第弐章 -4- まな板と翁の商い
開かれた扉の向こうには、猫の額ほどの土間があり、先には
広い長方形の居間は戸棚に包まれている。そこには
つるりと剃られた頭には横にシワが刻まれて、骨と皮だけになった右手は顎先に指先を沿わせた。膝に置かれた左手は火箸で炭をつついている。形を崩した墨が火の粉を舞わせ、顔に刻まれたシワが奇妙に広がった。目は窪んでおり瞳の奥は見えない。
「おうおう。翁か。今度は何を持ってきたんだ? それに嬢ちゃんも一緒とはね。からかってやろうと思ったが、御婦人の前でそれは失礼だろうなぁ」
ひっひ。と片方の口元だけを上げて笑う老人に、私はため息で返す。土間で
老人の右隣で私は腰を下ろし、千鳥は囲炉裏を挟んで正面に腰を下ろした。ひっひ。と老人は笑いを含みながら火鉢で炭をつき、値踏みするように千鳥を眺めた。
「あっあの・・・白草千鳥と言います。ご迷惑でしたか?」
いいや。と老人は首を横に振った。迷惑だよ。と私は声にも出さずに老人を見る。
「そんなことはねぇ。翁にようやく嫁がきた。と話には聞いていたがこんなに綺麗な女とはねぇ。嘘みたいに綺麗な名前だ。役者かい?」
「いいえ。駅前の喫茶店で給仕をしています。あの・・・お名前を聞いてもいいですか?」
「この
「おいおい。ワシに聞いてくれたんだ。しばらくぶりの若い女との会話だ。楽しませてくれよ」
「それではよろしくお願いします。狗鷲さん。でもどうして私が翁さんのところに転がり込んだことを知っているのですか?」
「そりゃワシの耳はどこにでもあるのさ。それに街に出ずとも街のようすは目で見たようにわかる。目が不自由でも匂いでわかる。だから狗鷲さね。昔はもっと賑やかだったんだがねぇ。子分もたくさんいてさ。今では兵隊にとられて帰っても来ねえから、
「それは・・・寂しいですね」
そうでもないよ。と狗鷲は右手で頭を撫でた。それにしても今朝の話だというのに、さすがに耳が早い。炭火が照らす老人の影は家の奥まで続いている。暗くて見えないが狗鷲の根城には底が見えないほどに奥行きがある。
まるで奈落のような場所だった。
「御託はいいからさっさと要件を聞いてくれるか? 麻子のばあさんからだよ。たんと米を用意してくれ」
私は
「こりゃ
悲しいねえ。と狗鷲は一度だけ目を伏せた。そして射抜くように、身を屈めながら私の瞳を見る。
「そんで。例の件は解決したのかい?
私は袖口に手を入れて、歯噛みし頬が歪んだ。どうせ知っているだろうね。と意地の悪い爺さんだと思った。千鳥もいるが、無関係ではない。
それに私はまだ千鳥の口から聞いていなかった。なぜ出刃包丁に追われていたのかと。
ちょうどいい。と私は観念し狗鷲と瞳を合わせる。
「もう知っているだろう。あんたから言われた通り、やはり
「そりゃ単なる偶然だ。ワシはその嬢ちゃんの存在を知らんかった。ワシがお主に頼んだのはこうだ。子供の
ふん。と私が鼻息を鳴らしても狗鷲は私の瞳をじぃっと見つめている。心の奥底を見つめる瞳は苦手だった。煙に巻こうとも狗鷲には通用しないだろう。
私と狗鷲の表情を見比べて、千鳥は首をかしげたのが見えた。
「あの・・・なんだか私のせいですみません。その・・・神隠しって何ですか?」
「嬢ちゃんのせいじゃないよ。この男が未熟なだけさ。それに簡単な話だ。この街で次々と子供が消えていくんだ。街を駆け回り遊んだ後で、黄昏時を迎えると子供が消えていく。話だけではそう珍しいもんでもない。人さらいだってまだいる。その類だと思っていたが、数が増えすぎた。ワシの意図せぬ場所で増え続けておる。それに今ないが財閥の娘だって
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます