第弐章 -5- まな板と翁の商い

「その子供は・・・どうなるんでしょうか?」

 

 不安そうに千鳥は唇を震わせ狗鷲を見る。私はどこか居心地いごこちが悪い。まるでそうなるのは私のせいだと責められているような気になる。事実、狗鷲は私を責めているのだろう。


「やせ細って死んでいるのが見つかるのさ。昔からよくある話だよ。だからワシはそこで黙っている名ばかりの翁に頼んだんだ。田雲雀のばあさんには世話になったから、期待はしていたんだがねぇ」


 むぅ。と口をへの字に結び、私は千鳥に視線を向ける。千鳥は目を丸めたまま首を反対へかしげた。不安そうにふっくらとした唇を震わせている。


「どこかに売られているのなら、なぜ子供がさらわれているのをわかったのですか?」


「ほうほう。こいつは名ばかりの翁よりずっと賢い嬢ちゃんだ。さらわれて神隠しのように消えてしまった子供は見つかるのだよ。もちろんいなくなったと親が訴え出る。そして子供を売ったという人身売買に手を染めた輩も見付かる。しかし売られた先から子供が消えるのだよ。何度も消える。そしてやせ細り命を失って見つかるんだ。残酷ざんこくにもさらわれた両親のもとでな。まるで何事もなかったように帰ってきて、死んでいる。もう用はないと言わんばかりにな」

 

 ヒッと千鳥は指先を噛み、悲鳴を上げないように耐えていた。狗鷲は私へと湿っぽい視線を向ける。期待してたんだがなぁ。と再び口にした。


「言われた通りに追い詰めたんだ。黄昏時にふらふらと街を歩く出刃包丁の男を見つけたからな。そしたら今度は千鳥を追い出した。血相けっそうを変えてな・・・何か関係があるのか? 」


「私は・・・何も知りませんでした。急に追いかけられて逃げ出して、翁さんに助けられました」


 目線を伏せつつ千鳥は言って、ふぅむ。と狗鷲は頭を撫でる。


「それは災難だったな。名ばかりの翁に追われているのがわかって、切羽せっぱ詰まっていたんだろう。まったく間抜けな話だ」


 悪かったよ。と私は頬杖をつく。囲炉裏の火が炭を包んでしまい、狗鷲はそれを崩す。いつ来ても不気味なほどに狗鷲の家は寒い。日差しが届かぬだけが理由ではないだろう。生と死の境界にあるような冷え込み方だ。


「それで翁よ。見知らぬ奴らに邪魔されたと言ったな? それはワシも知らない。どういった様相ようそうだ?」


「月影でしか見えなかったがわからんよ。長身で細身の男と、子供に見えた。影だけでわからなかったが、洋装をしている風に見えた。子供の方も見慣れぬふわりと浮いたはかまのような・・・」


「スカートかね。外国じゃ女が着る。昔は財閥ざいばつの連中が社交界の真似事まねごとで着ておったのを見たことがある。ならば・・・只者ただものではないな。そしてワシは知っておる。人の縁とは厄介だな。無用な縁ばかりが結ばれる。必要としておらん時に限ってな。だがまぁ、役には立つ」


「どういうことだよ」


「そういうことだな」


 狗鷲は顎先を上げて、戸棚の端を指す。そこには見慣れない西洋の服を着た人形がいた。瞳が赤く足は垂らされている。


「そのお人形さんがどうしたんですか?」


 千鳥が尋ねると、狗鷲はあぐらを崩して片膝を立てた。


「闇市に流れてきたんだよ。珍しいから手に入れた。お巡りさんにとられてしまう前にな。高名だった人形作家の品らしい。街から離れた洋館に住んでいたと聞いていたが、焼け残っていたんだな。それに死んだと聞いていたから、ワシもすっかりと忘れておったよ。生活に困ったのか売りに来たらしい。みんな男をよく覚えていた。燕尾服えんびふくで闇市を訪れていたらしいからな。素性を確かめようと何人か後をつけて、洋館に消えていくのを見たという」


「そいつが犯人か!」


 ぴしゃりと膝を打って言う私に狗鷲はへっへ。と唇を半分だけ歪めて片膝を抱いた。


「違うねぇ。きっと違う。でも話だけでも聞いておきたいなぁ。きっと高く売れるだろうしな。約束するなら・・・赤い晴れ着を米に変えてやる」


「断りようなねぇな」


「だから名ばかりの翁なんだよ」


 うるせぇ。と私は素直に晴れ着を手渡すと、持って行きなと扉の横で麻袋に包まれ積まれる米を翁は顎で指す。文字通り顎で使われていると私は両手を後ろについて天井を見上げた。千鳥は何も言わずに私たちの表情を見比べている。

 結局のところ千鳥はただ巻き込まれただけのようだ。運の悪いことに。運が悪いのは私も同じだ。それでも手がかりが見つかった。街外れの洋館に住む洋装の男。


 私は出刃包丁の男が影のイバラに包まれたこともまた思い出す。

 煙に巻くには濃すぎる現実だ。ただでは済まないだろうなぁと私は晴れ着を置いて立ち上がる。静まり返った赤い肌着にすまねぇな。とだけ心の中で一言添えた。

 品をあらためながら狗鷲は千鳥に視線を向ける。目尻を和らげ弱々しげに、その時だけはただの老人に見えた。


「後、お嬢ちゃんも気をつけな。一度縁を持ってしまえば、切ろうと思ってもなかなか切れねぇ」


「もちろんです。それに翁が守ってくれるでしょう?」


 ねっ? と小首をかしげながら千鳥は私を見上げる。私は天井から視線を下ろして千鳥と向き合う。


「俺が守るのか?」


「当たり前だろう。これでワシもそこの可愛らしいお嬢ちゃんと縁を持ってしまった。死んでしまうのはしのびねぇ。お前のばあさんならきっと守ると言っていた」


 なぁ。と千鳥に向ける視線とは別のねっとりと絡みつくような視線を狗鷲は私へ向ける。祖母の話を出されると断る道理を失ってしまう。


 狗鷲と私がこうやって取引ができるのは紛れもなく祖母から結ばれた縁なのだ。そのため付喪を祓うことができるのも狗鷲は知っている。


 ここに残る古ぼけた品々もかつては私の祖母がはらった物も多い。ここにないかつて付喪だった物はすでに失われている。付喪を祓うのは物に残された思いを祓うか、物自体を砕いてしまうことに他ならない。


 人を殺すように、物を壊して想いの入れ物を破壊するのだ。砕かれた物の想いがどこに消えるのかはわからない。きっと人と同じ場所へと向かうのだろう。そうであって欲しいと砕く度に願った。


「わかったよ。もちろん礼は弾んでくれるんだろうな? 」


「働き次第だな。そろそろお前とも長い縁になってきた。得体の知れない人形作家の家を訪れる時には、武器を忘れるなよ。決して人の目に触れることもないようにな」


 わかったよ。と私は袖口に入れた手で腕をつかむ。


「しかし狗鷲もそろそろ隠居いんきょしたらどうだ? この店を俺にゆずってさ」


 姿勢を崩して狗鷲に言うと、へっへ。と狗鷲は破顔はがんし膝を叩く。


「お前には人がさびれた古物店があるだろう。あれは形見だ。ワシが死んだらこの店も終わる。それでいいだろう」


 ケチだなと言うと、狗鷲は商売上手なんだよ。と返す。崩れた炭が火の粉を上げて狗鷲の顔は再び影に包まれた。


 私は玄関横に積まれた麻袋を担ぎ、千鳥と共に店を出る。


 麻子の家に届けなければならない。


 路地を抜けて影から出ると、容赦なく照りつける夏の日差しが肌を焼いた。

 ようやく奈落から現世に戻ってきたような気がした。噴き出す汗は自分がまだ生きていることを教えてくれる。狗鷲の市にいると自分も物に取り込まれ陳列されているような気分になる。物と人に対して差がないかのように。

 

 ねぇねぇ。と千鳥は横に並び上目で私を見た。


「それじゃぁ私はもう行くから。こんなに日が高く登ってるから旦那だんなさんに怒られてくる」


「おうおう。そのまま行っちまえ。職業婦人しょくぎょうふじんも大変なもんだ」


「怪しげな商売をしている翁さんよりずっとマシさね。それじゃまた会いに行くから。人形作家の話を聞かせてね。麻子ちゃんたちともまた会いたいし。・・・いい子たちだね」


「面白くねぇ話だよ。それに麻子たちはうるさいだけだ。いい子じゃねぇよ」


「あらそう? こう見えて私は子供が大好きなの。また行くね」


 じゃぁね! と千鳥は手を振りながら駅の方へと人ごみに消えた。なんともまぁたくましい。そうして私はトタンの屋根が並んだ住宅街へと向かう。麻子に依頼を果たしたと伝え、人形作家の家におもむく準備をしなければならない。


 タダで済むとは思えないが、狗鷲の依頼であれば断れないし、これ以上失敗も許されない。


 それにずっと気になっていた。なぜあいつらは出刃包丁の男を逃がすような真似をしたのだろうか。仲間だろうか。しかし・・・まぁいいか。


 兎にも角にも答えは出る。人目につかぬ黄昏時に、すべてを祓われ終わるのだから。

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