第14話 泣かせたいんじゃない(キース視点)
噛み砕いた砂糖菓子を飲み込みんだキースはミシェルの向かいに立つと、その頭を軽く叩く。何も言わず、ぽふぽふと叩いていると彼女は俯いた。
「話したくないなら、無理には聞かないけどさ……皆、心配してるよ」
「……うん、分かってる」
柔らかい赤毛を撫で、顔を上げる様子のないミシェルにどうしたものかと思ったところで、キースは励ましの言葉一つ考えていなかったことに気づいた。
もし自分ならと考えてみても、泣くほどのことなど早々にない。哀愁なんて感情は遠い昔に捨てたし、痛みで泣く姿なんて女の前で晒せるか。──だからこそ、その涙の理由を知りたかったのだと、キースは今さらに気づいた。
ミシェルの髪から手を離し、今度は自身の髪を乱暴にガシガシとかき乱したキースは、ゆっくり腰を下ろした。そうして、ミシェルの顔を覗き込む。
つぶらな青い瞳に涙が浮かんでいた。必死にこらえているから、可愛いかおは台無しだ。
「意外と、泣き虫なんだな」
知り合って一年はすぎていると言うのに、知らなかった。その驚きに戸惑いもあった。
不躾にまじまじと見ていると、ミシェルは涙を溢れさせ、小さな手で何度もそれを拭った。
「そんな擦ったら、明日、真っ赤になっちゃうでしょ」
涙に汚れる顔はお世辞にも綺麗ではないが、必死に泣き止もうとする健気な姿を、どたいして放っておくことが出来ようか。
自分よりも遥かに小さな白い手を掴んだキースは、やっと視線を向けてきたミシェルに、ため息をつく。
擦られた目元が赤くなっていた。
「言わんこっちゃない。ただでさえ、ウサギみたいな頭してんのに、目までウサギになるつもりかよ」
「……ウサギ……何よそれ」
「ほら、ウサギの耳ってこう上についてんじゃん? お前の髪形にそっくりだろ」
「犬だってそうじゃない」
「ん、そう? でも、サイズ的にミシェルはウサギっぽくない?」
小首を傾げたキースを見て、ミシェル可笑しそうに笑った。ずびっと鼻をすすり、天井を見上げて息を整える。それからややあって、意を決したように彼を呼んだ。
「ねぇ、キース」
「ん、なに?」
「私が侯爵家の娘だって話したことあるよね」
「あー、あのマザー家の
顔を上げたミシェルは濡れた頬を袖でこすりながら立ち上がり、文机の上にあった鞄から一通の封書を取り出した。
「……私、学院を卒業したら、皆ともっと自由に旅をしたいって思ってた。でも、卒業したら縁談の話を受けるよう、家から知らせが届いたの」
渡された封書の印は、間違いなく、マザー家のものだった。
「魔術師として認められれば、グレンウェルドに残れる。だから、必死に頑張ってきた。もう少し、もう少しなの……でも、今日ね……同級の人に、マザー家の令嬢として自覚がないって、バカにされて……私がバカにされたならまだいいの! そうじゃなくて、家の皆や国までもバカにされたようで、悔しくて」
ミシェルはスカートを力いっぱい握りしめながら俯いていた。ともすれば再びこぼれそうな涙をこらえて唇を噛んでいる。
そういうことね。──内心、呟いたキースは封書の中に目を通すと顔を上げ、ゆるゆると立ち上がる。
「手紙には、仕事が決まらないようならって書いてあるよね? おっさん、別にミシェルのやりたいこと否定はしてないんじゃないの?」
「……うん。でも、たぶん……マザー家の令嬢としては、他の諸侯との繋がりを持つことが正しくて」
「そうしたいの?」
「違う!」
勢いよく顔を上げた拍子に、ミシェルの青い瞳から大粒の涙がこぼれた。
キースはため息をつくように笑うと、大きな手を伸ばし、乱れた赤毛を撫でる。
「なら、今までと一緒で良いんじゃないの?」
「でも……お父様が許してくれるか……」
「お貴族様は大変だよな」
「……ごめん。キースには関係ないことだよね」
「まぁ、そうだけどさ。お前が泣いてると調子狂うしさ」
髪を撫でる手を止めたキースは、俯いていたミシェルが見上げてくると、にっと笑った。
「良いこと思い付いたんだけど」
「……何よ」
「お前の兄ちゃん、失踪したまんまだったよな? 見つけようぜ。そしたら、お前のこと無理に国に戻す理由も減るだろ?」
「……でも、いなくなって、もう五年だよ」
「諦めんの?」
静かな言葉に、ミシェルの肩が強張った。
「俺だって、まだまだミシェルと冒険したいし、皆もそう思ってる」
「……キース」
「俺には家族っていないけどさ、仲間と家族は同じようなもんだと思うわけよ。だから、
だけど、と言ってミシェルの腕を掴むと、すっぽりと腕の中に引き寄せた。
「もうちっと自分のことも、思ってやれよな。お前、今、傷ついてんだろ? 遠い家のことより、お前の心、大切にしてやってもいいんじゃないの?」
よしよしと頭を撫でたキースは、震える小さな肩を抱きしめる。しばらくして嗚咽と共に「ありがとう」と震えた声が聞こえてきた。
そうして、なかなか泣き止まないミシェルを抱き締めながら、泣かせたいんじゃないんだけどな、と心の中で独りごちた。
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