終章 愛こそはすべて

 雨宮さんに連れられて自分の病室に入った。

 雨宮さんは看護助手だが表向きは俺と関係が薄いのでカーテンをめくってくれるだけだった。いつも身体に繋がっていたバイタルモニターを見ると、脈も血圧も呼吸も安定していないようだった。

 親父も母さんも美樹も俺の病室には集まっていた。

 皆が交代で俺の手を握っている。

 感情が爆発した。

『俺みたいな出来が悪い息子いつ死んだっていいだろ! 悲しんでるふりしてんじゃねえよ!』

 病室から出ると雨宮さんに言われた。

「お前ほどの親不孝者、見たことないよ」

『……』

 家族の顔をそれ以上見たくなかったので、雨宮さんが眠る仮眠室で一緒に眠った。

「頭の中に入れ」と小声で雨宮さんが言う。

『お前、あんな場面見て、まだ愛されてないとでも思ってるのかあ?』

『はい』

『とんだ捻くれ者だ。お前なんて死ねばいいんだ』

『ほんとそうですよね』

 朝になって病室へ行くと妹は簡単なソファの上で眠っていた。他には母親しかいないで、親父は医師用の仮眠室できっと眠っているのだろう。

 自販機の飲み物すら買えないが病院の中を徘徊した。

 俺と同じようにバイタルモニターをつけられた人達もたくさんいた。みな一様に生きようとしていた。

 何時間も病院を徘徊した。

 雨宮さんに見つかる。

「最後かもしれないんだから、出来るだけ家族と一緒にいろ」

 いつの間にか親父も起きてきたのか、家族が勢揃いだった。

 雨宮さんも見つかってしまった。

「一年以上お世話させていただいてましたから。家族ではないですが、助かって欲しいです」

 彼女は親父にそう言った。

「ありがとう。そう言われると息子も喜んでいると思いますよ」

 喫煙室で雨宮さんと少し話した。

『時間外に病院にいても給料にならないでしょう。家に帰らないんですか?』

「お前のことが心配なんだよ。金は関係ない」

『そうですか……』

 一人で中庭に出た。子供達が遊んでいたり、看護師が洗濯物をしたりしていた。

 俺は死ぬかも知れないのか……と感慨を噛みしめていた。

 最後に雨宮さんと仲良くなれた以外、報われない人生だったな……なんて自己憐憫を感じた。

 瞬く間に夜になった。

 病室へ行く。

「お父さんとお母さんが兄さんを追い詰めるからこういうことになるんだ!」

「そうだよ私達が悪いんだよ」

 親父は美樹の頬を張った。美樹は膝をついて泣き崩れた。

「……お茶淹れてきます」と母親が病室から出て行く。

 また雨宮さんと二人きりの喫煙室で話した。

『俺の人生なんだったんでしょうね』

「知らねえよ」

『少しは優しくしてくださいよ』

「男は優しくされるんじゃなくて、優しくする生き物だ」

『……』

 雨宮さんが喫煙室から出るので俺も慌てて外へ出た。

 不思議なことにもうすぐ死ぬかもしれないというのに、俺の幽体の方はぽかぽかと温かくなってきていた。脱げる物ならもう何ヶ月も身体に張りついて脱げないパジャマを脱いでしまいたかった。

 翌日の夜。病院内を徘徊していたら雨宮さんに見つかった。

 彼女は肩で息をしていた。

「峠だとよ。せめて見届けなよ」

 病室に行くと、三人とも不安な表情をしていた。美樹は泣いているし親父と母さんも身体を震わせている。

 だが俺の身体はキラキラ光っているように見えた。

「お前、今なら戻れるってことだよ、身体に戻れよ」

 三人が不思議そうな顔で雨宮さんを見る。

『いや……別にいいですよ』

 だが幽体の方も心が温かくなっていた。

「高校も中退で好きだった人には死なれて、それでも生きてるあたしが滑稽だっていうのかよ! あたしの人生までも否定するのか!」

「君は何を言っているんだ……?」

 親父は病室の入り口前で叫んでいる雨宮さんを不審に思っているようだった。

 本当は気づいていた。頭の出来が少し家族に比べて悪いだけで、俺は十分に愛されて育ったのだ。

 俺のまわりにはいつも愛があった。

 涙が出てくる。

『雨宮さん、ありがとうございます』

 俺は幽体を自分の身体に重ねた。

 その瞬間、俺は目を開くことができた。

「正樹!」

「兄さん……!」

 身体を動かそうとすると痛かったが、俺は自分の身体に戻ってこられたらしい。

 妹は感極まって俺の身体を布団の上から抱いた。

 後のことは医者の親父がやった。

 親父は横顔しか見せてくれなかったが泣いているようだった。


 翌日から理学療法士の元、リハビリが行われた。呼吸が出来て点滴の他にペースト状の高カロリー食が食べられるだけで、俺は身体を殆ど動かせなかった。

 理学療法士の人はお湯の中でゆっくりと俺の身体を動かすところから始めてくれた。

 病室で暇な時間は、毎日雨宮さんや妹がきてくれて、絵本を読み聞かせてくれたり、話し相手になってくれた。

 ある日親父と母さんが話をしにきた。

「自殺なんかして……そんなに嫌なら嫌って行ってくれれば無理に医者になれなんて言わなかったよ」

 母さんは言葉にならず泣いている。

「いや、俺も医者になりたかったからさ。なれないでカっとなって衝動的に飛び降りちゃっただけだって」

「そうか……」

「何年かかっても親父みたいな医者になるよ」

「わかった。でも無理はするなよ」

 しばらくして胃腸の状態が回復してくると、母さんは手料理を家で作ってもってきてくれた。昔は忙しいのに料理を作ってくれる母親だったのだ。妹もクッキーやパウンドケーキなどを作ってよく持ってきてくれた。ろくに身体も動かせないし、俺はぶくぶくと太ってしまった。退院できたらダイエットしようと思う。

 脚はまだ上手く動かせないが、腕がある程度動くようになるとベッドの上で俺は受験勉強をするようになった。身体が元通り動かせるようになるまで少なくとも一年はかかるため、気が楽だ。きっと来年度は受験できない。

 連絡はしていなかったがアタルがお見舞いにきた。その次の日はノートパソコンとエロゲを持ってやってきた。俺も元は多浪していた人間なので、そっち方面もズブの素人というわけではなかった。あまりハマらないようにセーブしてるだけで好きな方だ。

 雨宮さんもよく病室に遊びにきた。煙草まで勧められるから車椅子生活なのに喫煙所で煙草を吸うようになってしまった。

 一年間くらいは病院で生活するものかと思っていたが、親父が家をバリアフリーに改築したので、俺は車椅子のまま家に帰れるようになった。

 退院する日、沢山の病院関係者達に見送られた。

 最後に雨宮さんから携帯の番号を聞いた。

「お前はあたしに惚れてる」

「別に惚れてはいないっすよ」

 親父のエスコートで車に乗り込み、俺は実家へと帰って行った。


 しばらくしたある日、車を買ったと雨宮さんから連絡がきて、山上タツさんの墓まで行くことになった。家まで迎えにきてくれて車椅子は雨宮さんが押してくれた。

「車まで買うってことは俺のこと好きなんじゃないですか?」

「ち、ちげえよ。雨の日バイクだとしんどいからだよ」

 雨宮さんの仕事が休みの日はよく実家まできてくれた。場代を払うのもばかばかしいからと、アタルも呼んで手積みの三人麻雀をよくやった。西野さんがいなくてアタルは時折寂しそうな表情をした。

 病院へリハビリには毎日のように行っていた。まだ少しふらつくが、目を覚まして一年ほど経って途中松葉杖の生活も経て歩けるようになった。

 またこれで俺は元通りの医学部浪人生だ。予備校にも通うし、近頃では中免もとってよく雨宮さんのアパートに飲みに行っていた。あれだけ一緒にいたのだから他人だと思えないのか、酔っ払うと彼女はアパートに俺を泊めてくれた。

 家では妹によく小言を言われた。

「兄さん遊んでばっかり。早くしないと私が医者になっちゃうよ」

 妹はストレートで医大に合格していた。

 エリート中のエリートだ。

 だが美樹の優しさも努力も知っているので俺は少ししか嫉妬しなかった。

 今日は特別な日だ。俺が幽体として雨宮さんに出会ってから丁度二年経った日だった。十二月の寒さは生身にはしんどい。でもこれが生きているということだ。

 事前に連絡していて、仕事が終わる時間に彼女のアパートへ行った。

「俺と付き合ってください」

「最初っから同棲までして付き合ってたようなもんだしな……いいよ別に。その代わり」

「なんですか?」

「一生可愛がれよな。あと歳上扱いもするな」

 俺はクスリと笑う。

「わかったよ、乙音」

「うわー、恥ずかしい……でも好きな人に名前で呼ばれるのはいいもんだな」

「これからもよろしく」

「子供をどうするかは早めに決めろよ。あたしもうおばさんだし」

 そう言って彼女は煙草を吸う。俺も彼女から教わった煙草に火をつけた。本格的に妊活するようになったら止めてくれればいい。

 いつでも彼女が吐く息は誇り高くそれでいて庶民的で優雅な匂いがした。


 了

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幽体と看護助手 三冬咲太 @mifuyusakuta

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