第伍章 -3- マッチ箱と燃え盛る日常

 我を取り戻した男は火球を振り下ろす。火球は勢いのままに伸びヤハズへ向かう。

 

 ヤハズは横へ飛び、炎を避けると口に人刺し指を当て裂いた。裂かれた指からは銀色の糸が伸びている。伸びた火球が私たちに到達とうたつするよりもずっと速く、ヤハズは伸ばした男の右手をり上げた。炎は私と姫の頭上を通り過ぎ、熱波ねっぱが私の肌を焼く。


 ヤハズは人差し指の付け根から伸ばした銀の糸を、もう片方の腕でピンと張るまで伸ばす。そのまま男に突進しとらえようとする間で、男は跳ねる。右手でマッチをもう一本取り出してり、炎が男の右手を包んだ。


 炎はそれ以上大きくなることなく、刀のような形状にとどまる。ヤハズは男を頭上に見て、影に包まれた地面で足を伸ばしたままきびすを返して男をにらみつける。


 男は空中で反転し身を止め、右手の火剣を振り下ろす。火剣は振り下ろされる勢いのままヤハズへ伸び、ヤハズは身をそらして剣を避け。身を回転させつつ右手を振り下ろし、伸びた銀色の糸の先端で裂かれた人差し指が男へ伸びた。男が剣を振り上げると炎に巻かれて銀の糸は宙へと舞う。


 吹き上がる炎の勢いでヤハズも指先とともに舞い上がる。一瞬先に地面へ落ちた男は足にぐっと力を入れて落下するヤハズへと向かった。


 空中でヤハズは体制を立て直す。


 縦に振られる剣尖を避けると燕尾服の裾が焼かれてチリになる。それを物ともせずにヤハズは踵を男に振り下ろすと、男は左手でヤハズの蹴りを受け、右手の火剣でヤハズのどうごうとする。


 ヤハズは男の剣を見てもう片方の足で男の腕を蹴り飛び退いた。そして男はゆっくりとヤハズを向き直り、身構えるヤハズは男と対峙する。


「服が焦げてしまったぞ! 私のために仕立てた服が!」


 ヤハズは声を上げ、男へ跳ぶ。男は火剣を振り上げてヤハズの銀の糸を払った。何度も互いの攻撃を避け、そして飛び退き、再び剣と、糸を振り上げる。


 いく後も繰り返される攻防は炎の軌跡きせき火花ひばなになって影の中に浮かんでいた。


「いかんの。ヤハズは負ける。どうやらたかだかマッチの小箱と侮ったな」


 姫は指先を噛んで攻防を続けるヤハズをじっと見ていた。手を出そうとも影花に包まれていてはイバラを出せない。


 姫はただ立ち尽くすしかないのだ。


 さてさてどうするか。と私もまた思案しあんする。手を出すなと言っていたのはヤハズだが、思ったよりもずっとマッチ箱が人に成り変わった背広の男は強い。


 しかし疑問にも思う。男の持つマッチ箱の形状は支給品しきゅうひんであろう。作られたのも近頃であり、ずっと昔から付喪であるヤハズと対峙できるほどの力があるとは思えない。


 気になるのは男の瞳だ。黒くくぼんで感情がない。人の形に成り変わったのなら感情があるはずだ。もとに込められた人の想いがそのままに。もしくは想いが変質して男の瞳を染めるはずだ。しかし背広の男にはそれがない。不思議なほどに。


 姫が言う通りに、ヤハズは糸を仕掛けるよりもずっと、男の剣を避ける方が多くなっている。姫が私の裾をそっと握った。


「なぁ。ヤハズは怒るだろうが、助けてやってはくれんかの? ヤハズを失ったら妾はどうにもならぬのじゃ」


「そりゃいいが。姫にとってヤハズはそんなに大切かい?」


「あぁ。ヤハズに命を与えたのは妾じゃからな。そして妾に五感を与えてくれたのはヤハズじゃ。妾とヤハズは同じなのじゃ。ふたりでひとつの人形だ」


 姫はうつむいている。目を伏せ細い髪が真っ白の頬に触れていた。


「なぁ。それじゃあ交換条件だ。俺がヤハズを助けて怒られる代わりに、姫の話を聞かせてくれるかい? ヤハズに隠れて。まだ俺はヤハズと姫を知らない。ふたりの望みをな」


「それを知ってどうする? 妾たちも祓うのか? それとも払うか? 他の付喪と同じように」


「知らないから知るんだよ。わからないから理解しようとする。祓うか払うか、それとも壊すかは先の話だ。残念ながらそれが人だよ。それにお前たちがいなくなったら、千鳥も子供たちも悲しむだろう。怒られるよりも悲しまれる方がずっと辛いからな」


「難儀な性格をしているな」


 姫は私を見上げて頬をほころばせる。本当にこの世の物とは思えないほど美しいと思う。


「だからヤハズには隠れて姫の想いを聞かせてくれ。物は物としての本分を遂げねばならん。役割を果たさねばならないのだ。人程度の想いに塗り染められて、想いを変質させてはいけないんだよ。純粋な思いのままに果てるのだ。だからこそ・・・俺は付喪を、物に込められた人の想いを祓うのだろうな」


「人なのに人が嫌いなのか? 」


「あぁ。人だけど人が嫌いなんだ」


 ふふふ。と姫は私の袖を離した。私へと向き直り右の小指を差し出した。


「ならば約束じゃ。後で妾の話を聞かせてやろう。そちらの方がきっとヤハズには怒られるな」


「あぁ。悲しまれるよりはずっとマシだ」


 私は姫の小指に私の小指を絡ませる。そして指を解くと姫は一度瞼を閉じてゆっくりと開いた。まるで本当の人のようだと私は思う。


 私はヤハズへと向き直る。背広の男から吹き上がる炎は消えてはまた燃え上がり、ヤハズを裂こうと振るわれた。

しかし私にはどうもそれが男の意思ではないように感じる。意思を宿す瞳が黒くうつろであるのだから。


 それにしても・・・恩人である狗鷲が死んだのにもかかわらず、なぜこうも心が乱れていないのだろか。ひどく自分が冷たい人間だとも思う。


 人は物よりもずっと寿命が短い。朽ちるのも早いのは知ってる。


 多くの人が死んだ。家族も、そして友人も。あぁそうだ。私もまた生きてはいない。

 

 自分の笑顔が思い出せなかった。敵だった国に今の世は助けられている。


 憎んでいた人が今は世を支えている。愛憎なんてたやすく裏返ってしまうのだ。


 狗鷲は本当のところ私が必要なかった。ひとりでも生きていけた。しかし祖母と結んだ多少の縁で私を拾ってしまったのだ。ひとり腐っていく私を見捨てては置けなかった。町の子供たちだってそうだ。乱れた世では弱きものから犠牲になっていく。


 目と耳を塞いでしまえばもっと長生きできただろう。


 いやきっと、狗鷲も生きてはいなかったのだ。生きる理由を世のために、人のためにと自分以外の場所に預けてしまっていた。自分自身では生きてはいない。

 泣けないはずだ。狗鷲は人としての想いを全うしたのだから。うらやましくもある。ただ子供たちが神隠しに合わないように、出刃包丁の男を探すという私との約束を残して。


 それくらいは叶えてやるかね。


 私が姫の隣から足を一歩踏み出すと、ひときわ大きな炎の柱が立ち上る。強い風が私の背を押し羽織がはためく。

 遅れてきた熱風と共にヤハズが宙を反転し、私の前に膝をついた。呼吸が乱れるはずはないのだが、目線は右手に炎を止めた背広の男に注がれている。


 ヤハズは横目で私を睨んだ。

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