第陸章 -5- 物と人
理解したか? と姫は首をかたむけ、私は静かにうなずいてみせる。だからこそ人は人のように五感を持ち、ヤハズは人形のように五感がない。それぞれの想いを持ったまま生きている。人の依り代として生まれた人形のように館で生きていたのだな。
なんともややこしき因果な存在だと思った。互いに互いを思う人形と人との恋。人形作家が夢見る末路だなと私は腕を組む。
「わかったよ。だとしても姫は姫で、ヤハズはヤハズだ。なぁ・・・姫の願いは物としての願いだろう? 俺は付喪之人として成り果てた物を祓ってきた。もしくは壊した。人の想いに染められて本来の願いを変質させた存在と。姫は、人形である姫は何を望む?」
「さっきも言ったじゃろう? 妾は物として朽ちる。他の物と同じように己の本分を全うすることが幸せじゃ。ヤハズに慈しみ愛されて、隣で朽ちる。ただ・・・ヤハズが望むことには逆らえない。ヤハズに造られた人形だからな」
「なぜヤハズは俺に協力する? むしろ付きまとわれているとしか思えないのだが」
さぁな。と姫は反対へと首をかたむける。和らいだ目尻で細まった瞳はまだ秘密を持っている。だがこれ以上何を聞いても無駄なような気がした。紡がれた姫の唇が新たな問いを拒んでいる。私は深々と息を吐く。
「確証はないが、確信していることがある。ヤハズは姫を神にしようとしているよ。長い時間をかけて付喪神にしてしまえば、不滅であるからな。白蛇のキセルみたいに白蛇を
「答えぬぞ? ただ妾が白蛇のように人から神として奉られて、多くの想いを身に受けて神になるとするならば不可能だろう。ヤハズは人を恨んでいるからな。人とかかわることすらしないだろう」
「ならなぜ俺にはかかわるんだよ。俺だって人だ」
「ふふふ。それはヤハズにとって利用価値があるからじゃよ。それに八代は妾たちを毛嫌いせずに認めておる。普通の人なら
「そりゃ俺が付喪を祓うお役目があり、貧乏性なだけだよ。それに時代は変わりつつある。麻子たちだって姫と楽しく遊んでいたじゃないか。あの子が大人になるころには姫も影から出て
「そうじゃったな。かわいい子供たちだった。ヤハズも懐かれておったな。見たことのないヤハズの顔だったなぁ」
「あぁ。不機嫌そうに困り果てた顔ならずっと見ておきたい。また麻子たちに会いに来てくれるよな。姫の言っていた洋菓子を楽しみにしているぞ」
それは楽しみだなぁと姫の白く柔らかい頬へと唇が弧を作る。たったふたりで何年も屋敷で暮らしていた。もともとが人による嫉妬でヤハズの家族が殺されたことに起因するのだろう。
「しかし八代よ。すぐにでも持って行ってやりたいがしばし待てよ。ヤハズもああ見えて体はボロボロだ。ほつれた体を仕立てあげるのにも時間がかかる。妾も力を使いすぎてしまった。影の中に潜むにはまだもう少し時間がかかる」
苦労をかけたな。と私が言うと、本当にそうじゃと姫はクスリと笑みをこぼす。
もっと姫に世界を見せてあげたいと思った。他の子供みたいに無邪気に笑い、焼け焦げくすんでしまった世界でも、
生きていって欲しかった。たとえ人形だとしても。まったく私は子供に甘い。それに私のわがままだ。
出刃包丁の件が終わったら、おさらばだな。と私は決める。たとえヤハズが何を企んでいようとも、姫にとってこの
屋敷でヤハズと共に朽ちるほうがよい。物としての本分をまっとうするなら。
ぎぃ。と音がして扉が開いた。振り向くと右手で白蛇の首根っこをつかんだヤハズが
「そないに乱暴に扱うなや! ちょっと調子に乗っただけやんけ!」
ぎゃぁぎゃぁと白蛇は尻尾を振りながらわめき散らし、ヤハズの眉間には冷たくシワがよっている。
「うるさい。わめくな。八代よこの付喪神は何の役にも立たなかったぞ! くだらぬ話をいつまでも!」
「ええやんけ! いかにワイが民衆に愛されておったかを自慢しただけやないかい。ほんで美味たる捧げ物の数々。実はヤマタノオロチも先輩やねんと嘘ついただけやんけ!」
神が嘘をつくとはバチあたりなと、目を丸めた後に笑い出した姫と一緒に私も笑う。
「その上、私も自分を崇め奉れと? 八代のように自分へ付き従い、できることなら美人の人形を作ってくれと? それが神の言うことか!」
「へっへーん。神さまだって自由ですー。それに別にいいやんけ。減るもんでもない」
「私の時間が減る。心労も祟る。知りたいことは何もわからなかった。八代。お前はこいつと四六時中一緒にいるのか? その点だけは尊敬してやる」
ぶん。とヤハズは右手を乱暴に降ると、放たれた矢のように白蛇は飛び、伸ばした私の左手に収まった。
「聞いてや八代! ほんまにあいつひどいねんで! 神さまをこんなに扱って、八代はそう思うやろ!?」
「まぁ。その点はヤハズと同じかな」
もう知らへん! と白蛇は私からそっぽを向くと煙に包まれキセルの形に収まった。おそらくヤハズは神への鳴り方について尋ねたかったんだろう。しかし今まで聞いた話以上のことを知れなかった。それ以上に白蛇の自慢話に付き合わされたということか。
そして腕を組むヤハズを眺めながら私は姫の視線を感じる。私の心を覗き込むかのような赤黒い瞳だった。
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