと言う彼女は、キースを振り返った。
キースはといえば、アリシアの言動に全く興味を示さず、窓を見上げていた。そこに飾られる祈りのカンテラにアニーも気付き、したり顔となる。
「ふふっ、ミシェルも女の子ね」
「どこをどう見たって女だろうが」
「バカね。そんな生物学的なことじゃないわよ」
ため息をついたアニーは説教の一つでもしてやろかと思ったのか、はたまた、からかおうとしたのだろうか。にやりと笑ってキースの横に立った。
「あんた、ミシェルを祭りに連れて行ってやりなよ」
「星祭りか?」
「そうよ。明日、最終日でしょ。きっと、喜ぶわよ」
「……見つからなきゃ行きようもないだろう」
言葉の意味を理解していないキースに「この鈍感!」と叫んだアニーは、その頭をべしんっと叩いた。
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