4
翌朝に小鳥のさえずりで目を覚ましたハルカは、周囲の状況と自分の状態を交互に見比べて、そっと息を吐いた。実を言えば、すっかり夜が更けた教室で眠りこけているところを迷惑そうな顔の夜警に起こされる、そんな展開も想定していたのだが。
「夢じゃない。でも、と言うことは私、本当に月穂が行ったのと同じ場所に来られたってことだよね」
これはかなり大きな進展だ。薄々もう元いた世界にツキホはいないのではないかと感じつつも、ビラ配りや捜査協力への謝礼等、両親と共に出来る限り妹の捜索に尽力してきた自負はあるが、こうして再会が現実味を帯びてくると、どうしても期待が高まってしまう。しかし彼女が無事ではない可能性が高い以上、悠長に喜んでもいられない。
「あれ……?」
朝だと言うのに暗い室内に日差しを取り入れようと大輪の花の刺繍があしらわれた瀟洒なカーテンに手を掛けた途端、それがあちらの世界で流通していた物より遥かに分厚いことに気付き首を傾げた。布地はやたらと硬く、そもそも左右に開けるような構造になっていなかった。
仕方なく手探りで壁伝いに歩き、レバーを上に引いて照明をつけた。
「ハルカ様。お目覚めでいらっしゃいますか?」
「おはようポラリス、起きてるよ」
軽やかなノック音に続いて、扉の向こうから鈴を鳴らすような可憐な声が聞こえてきた。言わずもがな12歳のしっかり者メイド、ポラリスだ。ハルカの返事を待って客室に入ってきた彼女は昨日と同じく艷やかな蜂蜜色の髪を三つ編みシニヨンに纏め、白いヘッドドレスとベーシックなメイド服を清楚に着こなしていた。
「おはようございます、ハルカ様。とても気持ちのいい朝ですわね」
「うん。私、小鳥のさえずりで目を覚ましたのなんて初めて」
「ふふっ。ユーベルニア城周辺の森に巣作りした小鳥達は、いつも決まった時間に起こしに来てくれますのよ」
年相応の少女のように無邪気に笑うポラリスはとても可愛らしく、一瞬見惚れかけたが、彼女がここに来た理由におおよそ見当がつき、何とか数秒だけ見つめるに留めた。
「ポラリスが起こしに来てくれたってことは、王子様が私を呼んでるの?」
「お話が早くて助かりますわ。やはりツキホ様のお姉様なだけあって、ハルカ様もご聡明ですのね」
「いや、私は月穂と違ってバカだから」
えへへと笑って頭をかくハルカに、ポラリスはふうと息を吐いた。
「ご姉妹を讃えてご自分を卑下なさる癖は、ツキホ様とよく似ていらっしゃいますわね。……お召し物を用意いたしましたので、じっとしていてくださいまし」
「えっ。まさか朝の着替えもポラリスが……」
「当然でございます」
抵抗しても無駄なのは、昨日の湯浴みで嫌というほど学んだ。やはり今日も何もさせてもらえないまま、仕立てがよく上質な生地を使っているからか、見た目より軽くて動きやすい青いドレスに着替えさせられていた。髪型はポラリスとお揃いの三つ編みシニヨンだ。
「ポラリス、この髪型好きなの?」
「え……?ああ、これは昔お母様に教えていただいたんですの。他の結び方も練習中なのですが、まだうまく出来なくて。でも、わたくしとお揃いでは困りますわよね、今すぐ……」
ハルカの頭に手をかけ、シニヨンを解こうとするポラリスの小さな手を慌てて制する。
「待って待って!すごく可愛くて気に入ったから大丈夫!」
「……本当ですか?ありがとうございます、ハルカ様」
愛らしいが、どこか影のある笑顔。
そこに何かあるのを感じながらも、彼女のためにも自分のためにも、そして何よりもツキホのために今は踏み込むべきではないと強く言い聞かせる。頭を切り替え、少々強引に話を本題に戻すことにした。
「さあ、行こうポラリス。王子様のところへ案内してくれる?」
「はい。こちらでございます」
昨日と同じくハルカのやや後方を歩くポラリスに案内されて辿り着いたのは、重厚な猫脚テーブルに瀟洒な誂えの猫脚ソファ。季節柄、今は使われていない煉瓦造りの暖炉。昔に童話で見た通りの『お城の談話室』だった。
「聖女様、どうぞこちらへ」
「ありがとう。あなたは……?」
別の仕事があると去って行ったポラリスに代わり、20歳くらいの茶髪メイドが優雅な所作でソファを勧めてくれる。すらりとした長身の女性で、その背丈はおそらくアステルよりも少し高い。周囲の豪華さに呆然としながら礼を述べて座り、細身に見合わぬ豊満な胸に度々視線を吸われながらも彼女を見上げて尋ねると、彼女は召喚前のハルカ以上に無機質な無表情で一礼した。
「メイドのデネボラと申します。多少ですが裁縫の心得がありますので、修繕が必要な衣服がございましたら私までお気軽にお申し付けください」
「そうなんですね。もし来る時に着てきたブレザーがほつれちゃったりしたら、その時はデネボラさんにお願いします」
その後はメイドに敬称と敬語は不要と言うデジャブなやり取りを挟みつつ、ブレザーとはどういう物かと真剣な眼差しで質問責めに遭った。今度実物を見せる約束をしたところで、さほど大きくはないがよく通る朗らかな声が聞こえてくる。
「おはようございます、ハルカ様。それにデネボラも。早速仲良くやっているようで何よりだ」
「おはようございます。聖女様とは異界の“ブレザー”なる伝統衣装を見せていただく約束をしました」
「それは良かった。お前は相変わらずだな」
輝く金髪にアメジストのような瞳。肩と袖口に金の刺繍が入った仕立てのいい正装。腰に下げられた瀟洒な剣。昨日と変わらず、絵に描いたような王子様がそこにいた。王子とメイドとは思えぬほど気軽な雰囲気で談笑する二人。
ハルカはソファから立ち上がり、アステルに向かって頭を下げる。
「おはようございます。昨日は取り乱して失礼な態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」
「いえ。ご家族に関することですし、無理もありません。私もあれから一晩考えたのですが、ツキホ様に関して何もお話せずにハルカ様のご協力を得ようなどと、あまりに不誠実だと内省いたしました」
「……っ!じゃあ」
ツキホに会わせてくれるのか、と下げていた頭を上げたのも束の間。
突如右手に携えた片手剣で談話室の窓とカーテンを斬り砕いて侵入してきた軽薄そうな細身の男が、空いた左手でハルカの細い首筋を無遠慮に掴んだ。
「へーえ。このコが新しい聖女ちゃんか」
「う……っ」
そのままぐいと後ろに引っ張られ、息苦しさに呻くハルカの全身を、男は値踏みするように見回した。
「この部屋には人払いの結界魔法が張られているはず……貴様、何者だ!ハルカ様を放せ!!」
男は一国の王子とは思えないほどの気迫を放つアステルなど意にも介さず、ニヤニヤと嗤って嘆息してみせた。
「ちょっとちょっと、金髪キラキラ王子様のくせに血の気多くなーい?そんなんじゃ女のコに嫌われちゃうよっ……と!」
助けを呼びに行こうとしたのか、こんな状況にもかかわらず無表情のまま後退り、ドアノブに手を伸ばそうとするデネボラ。男はそんな彼女を一瞥し、ハルカを突き飛ばして片手剣を振り抜いた。
「くっ……!!」
「お?すごいじゃーん!」
アステルは腰に下げた剣を抜き、間一髪の所でデネボラの体を斬り裂くはずだった片手剣を受け止めた。その後は目の醒めるような剣戟が繰り広げられ、甲高い金属音が談話室中に鳴り響く。短時間ではあるが首を絞められていたことによる苦しさで座り込んでしまったハルカは、成り行きを呆然と見ていることしか出来ない。
「多少は剣の腕に覚えがあるのでな。斬り伏せられるか、おとなしく投降するか、好きな方を選ぶといい」
「ここで問題でーす!オレはどうして片手剣を使ってるんでしょーか!?」
文脈も会話の流れもすべて無視した唐突かつ意味不明な発言に、アステルは虚をつかれたように目を丸くする。その一瞬の隙を、男は見逃さなかった。
「正解はー……こうするためでしたっ!」
「デネボラっ!」
心底愉しげな声色で左腕を振りかぶり、あんな目に遭った後もなお人を呼ぶためドアノブに手をかけようとしていたデネボラの胸元に向けてナイフを投げ放つ。
「させるものかっ!」
アステルは驚異的な反射力でナイフを弾き飛ばし、デネボラの左胸に突き刺さるはずだったそれの軌道を変えてみせた。鋭利な切っ先がメイド服を裂き、赤い線が一筋走る。相変わらず無表情のまま顕になった胸元を両手で隠す仕草をするが、どうやら軽傷のようだとハルカはひとまず安堵した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます