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「ホントすっごいねー!その剣さばき、王子様にしとくのがもったいないくらいだよ。あ、そうそう。今日オレがここに来たのは、キミに会うため。それからー……」


男はまるで長年の友人のような気安さでハルカの背中に手を当て、とんと軽く突き飛ばした。よろめいて窓枠に手をつき、ハルカはこの世界で初めて外を見た。そして上空に浮かぶとある物に目を奪われる。


「あれ、は……?」


少なくとも見かけ上はハルカが元いた世界とまったく同じ青い空。疎らに散らばる雲にも異常はない。

しかし決定的に違う物がひとつだけあった。それは、全体を禍々しい黒い模様に覆われた太陽だった。太陽を取り巻く蔦のような模様は、まるで一種の生命体のように脈打ち、蠢いている。そんな状態にもかかわらず、日差しは申し分ない光度と熱量で呆然と見上げるハルカの顔を照らした。


「ハルカ様、光を浴びてはいけません……っ!」


男に向かって剣を構えつつ叫んだアステルの声に、ハルカはようやく我に返った。


「ほーら聖女ちゃん。それがこの世界に巣食う虫けらどもを駆逐する滅亡の光だよ!ま、オレ達にとっては繁栄の光だけどネ!」


男はそう吐き捨てるなり体格に見合った身軽さで窓枠に飛び乗って、あっという間に姿を消してしまった。


「一体何だったの……?いえ、それより今は……。デネボラ!大丈夫?」


ハルカはすぐさま頭を切り替え、アステルとデネボラのもとに駆け寄った。


「問題ありません。傷も軽傷で済みました。アステル殿下、お守りいただきありがとうございます。さすがの剣術ですわ」

「ああ、お前に大事がなくて良かった。後で治療室に行き、傷の手当てをしてもらうといい」

「かしこまりました」


アステルは笑顔で頷いてデネボラに自らの上着を手渡すと、一転して真面目な表情でハルカの方へ向き直った。


「ハルカ様、先ほど短時間ではありますが光を浴びておられましたよね」

「え?はい。そう言えば、さっきの男の人はそれが滅亡の光だ、と……」


昨日、謁見の間でも聞いた言葉だ。思い出したように呟いたハルカの言葉に、アステルは神妙な面持ちで首肯した。


「ええ。今から十年ほど前、禍々しい模様に覆われたソリィル……ハルカ様の世界で言う太陽が放つ光は人体にとって非常に有害なのです。ツキホ様に関するお話が出来ずじまいで非常に心苦しいのですが、今日のところは大事をとってお休みください」

「分かりました。今日はもう休ませてもらいます。その代わり、明日こそは月穂のことを聞かせてくださいね」

「……ええ、もちろんです。では、ご案内のためにポラリスを……」


若干言葉に詰まりながらも、ハルカの願いを聞き入れたアステルが談話室を出て行こうとしたその時だった。突然デネボラの体がぐらりと傾き、赤い絨毯の上にうつ伏せで倒れ伏した。


「デネボラっ!?」

「デネボラ!!」


二人揃って彼女に駆け寄り、ぐったりとして動かない体を抱き起こした。睫毛に縁取られた目は固く閉じられ、呼びかけに一切の反応を示さない。医療の知識がまったくないハルカにも、かなり危険な状態であることが手に取るように分かった。


「顔が真っ青……。デネボラ、デネボラ!! 」

「まさか、あのナイフに毒が……!?くっ迂闊だった……!」

「先ほどおっしゃってた治療室に解毒薬はないんですか!?いえ、それよりも私は治癒魔法が使える聖女なんですよね?だったら……」


ハルカの言葉に、アステルは沈鬱な表情で首を振る。


「聖女様が治癒魔法を扱えるようになるのは少なくとも一つ以上の遺跡に巡礼してからなのです。とにかく今は彼女を治療室まで連れて行きましょう」


言うやいなや、細身だが背丈があり、さらには気絶しているため見た目よりも重そうなデネボラの体を軽々と横抱きにする。


「そう、ですか……。じゃあ他に何か出来ることはありませんか?」

「ありがとうございます。では、私と共に治療室まで来ていただけますか?人手が必要になると思いますので、着きましたら治療師の指示に従ってください」

「分かりました!」


そんな会話をしている時間さえ今は惜しく、二人はデネボラの体に負担をかけないよう配慮しながらも治療室へ続く長い廊下を駆け抜けていく。


「申し訳ありません、本来ならばすぐにでもお休みいただくべきなのですが……っ」

「今はそんなこと言ってる場合じゃないです!王子様、急ぎましょう!」

「はい、ハルカ様!」



治療室に辿り着いた二人は、治療師である老婆の指示に従って忙しなく動いていたが、彼女の表情から察するにデネボラの容態は芳しくないようだ。


「この治療室にある解毒薬は全部試したが、ちっとも効かんわい。おそらく独自に調合した特殊な毒じゃろうて」

「それじゃあ、デネボラは助からないんですか!?」


詰め寄るハルカに、治療師はまあまあと言うように両手を上下してみせた。


「落ち着きなされ聖女様、そうは言うとらん。対症療法頼りになるから、最終的にはデネボラ嬢の体力しだいと言ったところじゃがの」

「そうなんですね……。ごめんなさい、取り乱したりして……」


ハルカの謝罪に、治療師はカッカと笑って首を振った。


「よいよい!デネボラ嬢とは会うたばかりじゃろうに、そこまで心配してくださるとは新しい聖女様も心優しい娘さんのようじゃの」

「ミラばあさま、どうかデネボラを助けてやってください。彼女は私が産まれるよりも前から城で働いてくれている古株メイドの一人なのです。彼女が喪われれば、私を含め多くの者が嘆き悲しむことでしょう」


ミラばあさまと呼ばれた治療師は、老人とは思えないほどの力強さで自分の胸を叩いてみせた。


「任せんしゃい!……しかし、万が一の時は“お力”を貸してもらうがよろしいかの?もちろん全力で治療はするが、薄っぺらい矜持なんぞよりもデネボラ嬢の命の方がよほど大事じゃからな」


ほんの一瞬だけハルカに視線をやりながら、ミラは深い皺が刻まれた目元でアステルの顔を真っ直ぐに見つめた。


「……はい。分かりました。ミラばあさま、どうかデネボラをよろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします。あ……っ?」


ミラに頭を下げた途端、突如として襲ってきた虚脱感に、たまらずその場に座り込んでしまう。


「ハルカ様!やはり滅亡の光を浴びられた影響が……!?」

「わか、りません。異常な状況に体がびっくりしたせいかも……」


朦朧とする意識。ぐらつく視界。

ハルカの意識はそこで途絶えた。

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