第21話 まだ、真実を知る勇気はない

 どれくらい躍っただろうか。

 講堂のすぐ横に広がる庭園に出ると、心地よい夜風が吹き抜けた。少し覚束ない足取りでベンチに腰を下ろし、ほうっと息をつく。


 私のすぐ前にたったキースは、苦笑しながら大丈夫かと尋ねてきた。


 足がじんじんする。きっと、擦りむいてる。なのに、そんな痛みや疲れも悪くないって思うくらい、私の心は高揚していた。

 心地よい夜風を受けた熱い頬が、自然とゆるむ。


「疲れたろ。何か、飲み物を持ってくるか?」

「……大丈夫。ドレスがきついから、そんなに飲んだり食べたりって気分じゃないし」

「そうか?」

「ねぇ、それより、キース」

「ん?」

「舞踏会に出たことあるわね?」


 向かいに立った彼を見上げ、少し語気を強めて尋ねると、ついっと視線がそらされた。

 

「ダンスも慣れていたし、他の学生に声をかけられた時の交わし方だって、手慣れていて」

「あー……まるで貴族みたい、か?」


 苦笑したキースは私の前にしゃがみ、おもむろに足首を掴んだ。

 ずくずくと痛みが走る。


「痛っ……」

「やっぱりな」


 そっと靴が脱がされると、痛々しく赤くなった足が夜風にさらされた。慣れない踵の高い靴で靴擦れを起こしていたようだ。


「そっちもか? これでよく踊ったな。痛かっただろう」

「……楽しくて、気にならなかった」

「こんなに擦りむいてるのに?」


 問われて、今度は私が視線をそらす番だった。

 キースは可笑しそうに笑う。

「だって」と反発しようとしたけど、あれほど嫌がっていた舞踏会が楽しかったからというのは、どうにも憚られた。


 しばし、涼しい風と共に沈黙が訪れた。

 

 横に腰を下ろしたキースに、ちらりと視線を送ると、軽く「なあに?」と声をかけられる。

 聞いていいのかな。あなたは何者って。


「ねぇ、キース……クインシーって」


 おずおずと尋ねれば、ふいに唇に固い人差し指が押し当てられた。

 少し困ったような瞳が、私を見ている。


「それさ、聞かなかったことにしてくれる?」


 聞かなかったことって言われても、忘れるなんて出来ないわ。

 ジェラルディン連合国の貴族に、クインシーを知らない者はいないだろう。今は存在しない公爵家で、私たちがいるのはクインシー家があったからこそで──ぐるぐる考えていると、キースは消えそうな声で、頼むって呟いた。


 探られたくないことは、誰にでもあるよね。


 悲しそうなキースの笑顔に、私は頷いた。そうしないと、彼がいなくなってしまうような気がしたから。

 唇から指が離れていく。

 不安にかられた私は、その手を掴んでいた。


「ねぇ、キース」

「なに?」

「……また、一緒に冒険いける、よね?」


 どうしてそんなことを聞いたのだろうか。

 綺麗なキースの瞳が、暗い庭園を照らすカンテラの明かりを受けて、キラキラと輝く。まるで宝石のようだ。


「当たり前だろ。まだまだ一緒に冒険したいって話したの忘れたのか?」

「忘れてない!」

「それじゃ、まずは……その足、さっさと治せよ。はい、靴もって」

「う、うん……」

「それじゃ、帰るか」


 そう言うが早いか、行動に出るのが早かったか。キースは私を横抱きにして立ち上がった。

 ふわりと浮く感覚に驚き、思わずその首にしがみつく。


「ちょっ、キース!」

「その足じゃ、歩くの辛いでしょ?」

「で、でも……」


 周囲の視線を感じ、頬がじわじわと熱くなっていく。そうして口籠っていると、少し離れたところから「ミシェル!」と私を呼ぶ声がした。

 ドレスの裾を持ち上げたアリシアと、パークスが近づいてくる。


「具合でも悪くなったの?」

「足、擦りむいちゃって……」

「あら、それは無理しない方がいいわね。馬車を呼びましょう」


 そう言ってアリシアがパークスを振り返る。だけど、キースがその必要はないと断りを入れた。


「月も綺麗なことだし、歩いて送りたいと思います。ロンマロリー学院長の邸宅は近いですから」

「そう? 夜のお散歩だなんて素敵ね。パークスにも見習ってほしいものだわ」

「……アリシア、俺の筋肉のなさを分かって言ってるだろう」


 げんなりとするパークスは、私を見て「お大事に」と言う。


「楽しかったでしょ?」

「うん。もっと堅苦しいのかと思ってたけど、そんなことなかったね」

「ふふっ、親元離れてる子が多いから、皆、案外考えることは同じで、羽伸ばしてるのよ」

「アリシアも?」

「私はちゃんと人脈づくりのための舞踏会よ」


 私たちが他愛もない会話を続ける傍ら、キースとパークスは黙っていた。

 門の手前にたどり着いたとき、アリシアは視線をキースに向ける。


「ところでキースさん」

「キースでいいですよ、アリシア嬢」

「では、キース。次に会うときは、その堅苦しいしゃべり方、やめてもらえるかしら? いつものあなたと別人すぎて、ずっと笑いを堪えるのが大変だったのよ」


 一瞬きょとんとしたキースは、一拍置いた後に、にっと口元を吊り上げた。それを見たアリシアはふふっと笑い、満足そうに「バンクロフトをご贔屓に」と言ってドレスの裾をつまみ上げた。


 アリシアとパークスに見送られ、私たちは学院をあとにした。

 ちらほらと帰り始める学生と行きかう馬車を横目に、キースが息を吐く。少し眉間にシワを寄せている。私を抱えてなかったら、髪をくしゃりとかき回していたかもしれない。


 不満なとき、困ったとき、考えるとき。キースが欲見せる癖を思い出しながら、どうしたのと訪ねれば、彼は少し唸った。


「なあ……今日の俺、そんな変だったか?」

「いつもと違いすぎよ。煙草とお酒と甘いものが大好きな、不良ハーフエルフには見えないわね」

「うっわ、酷い言い方。こんな色男捕まえて、それってどうなの?」


 目を丸くしたキースから、困惑の色は消えた。傷つくなと心にないことを言いながら笑う顔は、いつもの彼だった。

 その顔を見つめながら「だって」と言えば、彼は歩みを緩め、視線を下げて私を見つめる。


「ん?」

「私の知ってるキースは、イケメンでも御伽噺の王子様でもないもん」


 私の言葉に、キースは一瞬きょとんとする。そうして、ふっと笑うと「違いねぇ」と同意した。


 いつもの笑顔にほっとして、彼の胸に顔を埋めると、ふわりと煙草と香水の入り混じった香りが鼻腔を掠めた。

 煙草は嫌いなのに、どうして、この香りは平気なんだろう。不思議だな。


 月も星も、街中の街灯の輝きにも目を向けず、ただその香りを忘れないように呼吸を繰り返す。


「ミシェル、寝ちまったか?」


 聞こえる声に、起きてるよって小さく答えながらも、目蓋を上げるのが億劫に感じ始めていた。

 ぼんやりと、この穏やかな夜が続けばいいと思いながらキースに全てを委ね、コツコツと響く靴音に耳を傾けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る