第31話 彼のことばかり思い出す私は、変かもしれない

 ロンマロリー邸に帰ってきて、後ろ手に玄関のドアを閉めると、とたんに足から力が抜けた。その場にしゃがみこみ、手に持っていた小さな木箱を胸に押し付けるように抱えた。


 ついに、買ってしまった。


 箱の蓋を開けてそっと覗くと、紅いバラを象ったカンテラがキラキラと輝いた。

 カンテラ屋でキースが見せた笑顔と何気ない言葉が、ふと脳裏によみがえる。それだけで、胸の高鳴りが激しくなり、顔はますます火照っていった。


 買うつもりないなんて、アリシアに言っていた私はどこに行っちゃったのよ。


 箱をそっと閉ざし、大きく息を吸う。

 これはお祭りのために買ったのよ。恋のカンテラっていわれても、別に、恋のお願いをしないといけないわけじゃないわ。

 私は、亡きお母様の安らぎを願う。そう、それでいいのよ。


 だけど、脳裏からキースの笑顔がなくならない。


 なんとか冷静になろうとしていると、奥からマルヴィナ先生が出てきた。


「お帰りなさい。もうすぐお夕飯が出来るわよ」


 今日は羊肉の塩スープを作ったのよと言いながら近づく先生は、小首を傾げると私を呼んだ。


「ミシェルちゃん、どうしたの?」


 ただいま。そう言えばいいだけなのに、どうしてか、私の頭はまだ混乱していて、言葉がうまく出ない。

 とりあえず部屋に行こう。そう思ったとき、先生が小さくあらっと声をこぼした。

 反射的に顔をあげると、優しく微笑む顔があった。


「ねえ。ミートパイが出来上がるまで、少し時間があるの。お茶でも飲まない?」

「でも……」

「さぁ、キッチンに行きましょう!」


 有無を言わせない強引さで、マルヴィナ先生は私の手を握る。その手に引かれて足が前に出た。一歩二歩と歩きだし、私は先生の手を握り返す。

 

 先生だったら、私のごちゃごちゃした気持ちが何なのか、どうしたら良いのか教えてくれるような気がした。


 キッチンの作業台に簡素な椅子が並べられた。そこに腰を下ろし、木箱を膝の上に置く。すると、お湯が注がれたポットとカップ、砂時計が並べられた。


「カンテラを買ってきたのね。ふふっ、お願い事は決まった?」


 その場の雰囲気と勢いで買ってしまったカンテラだ。当然、お願い事なんて決まってない。

 お母様の安らぎを。そういえば良いのに、脳裏にはキースが浮かんで言葉がでない。


 心臓が早鐘を打っている。


「……先生は、お願い事するの?」

「毎年しているわよ」

「どんなお願い?」

「大切な人が笑顔でありますように、て」

「……大切な人」

「えぇ、大切な人には、いつだって笑顔でいてほしいもの」


 その言葉に、再びキースの屈託ない笑顔を思い出す。


「先生……私、変なの。すごくもやもやして、ドキドキして……でも、それが凄い嫌って訳じゃないの。でも、なんか、凄く恥ずかしくなって」

「どんな時に、そうなっちゃうの?」

「それは……」


 思い返すと、やはり脳裏にはキースが現れる。それだけで体温が上昇し、耳まで熱くなったのが自分でも分かった。


「ミシェルちゃん」

「ど、どうしよう、先生……やっぱり私、変かも」

「どうして?」

「だって、キースのことばっかり思い出す」

「素敵じゃない」

「……キースは、私よりもうんと年上だし、お兄様よりも年上で、それに……」

「それに?」

「……仲間、だし……私、侯爵家の娘だし」


 ぼそぼそと言葉を並べていくと、ずきんと胸が痛んだ。

 何不自由なく暮らしてきた。世間知らずなお子様の私を、キースは仲間として迎え入れてくれた。一人の魔術師として肩を並べることを認めてくれた。

 それなのに、今更、私は何を思っているのか。これは裏切りじゃないのか。


『日頃からお前の魔法はすげーって認めてんじゃん』


 キースの言葉がふと蘇る。

 こんな浮ついた気持ち、知られたら嫌われるんじゃないか。そう考えると不安が広がり、胸が締め付けられたように苦しくなった。

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