第陸章 -6- 物と人
付喪はやはり祓わなければならない。払い壊すのではなく祓うのだ。
物が物としての本分を全うするために。人なんかの想いに染められて、想いを遂げられないことは許されない。姫の話を聞いてなおさら許したくないと思う。これは・・・これからの私の意思だ。
姫が人形として朽ちたいと願い、ヤハズは姫を神として永遠の物にしようとしている。どれだけ時間がかかり、不毛な努力に終わるかもしれない。
ただ決定的に姫の願いとは乖離している。
姫の想いは物であり、ヤハズの想いは人であるのだから。分かり合えない。ひとつに混じると歪に
だからこそ私は、遠くない未来でヤハズと戦うのだろう。ふたりを祓うために。姫の願いを叶えるために。それがきっと、祖母から伝わり狗鷲が繋げた付喪を祓うというお役目なのだ。
物は物に、人は人に戻すための役目。
想いを本来あるべき形に戻すためのお役目なのだ。
不機嫌そうに首袖を整えるヤハズを見て、姫は歩み出して抱きあげるように甘えている。
これからは私の付喪を祓う商いだなと抱え上げられる姫を見て思う。
古道具屋としての商いを、翁としてのお役目を私の想いで果たすのだ。
しばらく日が経ち、その日は耳がなるほどに静かな日だった。蝉の鳴き声ははるか遠くにあり、夏の終わりが近づいている。太陽はまだ天高くあり、私は居間でぼんやりと出刃包丁を探す手立てを考えていた。
どうやら出刃包丁の男が私の周りにいることだけは明らかだ。
マッチ箱の件でもおそらく騒ぎに乗じて私に接触したのだろう。ならば街を歩いていればとくに苦労もなく出会うのかもしれない。もしくは私を警戒して遠巻きに見ているか。
ならばヤハズと姫に頼むか? 私が囮となって周囲を探らせる。
いや無理か。ふたりの格好はあまりに目立ちすぎる。それに蛇の目傘の件もある。
目的は何かわからない。狗鷲の口封じをしたのは蛇の目傘だ。自分を探る出刃包丁の男ならば筋は通る。奴は何者なのか。思考は堂々に巡り、混沌とした頭の中に答えは見つからない。黄昏時を待つか。街を歩いて男の情報を探る。
探っているうちに相手もまた気がつくだろう。もしかしたら自分に近づくのに気がついたのなら、なんらかの形で接触を図るのかもしれない。狗鷲のように私の口を封じようと。近頃では狗鷲からの情報がないというだけかもしれないが、街で子供が消える噂は鳴りを潜めている。
私が標的であれば子供は守られる。やはり派手に動くしかないと決まりきった答えに行き着いた。おとなしく待っているのも性分に合わない。
そろそろ行くかな。と居間から立ち上がり土間に向かうと、扉が開かれ先には麻子の姿があった。黙ってようすをうかがっており、私に気がつくと小さく右手を振った。
「今日は翁さんひとり?」
部屋の中を見渡しながら麻子は言った。近頃は賑やかすぎたなと私は思う。今日は千鳥がいない。彼女のも仕事があるのだ仕方がない。
「どうした? 麻子こそひとりじゃないか」
「あのね。
あぁ。と答えると麻子はうーん。と首をかたむける。いつしか子供の溜まり場になっているなと、私は苦笑した。
「そうだな。最近は賑やかだったからな。千鳥も今日は仕事のようだ」
「いいんだよ。でもちょっと残念。翁さんは寂しくないの?」
俺が? と眉をひそめると、クスクスと麻子は笑う。
「だって私が最初にお使いでここにきた時、翁さんは全然笑わなかった。街の噂でなんでも頼みを聞いてくれるって聞いて、おばあちゃんの代わりに闇市に言ってもらった。子供もさらわれるって噂があったし」
「もうかなり前の話に聞こえるな。健次郎と翔太も同じように俺のところを訪ねてきて・・・しばらく経つな」
いつだったかは思い出せなかった。まだ私は付喪を祓い始めたばかりであり、世の中はずっと混沌としていたのを思い出す。殺伐とした街並みには瓦礫が多く、今のような街の形をではなかった。
そう考えると人や世も、世を形作る物たちも緩やかに変化していくのだろうと思う。良し悪しがあっても確実に変化していく。
「そういえば姫が言ってたよ。また麻子に会いにくると。ちゃんとヤハズに洋菓子を作らせるとな」
えぇ! と麻子は身をかがめて両手を握る。目は爛々と日の光を反射し見開かれていた。
「やった。本当に約束を守ってくれるんだ。楽しみ! 姫ちゃんは本当にいい人だね。最初はちょっと怖かったけど、普通の女の子だった」
そうだな。と私は答える。知らなければ人も付喪も、付喪之人も変わらない。そこに悪意がないのならば。しかしそれは人の理屈だ。物からしたら己の本分を変えてしまう人の所業はたまったもんじゃないだろう。
だから付喪は祓わなければならない。人のためにも。そして物自身のためにもだ。
姫とヤハズを祓ってしまったら麻子は悲しむだろうか。悲しむのだろう。
だからせめて、姫との約束だけは果たさせてやろうと決めた。幼き出会いは時間と共に流れて、淡い余韻を残して消えていくから。麻子もいつかはわずかなふたりとの出会いも思い出にするだろう。ならばよい思い出にしてやるべきなのだ。
「まぁ姫はいい子だな。だがあの
「翁さんと似ているね。ふたりともとっても厳しそうなのに子供とか、自分よりも弱い人には優しいから。ヤハズさんも怖いけど、私たちや姫ちゃんを見る時には本当に優しい目をしているの。不思議だね」
そうか? と私が手を組むと、そうだよ。と麻子は笑った。少しばかりの邪気も含まぬ笑みで。私はヤハズの姿形と立ち振る舞いを思い浮かべる。どうしても似ているような気にはならなかった。
「ともかく俺は出かけるから、麻子もおばあちゃんのところにお帰り。ここにいては退屈だろう? 立ち話を続けるのも何だしな」
「そうだね。またくる。姫ちゃんが来たら、私はいなくても絶対呼んでね! 走ってくる!」
「おう。その時は健次郎も翔太も一緒だ。千鳥もな」
「ふふふ。千鳥さんは翁さんのお嫁さんにならないの? そしたらいつも一緒なのに」
「あいつにその気がないだろうな」
そうかなー? と麻子は後に手を組み体をかたむける。そして私の顔を見上げながらへへへ。と笑って踵を返す。
「それじゃ。またね。姫ちゃんが来たら絶対呼んでね!」
あぁ。と私が返事をすると麻子は往来の中に消えていく。人ごみに消えていくのを眺めて私は組まれた腕を解く。天より高い場所で街を照らす太陽は、影さえ落とさず陽気に浮かんでいる。
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