第四章 ミシェル失踪事件

第35話 胸騒ぎは消えない(アリシア視点)

 アリシアの心は晴れなかった。


 ギルド広場に向けて歩きながら、ミシェルのことを考えていた。具合が悪くなったら、途中で休むから大丈夫と言っていた。学院長の自宅まではそう遠くないから大丈夫。

 日が沈むまで、まだ時間はある。沿道にもまばらだけど人の姿もある。もしも、何か起きたとしても誰かの目に触れるにきまってる。


 ぴたりと足を止め、アリシアは唇を震わせた。

 今、自分はなにを考えたのか。ミシェルに何かが起きるだなんて、縁起でもない。頭を振ってその考えを振り払おうとした彼女だったが、胸騒ぎが消えることはなかった。


 ふと、一人の男を思い出した。ネヴィンだ。


「……ミシェル!」


 踵を返したアリシアは、スカートの裾が捲れるのも気にせず、力の限り走った。息が切れても、ミシェルの向かった道を辿った。


 それほど離れているはずがない。走れば追いつくはずだ。走れば、きっと──願いながら、ひたすら道路を蹴った。そうして辿り着いたロンマロリー邸だったが、ミシェルはまだ帰宅していなかった。

 

 どうしてアニーとの待ち合わせ場所を学院前にしなかったのだろう。そう後悔する間もなく、アリシアはギルド広場に向かって再び駆けだした。

 肩にかかる鞄のひもを握る手が汗ばんでいく。喉が干上がり、熱い空気を吸い込んだ肺が悲鳴を上げた。それでも、彼女は必死に駆けようとした。


 早く、早くアニーに会わないと。

 ミシェルを探さないと。焦る思いが足をもつれさせ、爪先が石畳に引っ掛かる。アリシアがハッとした時には、その体は石畳に叩きつけられていた。薄い肌が擦り切れ、痛みと熱がじわり足に広がった。


「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

「怪我したんじゃないの?」

「す、すみま、せん……急いで、て」


 通りの人たちの声に曖昧な返事をして、ふらつく足で立ち上がり、再び走り出す。

 焦りと不安で視界がにじんだその時だった。


「アリシア、どうしたの?」


 かすむ視界の中、声をかけてきたその人が走り寄ってきた。

 肩で息をしながら、アリシアは手を伸ばす。


「……アニー、さん」

「あまり遅いから、心配で学院まで迎えにと思ったんだけど」

「アニーさん……助け……ミシェル、ミシェルが!」


 息切れする中、必死に訴えて縋りついたアリシアは、堪えていた涙をついに溢れさせた。

 アニーの顔が曇ったのと、彼女の背後にいたもう一人が「どういうことだ?」と尋ねたのはどちらが早かったか。


 仰ぎ見れば、アニーの後ろには厳しい表情をしたキースがいた。

 息も絶え絶えの中、アリシアは話し始めた。帰り際に会ったネヴィンとのやりとりや、ロンマロリー邸にミシェルが戻っていないことを伝えながら、声の震えが止まらなかった。


「ど、どうしよう、ミシェルに何かあったら、私……」

「まず落ち着きなよ」


 アリシアの背を撫でたアニーはキースを振り返る。


「あのガキか……大人しくしてればいいものを」

「ちょっと、キース、あんたも落ち着きな! まだ、そのネヴィンが何かしたとは限らないでしょう」


 今にも殴り込みに行きかねない空気を駄々洩れにしているキースを一喝したアニーは、さてどうしたものかというように首を傾げた。


「何か事情があって、帰宅していないって可能性もあるんじゃない?」

「それは……」


 確かに、その可能性も否めない。

 しかし、アリシアはそう楽観視できなかった。ネヴィンに恐怖すら感じていたミシェルを思い出すと、不安が込み上げてくるのだ。

 

「ネヴィンは……何を考えてるか、分からない男なの……いつも、恨みがましく陰鬱な目をしていて」


 クラスでも浮いていた。何かやらかしそうだと感じていた。でも、彼だって貴族の息子だ。家格が上になるミシェルに何かするなんてあり得ない。そう決めつけていたんじゃないか。

 考えれば考えるほど、アリシアの胸は痛みを増した。


 アリシアの様子を見たアニーは小さく息をつく。


「情報が足らなすぎね」

「ネヴィンを締め上げて吐かせりゃいいだろうが!」

「落ち着け! それで何も出てこなかったらどうするのよ。確か、そのネヴィンって伯爵のボンボンなんでしょ? 私はそんなの敵にしたくないわ」

「だったら、このフランディヴィルを虱潰ししらみつぶに探すのか? どれほど広いと思ってるんだ!」

「だから落ち着け!! まずはその痕跡を探すんでしょうが」


 冷静なアニーに舌打ちをするキースは、石畳を踏み鳴らした。

 アリシアは混乱する意識の中、彼女の言葉に反応してぽつり「痕跡」と呟いた。


「何か思い当たることあるの?」

「……痕跡を、探すなら……出来ます」


 忙しく視線を彷徨わせていたアリシアは、ゴクリと喉を鳴らして頷いた。そして踵を返し、来た道を走り出した。顔を見合ったアニーとキースも、彼女の後をおって走り出した。

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