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話を聞けるまで問い詰めたいのは山々だったが、ひとまずはアステルの言葉に従うことにし、ポラリスと名乗った少女メイドの案内に従って城内の複雑怪奇な廊下を進んでいる。
艷やかな蜂蜜色の髪を三つ編みシニヨンにし、白いヘッドドレスとベーシックなメイド服に身を包んだ推定十二、三歳くらいの彼女は、姿勢よくハルカのやや後方を歩いている。
「随分と入り組んでるのね……」
「ユーベルニア王国は夜空に輝く星のように美しい宝石が数多く産出されますので、他国から攻めいられることも多かったのです。敵の進軍を僅かでも足止め出来るよう、このように複雑な設計になっているのですわ」
まだあどけなさが残る容貌にもかかわらず、鈴を転がすように可憐な声が紡ぎ出すのは貴族令嬢のように穏やかで上品な言葉遣いだ。やはり城で働くメイドともなれば、それなりの品格が必要らしい。
「そうなんだ……すごい。何よりとっても綺麗なお城だね」
「ええ。心より同意いたしますわ」
ハルカは感心したように頷きながら、興味深げに辺りを見回した。それほど学がない彼女には城の建築様式は一切判別出来ず、ツヤツヤした大理石の床と真っ白な壁と精巧な金の装飾と、高級そうだが慎ましやかに壁を飾る色とりどりの宝石が綺麗と言うことくらいしか分からない。
ふと視線を感じ振り向けば、ポラリスがじっとこちらを見つめていた。零れ落ちそうなほどに大きな飴色の瞳からは、憧憬、寂しさ、不安等の様々な感情が読み取れた。
一瞬疑問に思ったが、出会ったばかりの相手を深く詮索するのは控え、ただ微笑むだけに留めた。
「ポラリスちゃんはまだ小さいのに、しっかりメイドさんのお仕事しててすごいね」
「ハルカ様、メイドに敬称は不要ですわ。それにわたくしはもう十二歳です。小さくありません。立派なレディですの」
ポラリスは、可愛らしくふふんと胸を張る。
十七年間日本で生まれ育ち、当然王族とは縁も縁もないハルカの預かり知らぬ所だが、本来メイドが仕えるべき相手に対してこのように反論するなど有り得ない。それこそが彼女が持つ幼さの象徴なのだが、もちろんハルカは咎めることなく笑った。
「それは失礼、ポラリス。……それにしても、こんなふうに誰かと話すのは久しぶり。王子様相手にたくさん大声出しちゃったからかな、少しだけ吹っ切れたのかも」
「お……大声を?王族に対してそのような振る舞い、アステル殿下が寛大な御方でなければ厳重な処罰を受けていましたわよ」
片目を瞑ったポラリスの指摘に、今更ながら事の重大さに気付いたハルカの血の気が引いていく。
「それだけじゃなくて、手まで払いのけちゃった……」
「まあ。しかし先程はああ言いましたが、もし何か深い事情があっての行為なら、咎められるようなことは無いはずですわ。この城にいらっしゃるのは皆お優しい方ばかりですから」
そんな会話をしているうちに、気が付けば湯殿へと辿り着いていた。ちなみにハルカは通ってきた道を一切覚えていない。恥を忍んでそう申告すると、それでいいし、そういうものだとポラリスは得意げに言う。
「この城には、複雑な設計の他に……」
「オホンッ!!」
どこからともなく聞こえてきた女性の物と思われる咳払いに、何か言いかけていたポラリスの体がびくっと硬直する。
しばらく警戒するように周囲を睥睨していた彼女は、もう何も聞こえないのが分かるとほっと胸を撫で下ろした。
「まったくメイド長の耳はどうなって……いえ、申し訳ありません。さあ聖女様、湯浴みに参りましょう」
「(言っちゃいけないことだったのかな……?)うん。ポラリスも一緒に入るの?」
「ええ。湯浴み中のお世話はすべてこのわたくしがさせていただきますわ。聖女様ご自身は何もなさらず、ごゆるりとお寛ぎくださいまし」
何気なくした質問に対して流麗なカーテシーと共に返ってきた答えに、今度はハルカが硬直する番だった。
「え、まさか着替えや体を洗うのも……」
「当然でございます」
さすがにちょっと、せめて体を洗うのだけはと押し問答を続けた末に、十二歳の可憐な美少女とは到底思えないほどの力強さでどんどんと事を進められて行き、結局ハルカは何もさせてもらえないまま信じられないほどふわふわなバスローブに身を包まれていた。なおポラリスはメイド服を着たままだったのだが、何をどうしたのか一切濡れていない。
そしてまたもや気が付けば、としか形容出来ないほど有無を言わせない手早さで丁寧に髪を梳かれて乾かされ、とんでもなく上質なベッドに倒れ込んでいた。こちらもまた信じられないほどふかふかだ。そこまで体重がないはずのハルカの体がどんどん沈んでいく。
「つ、つかれた……」
「……?湯浴みの後だと言うのに不思議な御方ですわね。もうお休みになられますか?」
ハルカは心底不思議そうに首を傾げるポラリスに気付かれないように苦笑いをし、白い手足をぐっと伸ばす。
「うん、そうしよっかな。その前にひとつだけ訊きたいんだけど、いい?もちろん答えられないことなら答えなくていいからさ」
「……?ええ。わたくしにお答えできることであれば」
背筋がぴんと伸びた完璧な姿勢でベッドサイドに控えるポラリスは、少し不思議そうに首を傾げながらも頷いてみせた。
「あの方が第二王子ってことは、第一王子がいらっしゃるはずでしょ?姿を見かけなかったなって」
「……第一王子アディル殿下は、地方活性化に注力なさるため、2年前より城を空けておられますわ」
ポラリスの返答に、ハルカは違和感を覚えて首をひねる。
(多分、地方の活性化は都市部においても重要なんだろうけど……でもだからって第一王子が2年もお城を空けるなんてことあるのかな……?)
立場上何も言わないが、表情から察するにポラリス自身も王子が不在の理由に釈然としていないようだ。しかし真相が別にあるとしても、ここで深く突っ込んでも無意味と考え、就寝の挨拶をするために伏せていた顔を上げると、彼女は何か言いたげにもじもじと視線をさまよわせていた。
「……あの。恐縮ながら、わたしくからも聖女様にお伺いしたいことが」
「うん?私で答えられるかは分からないけど、何でも訊いて」
そう返した後も、ポラリスはしばらく俯いたまま何も言わない。まだ極々短い付き合いだが、堂々とした彼女らしくないと思いつつ辛抱強く話し始めるのを待った。
「……聖女様は、前の聖女様……ツキホ様の、ご姉妹なんですわよね?」
「月穂は双子の妹だけど……ポラリス、あの子に会ったことあるの!?」
思いもよらない言葉に掴みかからんばかりの勢いで詰めよれば、ポラリスはびくっと肩を震わせて一歩身を引いた。それに一言謝罪すると、彼女は小さく頭を振って居住まいを正した。
「え、ええ。ツキホ様は3年前、メイド見習いとして城に来たわたくしにとても良くしてくださいましたの」
「そう……。3年前って言うと、月穂もお城に来たばかりだったのよね」
思わぬ所から月穂の話が聞けたことに高鳴る鼓動を押さえ込みつつ尋ねると、ポラリスは首肯する。
これでひとつ合点がいった。彼女がハルカを見つめていた時の憧憬が混じったあの表情は、ツキホの面影を感じての物だったのだ。
「はい。初めてお会いした時のツキホ様は『ポラリスちゃんはメイド見習いなんだ。私も聖女見習いだから、お揃い。どうぞ仲良くしてね』と微笑んでおられました」
「月穂らしいな……。私のことは、何か言ってた?」
これを聞くのは少し勇気がいった。しかしここで躊躇していては、これ以上ツキホの話を聞けないかもしれない。意を決して尋ね、ポラリスの返答を待つ。
「とても運動が出来て、自分などとは比べ物にならないほど素敵なお姉様がいらっしゃると何度か話してくださいましたわ。でも……」
「自分を卑下するクセがあった」
間髪入れずに続けた言葉に少し驚いたように目を丸くしながらも、ポラリスは小さく顎を引いた。
「……ええ。ツキホ様はお優しくて、とても素敵な方でしたのに、あまりご自分に自信がないようで。そう何度もお伝えしたのですが、ついぞ納得していただけませんでしたわ」
「そう、なんだ。やっぱりあの子は、ずっと……。月穂のこと、色々聞かせてくれてありがとう。私そろそろ寝るね」
あまりにも唐突すぎて、まるで突き放すようだとハルカは少しばかり申し訳なく思ったが、今は早くこれまでに得られた情報を整理して月穂のことを考えたかった。ポラリスもそれを察してくれたのか、柔らかく微笑んで一礼する。
「かしこまりました。聖女さ……いえ、ハルカ様。ごゆっくりお休みくださいまし。照明は壁のレバーを下に引けば消えますから」
「……!うん、ありがとう、ポラリス。また明日ね」
初めて名前を呼ばれたことに驚く。
仲良くしていたツキホの姉妹だから、少しでも気を許してくれたのだろうか。そうであれば嬉しいと思いつつ手を振ると、彼女はまた一礼して部屋を出ていった。そして静かに扉が閉じた。
ハルカは一人きりになった部屋でベッドに寝転んだまま、考えを巡らせる。
(……ポラリスの口ぶりと寂しそうな表情からして、もう随分長いこと月穂には会えてないみたい)
これは確定だろう。その証拠に、ツキホに関する言葉はすべて過去形だった。
(そして王子様は『月穂には会わせられない』とおっしゃってた。あの子に何かあったのは間違いない)
会わせられないが、ツキホは生きているとも言っていた。つまり死亡以外の重篤な状態に陥っている可能性が高いと言うことだ。最愛の妹が今も苦しんでいるかもしれないと思うだけで心が痛んだ。そして否が応でも頑なに事情を話してくれなかったアステルへの不信感が募ってしまう。
(それと、王子様のお兄さん……。第一王子は2年前から地方活性化のためにお城を空けてるのよね。でも、王子様がそんなに長い期間なんて、やっぱりおかしい。もしかして、月穂のことと何か関係が……?)
残念ながらペンとノートは通学カバンの中に置いてきてしまったので、メモを取ることは出来ないが、拙いながらも自分なりに考えを纏めていく。
「会いたいよ、月穂……」
小さく頭を振って、今日はもう眠ろうとポラリスから教えられた壁のレバーを引くと、途端に室内が真っ暗闇に包まれた。
ハルカはもぞもぞとベッドに潜り込んで目を閉じる。このまま起きて夜を過ごしていれば、せっかくのふかふか枕を涙で台無しにしてしまいそうだったから。
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