五章 ヲタクの戦士と幽霊ちゃん
久しぶりに雨宮さんの元に帰ってきた俺は、スクーターの後ろに乗って移動して、いつもの墓参りに付き合った。
雨宮さんは決して墓の前で泣くことはなかった。タツさんが亡くなったのはそんなに昔なのだろうか。雨宮さんに少しは好意を抱いている俺は、若干の嫉妬を覚えた。
仕事が連休らしく、夜になるとまた雨宮さんは特攻服を着て高速道路を走った。彼女は特攻服を何着も持っているらしく、少なくとも五種類の特攻服を俺は目にしていた。振り落とされそうで怖かったが、幽体の状態で三段シートに座っていた。
「正樹い、楽しいかあ!」
雨宮さんがバイクを飛ばしながら叫んだ。
車と車の間もすり抜ける。
『まあ、それなりに楽しいですよお!』と俺は答える。
「身体に戻れたら絶対にツーリングしようなあ!」
『ええっ、それはちょっと!』
「ちょっとじゃない! おばさんがバイクのこと色々教えてやるからなあ!」
『雨宮さん歳いくつなんですか! 本当のこと教えて下さいよお!』
「二十五歳だよバアカ!」
『全然若いじゃないですかあ!』
「嘘に決まってるだろ! 騙されてんじゃねえよ! 三十代。これ以上は教えてやらねえよ!」
いつものサービスエリアにつくと、雨宮さんはまたラーメンを食べ、灰皿の前で煙草を吸った。
アパートに帰ろうとすると雨が降ってきた。俺は濡れないが、バイクをかっ飛ばしても雨宮さんはずぶ濡れになってしまった。
彼女は帰ってくるとシャワーを浴びた。生々しい音が聞こえてきて、少しいけない気分になってくるが俺は幽体だった。触れて力を加える、ただそれだけのこともできない。
十四日にはホワイトデーなので、雨宮さんは美樹にチョコレートのお返しをあげていた。
最近は寝ている雨宮さんの身体を借りたり、アタルのマンションで勉強をしたりしているのだが、こんなことして何になるという気持ちでいっぱいだった。だいいち俺はまだ身体に戻れるのかどうかもわかっていない。
ある日インコさんから連絡があって、スナックの手伝いをしてほしいらしかった。金になるということで雨宮さんは送迎の車がくるとスーツを着てスナックに出かけた。
化粧を済ませた雨宮さんが更衣室から店に出てくるとインコさんは言った。
「今日は客が多いから呼んだわけじゃなくて、ホステスが何人も無断欠勤したから呼んだんだ。出来たら客を電話で呼んでよ」
「仕方ねえなあ」
雨宮さんは電話で浅井さんとアタルを呼んだらしかった。
やってきたアタルには適当な若いホステスをつけて、浅井さんの相手は雨宮さんがした。
「よう、強姦魔」
雨宮さんがそう言うと、店で遊んでいた客の視線が集まってきた。
「姐さん勘弁してくださいよお、俺だって普段着ないスーツ姿で気合い入れてきているんですから」
「でもお前、この前、あたしが抵抗しなかったら最後までしてただろ。知ってるぞ、ああいうのデートレイプって言うんだろ」
「本当にあのときはすいませんっした!」
浅井さんは勢いよく頭を下げた。
「別に気にしてねえからいいよ。取りあえずボトル入れろ」
「……飲み放題の酒で十分なんですけど」
「インコだって昔の仲間だろ。儲けさせてやれよ」
「じゃあサントリーオールド……」
「ありがとうございました! インコ! サントリーオールド、ボトルキープ入ったよ! 名札とペン持ってきて!」
「はあい」
インコさんはそう言って、ボトルに下げる紐付きの名札とペンを持ってきた。
「姐さん書いて下さいよ」
「いや、お前が書け。あたし漢字苦手だし字が汚いんだよ」
「わかりました……」
俺は暇なのでアタルが通された席に行った。
幽体だが西野さんも来ているようだった。
アタルはホステスに色恋営業をかけられていて、ドレスから剥き出しの肩を密着させられていた。所詮は二次元オタクなので同じ趣味を持たない人とは上手く話せないようだった。
すると西野さんがアタルの頭の中に入っていった。
「ババア、気持ちわりいんだよ、それ以上くっつくとクレーム入れるぞ」
アタルの声だったが、西野さんが制御を奪って言ったのだろう。
「ごめんなさい! おれはそんなこと言ってませんから! えっと、その、おれ、二重人格なんです」
「あははは! あっちゃん面白ーい。もう一杯お酒貰ってもいいですかあ?」
「うるせえ、水でも飲んでろタコ……すいません、また二重人格の方です」
「わたしの方がホステスだけどそういうイメージプレイだと思って楽しませてもらうわ」
「……」
タフで場慣れしたホステスだったので、西野さんはそれ以上いたずらせずに黙っていた。
お店が閉まる時間になって、雨宮さんはべろべろに酔っ払っていた。アパートまで送迎してもらう。
何故だか西野さんもついてきた。
『なんで男は女を抱くためだったりお酒を飲んでお話するためのだけにお金を払うんですか!』
『さあ……』
広いワゴン車の中で西野さんはまるで酔っ払ったかのように文句を言う。
『どうせ秋葉さんだってそういう人間なんでしょ』
『違うよ、自分一人で夜のお店に行ったこともない』
『友達とならあるということですね?』
『……』
俺は火に油を注ぐだけだと思い、それ以上何も言わなかった。とくに女だってホストに貢いだあげく風俗に落ちる人間だっているでしょ、とは言えなかった。
翌朝雨宮さんと病院まで行った。昨晩アパートまで来た西野さんも一緒に来た。二人で待合室でテレビを観ていた。
お昼になる少し前にアタルがやってきた。
「お世話になっている人のお願いを断れなかったんだ、許してよ」
『わたし知ってるんですからね。引き出しの中に風俗嬢の名刺のコレクションが入ってましたし』
「それは……」アタルは少し黙って「彼女ができたからもう行きません。許してください」と頭を下げた。
『ならキスしてください』
俺や雨宮さんにしか見えないのだろうが、俺には二人がとてもバカップルに思えた。
大学の春休みは三月末までなので、アタルはアルバイトがない日や時間は西野さんと遊び回っていた。俺は相変わらず、病院と雨宮さんのアパートの往復だ。妹ももうすぐ春休みだろうに、それでも毎日面会に来ていた。
親父と母さんも、まだ俺の身体に話しかけていた。自分の近況や俺へのお願いごとを喋っていた。
「医者になんかならなくていいから起きてくれ」などと言っている。
今更都合の良いことを言う親だ。
親の都合で医者を目指していた俺だが、さすがに何年も浪人すると執着する気持ちも芽生えていた。
その日の午後アタルと西野さんが病院内をうろつく俺を見つけて近づいてきた。
「外に聞こえるとまずいから、頭の中に入れ」
アタルがそう言うと西野さんは一旦外に出た。
『ソラの奴処女のまま死んだから、一度くらいセックスしたいんだと』
『それは無理だろ……』
『雨宮さんの身体を借りれば無理じゃない』
『たしかにそうだけど……』
『今夜雨宮さんのアパートに行くから』
その日の夜、高い酒をいっぱい持って雨宮さんのアパートにアタルと西野さんはやってきた。
普段我慢している高いウィスキーや高い焼酎を見て、雨宮さんは目を輝かせた。
「これ飲んでいいのか!?」
「どうぞどうぞ、雨宮さんのために持ってきたんですから」
「いやあ、悪いなあ。まずは水割りからかな」
「炭酸水も持ってきたのでハイボールも作れますよ」
「うひょう! 至れり尽くせりだな」
そしてアタルは自分は殆ど飲まないで雨宮さんに死ぬほど酒を飲ませた。
雨宮さんの本気で酒を飲むペースに俺は引いてしまい何も言えなかった。俺だったら水だってこんなにガパガパ飲めない。
そしてアタル達の目論見通り、雨宮さんは酔いつぶれて眠ってしまった。
西野さんは慌てて雨宮さんの身体の中に入って、主導権を奪ったようだった。雨宮さんがよく着ているパーカーとジャージを彼女は脱いだ。
「……頭の中で雨宮さんがコラア! って怒ってます……あ、ちょっと、話し合いましょう、あっ!」
雨宮さんの頭からポンっと西野さんの幽体が出てくる。
「お前今度そんなことしてみろ、アタルのことをボコボコにしてライターで耳あぶって、あそこに根性焼き入れるからな!」
それだけ言ってまた雨宮さんは眠ってしまった。
その日は西野さんとアタルと一緒に、彼が合格した大学に遊びに行くことにした。雨宮さんのアパートや俺の身体が眠っている病院、商店街から一番近い駅で電車に乗り込んだ。二十分ほど電車に揺られて、少し歩くと正門から大学のキャンパスに入れた。まだ春休み中なので殆ど人の姿が見えない。
少し歩いて、アタルはまず購買を俺と西野さんに紹介した。
「漫画も売ってるしラノベも売ってる。食べ物や筆記用具なんかも売ってるし、コンビニみたいなものだな」
『へえー』
西野さんは広めのコンビニほどもある購買内を歩いて、色々な商品を眺めた。俺も色々見るのだが、物を掴めないので商品の細かい部分は見られない。アタルは西野さんにつきっきりで俺の相手はしてくれない。
地元を出るのが遅かったため、もう昼時だった。広い学食の中に入り券売機で食券を買うと、カウンターでおばちゃんに食券を渡した。殆ど待たずに牛丼が出てくる。
『お前、西野さんに選ばせてやれよ、彼氏だろ』
「ああっ、ごめん。いつもの癖で……安いし美味いし肉多いし……」
『いいですよ。わたし牛丼好きです』
それからアタルは西野さんに身体を貸した。アタルの身体で牛丼を食べる西野さん。彼女はそれをゆっくりと時間をかけて完食した。
それから木々も多く植えてある敷地内を歩き、いくつもある建物の中の一つに入った。遊園地くらいすっぽり入るのではないかと錯覚するくらいアタルの通う大学のキャンパス内は広かった。
大学内の図書館に入ると、そこは天井が高く、春休み中でもちらほら人がいた。
「ネットカフェじゃないから漫画はないけど、こういうのはあるんだぜ」
そう言ってアタルはライトノベルが置いてある棚の前にきた。正直俺は興味なかったが、西野さんは『これ読みました。これも。これも』と文庫本の背を頻繁に指さした。それなりの時間図書館で過ごすと、次は体育館に行った。そこではゼッケンをつけたバスケット部員が練習で青春の汗を流していた。少し羨ましくなった。両親が医者じゃなかったら、俺もスポーツをやっていたかもしれないと、筋肉に乏しい体つきの責任を両親に擦り付けた。病院のベッドの上の俺は、記憶している自分の身体よりさらに筋肉がないだろう。
それからも情報処理室や講義室、室内プールなどを見学してから俺達は夕焼けを背に地元へと帰っていった。
帰りの電車の中で西野さんが涙を流した。
『今日はとても楽しかったです……一生の思い出です』
「まだ思い出は作れるさ」
アタルは決して触れられない西野さんの肩を抱いた。電車の中も夕焼けで温かい色になっていた。
帰りの途中、アタルの頭の中で西野さんが眠ってしまった。俺は彼の頭の中で言う。
『西野さんはいついなくなるかわからないんだからな。覚悟はしておいた方がいいよ』
『……わかってるよ』
アタルの視界を通して見える景色はどこかもの悲しげに見えた。
雨宮さんが休みの日、前にアタルの部屋から持ってきた古めのゲーム機で幽霊達も合わせて四人で格闘ゲーム大会をした。雨宮さんは格ゲーくらいやりそうなものだが、からっきし弱かった。初心者三人はオタクのアタルに誰も勝てなかった。彼はわざと弱いキャラを使っているのだが、それでも十分強かった。
まだ昼間だが、雨宮さんは酒を飲んだ。
「お前、この間、あたしの身体とやろうとしたよな」
「さあ……どうでしょうねえ」
「いくら好きな人とやりたいからって、もう少しプライドを持ちなよ。こんなババアの身体じゃ嫌だろ」
「いや、おれ、結構雨宮さんみたいな女性タイプです」
西野さんが雨宮さんの身体に憑依したらしく、アタルの膝をぎゅーっと抓った。
雨宮さんはまだ酒を飲んでいる。アタルも外が薄暗くなったくらいから飲み始めていた。
夜になっても西野さんとアタルはマンションに帰っていかなかった。
酔っ払ったアタルは「おれと正樹どっちがタイプ?」などと西野さんに聞いた。
『それは秋葉さんですね。わりとイケメンじゃないですか』
「おれは……?」
『三枚目に思えます。でも一番好きな人の顔です』
アタルは酔いつぶれて、西野さんが身体の主導権を借りてマンションまで帰って行く。
「あたし達も寝るか」
『そうですね』
ベッドの上で寝ている雨宮さんに聞いた。
『今更ですけど雨宮さんは過去に何があったんですか?』
「教えねえよバーカ」
それからほんの少しで雨宮さんの規則正しい寝息が聞こえてきた。
深夜、彼女は目を覚ました。星が沢山描かれているパッケージから煙草を一本取りだして火を点けて吸い始めた。
『どうかしましたか?』
「酒飲みすぎて眠りが浅くなっただけだよ」
翌日、雨宮さんは普通に出勤して行った。俺も一緒にアパートの外へ出る。
身体がないことには散歩と何かを眺めることと考えることくらいしかできないので、アタルのマンションの玄関まで行って出てくるのを待っていた。昼食でも買いに行くのか、西野さんと一緒に彼は出てきた。俺は勝手にアタルの身体の主導権を奪った。
『勉強させてくれないか?』
『それはまあ構わないけど。でもバイトの時間になったら身体返せよ』
『わかった』
アタルの身体でコンビニ弁当を食べて勉強をした。
こんなわけのわからない問題が解けても医学部には合格できないのかと西野さんが驚いている。
午後四時を過ぎて、身体を返すとアタルはアルバイトに出かけて行った。
身体はないが、アタルがテレビを点けっぱなしにしておいてくれたので、西野さんと二人でたまにお喋りをしながらずっとテレビを眺めていた。
夜十時半頃にアタルがアルバイトから帰ってくる。
彼は雨宮さんに連絡を入れて、一緒に酒を飲むことになった。
『浮気ですか?』
「いや、雨宮さんの身体があればソラも酒が飲めるじゃん」
『それはそうですけど……』
「疑ってるの?」
『はい』
「おれが好きな女はソラだけだよ。二次元には嫁が沢山いるけどね」
『それは別にいいです。わたしもそうですから』
アタルのロードバイクで雨宮さんのアパートへ行くと、彼女は既に結構飲んでいるようだった。西野さんも少しの間雨宮さんの身体を借りて、二杯ほど焼酎の麦茶割りを飲んだ。
その日どういうわけか雨宮さんはとても早いペースで飲んだ。
箪笥から黒地に金色でいろいろ書かれているジャージを取り出した。
「この服に着替えてくれ」
「はあ……」
アタルはヤンキーくさいジャージに着替えた。サイズはほぼぴったりだった。
「タツ……!」
雨宮さんはいきなり服を脱いで下着姿になった。パンツすらずらした。
「タツがいなくて寂しいからあたし、骨盤に小さな竜を入れたんだよ!」
雨宮さんの普段服と下着で隠れる骨盤の部分には黒い小さな竜が掘られていた。
アタルはあまりのことに言葉を発せられない。
「もう何年もしてないんだ。エッチしようよ」
下着姿で前からアタルに抱きつく雨宮さん。
『だめー!』と叫んで、西野さんは無理矢理雨宮さんの身体の主導権を奪った。
「雨宮さん眠ってしまいました……」
さすがに今から帰らせるのは悪いので、雨宮さんには悪いがアタルを勝手に泊めた。
雨宮さんはその日夜勤らしく、起きると朝からやきそばを作って、アタルの身体を借りている俺に食べさせた。
「どうした? 昔はもっとマヨネーズかけてたじゃん」
俺はよくわからないが、雨宮さんのイメージプレイに付き合ってやることにした。焼きそばに大量のマヨネーズをかけた。
マヨネーズは嫌いじゃないので、普通に完食できた。
それから雨宮さんは部屋の掃除をした。
「よく一緒に風呂入ったよね」
そう言われるが、タツという人がどんな口調だったか知らないので適当に返事した。
「そういう気分じゃねーんだよ」
西野さんはおっかなびっくり俺達を見守っている。
「あたしはこれから仕事だから飲めないけど、タツは飲みなよ」
朝っぱらから雨宮さんは酒を勧めてきた。
『飲んでいいぞ』
身体の主のアタルがそう言うので、俺はこの間の高いウィスキーや焼酎をチャンポンで飲んだ。すぐに酔っ払ってしまう。
酔っ払って隙が生まれたのか、雨宮さんは泣きながら「好きだよ……まだ好きだよ」と俺を抱きしめた。アタルの身体だったので西野さんが何やら怒っている。
そして昼にはまた焼きそばを作って、俺の腕枕で眠ると時間がきて雨宮さんは出勤していく。
雨宮さんがどういう状態なのかわからなかったので俺もついていく気にはなれなかった。
やっとアタルの身体から俺は出られた。
「雨宮さんどうしたんだろうなあ?」
『さあ……』
『今まで寂しかったんだと思いますよ』
それはそうなのだろうが、雨宮さんは本気でヤンキーチックなジャージを着ただけのアタルを〝タツ〟だと思ったのだろうか。
『雨宮さん狂ったのかな』
『まさか! あんな強い女性がいきなりぶっ壊れたりしませんよ』
それから俺達はアタルの身体をシェアして、交代交代で酒を飲んで眠った。
酒を沢山飲んだせいか朝起きられなかった。
昼になって夜勤が終わった雨宮さんが帰ってくる。
「バイクに二人乗りしよう。たまにはタツが運転してよ」
「嫌だよ」俺はバイクどころか普通免許も持っていない。アタルもきっとそうだろう。
「ちえっ、じゃああたしが運転するよ」
ロケットカウルの単車に二人乗りして、高速道路で雨宮さんはうねうねと波の模様を描くようにバイクを走らせた。
サービスエリアでアタルの身体だが二人でラーメンを食べた。
「あたしもタツの影響で焼きそばもラーメンも好きになっちゃってさあ」
「そうか」
それからアパートに帰ってきて、もう限界らしく雨宮さんはベッドの上に寝っ転がった。
「なんで抱いてくれないんだ?」
「大切にしたいんだ」と言って俺は誤魔化した。
雨宮さんは夕方になってベッドから起きた。
俺がいるのに、服を脱いで裸になると風呂場へ入る。少しすると彼女はバスタオルで身体を拭きながら普段生活している部屋に出てきた。俺は目を背けた。
雨宮さんは風呂上がりの一服を済ませると、「タツ、雀荘に行こう」と言った。「いいぜ」と演技混じりに俺は答える。
今度はスクーターに乗って雀荘まで移動した。
二人でフリーの卓に入るのだが、こう言ったら悪いが雨宮さんは相変わらず弱かった。朝になって精算すると、雨宮さんが負けた分、俺が勝ったという具合だった。別にコンビ打ちしたわけではないが、トントンだった。
「相手に背中を向けずなんでも即リー全ツッパがタツの打ち方だったのに……」
「もう大人だからな。打ち方も変わるさ」
朝になってアパートで眠る前。雨宮さんは言った。
「あたしの過去の断面が観れて満足したか?」
「……狂ったふりだったんですか?」
「さあね」
雨宮さんはそれからベッドで眠った。
俺は夜になってアタルの身体で目を覚ました。雨宮さんはまだ寝ているが、明日は日勤だ。
たまにはアタルに身体の主導権を渡す。彼はスマホをいじって言った。
『お前らのせいで短期バイト二つもクビになった。どうしてくれんだよ』
『ごめん……』
『別にいいけどな。身の丈にあったものしか買わないし』
『何を買うの?』
『秘密だ』
深夜になって雨宮さんは目を覚ました。
「これ以上は眠れねえ、付き合え」
「……」
アタルの身体を後ろに乗せたロケットカウルの単車で高速道路を爆走する。今回はサービスエリアまで着くとラーメンも食べないで缶コーヒーだけ飲んでアパートに帰った。
翌日、アタルに身体は返して、久しぶりに雨宮さんの中に入って病院へ行く。西野さんはアタルと行ってしまった。
高校が春休みなのか美樹は午前中から俺の病室で勉強を始めた。
ただ妹に言ってやりたかった。〝こんな駄目な兄貴のために無駄な苦労をする必要はない〟と。
街の中でちらほらとピンクの桜を観られる季節がやってきた。
浅井さんの企画で昔雨宮さんも入っていたらしい元真阿駄亜走車の人達とお花見をすることになった。アタルはアルバイトがあるらしく来なかった。送迎はインコさんが普段雇っているアルバイトにしてもらうから、酒は心配しないで飲んでいいとのことだった。
近所の大型公園だが人で混雑していて、盛大に咲いた桜はとても美しかった。
「あれだけいた真阿駄亜走車のメンツも十年以上経ったら二十名集めるのがやっとか」
インコさんがそう言った。
折角雨宮さんの昔の仲間が揃っているので、俺は遠慮して彼女に話しかけないで、西野さんと話していた。
『暴走族なんて何が楽しいんでしょうね?』
『浪人生よりは楽しいと思うよ』
『でも悪ですよ悪! 未成年飲酒や喫煙、カツアゲくらいしていた人だっているでしょう』
『……そうかもしれないけど』
『秋葉さんカツアゲされたことありますか?』
『多少は……』
本当は多少はどころか、覚えているだけでも過去に十回くらいされていた。二十歳を過ぎた浪人生時代にされたこともある。
『悪はいけないですよ』
『それはそうだけど』
「バカ止めろ!」
突然雨宮さんが叫んだ。
そちらを見ると浅井さんが彼女に抱きついていた。
「姐さーん、愛してますよー」
「あたしは愛してねえよ! 抱きついたりして頭から流血する覚悟は出来てるのか?」
「姐さん、酷いです……」
「……」
雨宮さんはビール瓶で浅井さんの頭を殴ることはせず、ビンタをするといい音が鳴って、彼はしぶしぶ離れた。
真阿駄亜走車のメンツは昼間から夜まで酒を飲んで、何回かに分けて送迎で帰って行った。
翌日病院で仕事中、何度もトイレに駆け込む雨宮さん。昨日よっぽど飲み過ぎたらしい。
昼休みにまた親父達が病室にくる。
「ここからじゃ見えないけど、中庭じゃ桜が綺麗だよ。今年は無理かもしれないけれど来年は家族みんなで観ような」なんて親父は言っている。
俺は今更都合の良いことを言うなと思った。
昼休みにまた雨宮さんは商店街でラーメン食べた。
『二日酔いなのにそんなに食べて大丈夫ですか?』
『ちゃんと小盛りにしたよ。お前やっぱりご家族に思われてるじゃん。早く身体の方に戻れるようになりなよ』
『……そうですね』
そうは答えながらも家族に思われてるとは感じていなかった。
雨宮さんの日勤が終わり彼女と二人でアパートに帰ってくるとアタルから電話がきた。
『どうしても一人でいかないとならないところがあるから、明日一日ソラのことを頼む』
「わかったよ」雨宮さんの身体を借りて俺は答えた。
翌日、早朝にアタルは西野さんをアパートに連れてきた。
幽体二人して雨宮さんの頭の中に潜り病院に行った。妹は朝早くから俺の病室で勉強していた。
『折角幸せになれそうなのに、わたしはいつこの世界から消えてもおかしくないんですよね』
『そうだね……』
『秋葉さんは雨宮さんと幸せになってくださいよ! わたし応援してますから』
『雨宮さんとはそういう仲じゃないよ』
そう言いながらも近頃彼女のことを異性として意識していた。
翌日雨宮さんの仕事が終わると、身体があるのは彼女とアタルだけだが、四人で商店街のカラオケに出かけた。
皆で順番に歌って、少し隙間が空いたとき、アタルは言った。
「ソラ、結婚してください。お願いします。はめられないと思うから指輪はおれが二つとも薬指にします」
雨宮さんが素早く曲を入れて、安室奈美恵のCAN YOU CELEBRATE? を歌い出した。アタルのプロポーズを事前に知っていたのだろう。
『わたし、いつ消えるのかもわからないんですよ。本当にいいんですか?』
「それでもいいです、結婚してください」
『はい……よろしくお願いします』
西野さんは泣いた。とても長い時間泣いた。
「二人ともおめでとう! 今日は飲むぞー」
雨宮さんはまるで自分のことのように嬉しそうに頬笑んだ。
彼女はそれからビールやワイン、焼酎にウィスキーを注文しては飲み続けた。アタルの隣に座った西野さんは触れられないが彼の手の甲に自分の手をずっと乗せていた。
いい時間になると、俺達は二手に別れて帰って行った。
雨宮さんは酒を飲んでしまったので、スクーターを押しながら帰った。俺は歩幅を合わせる。
『二人は幸せになれますかね?』
「なれるさ」
『西野さんも言ってましたけどいつ消えるかわからないんですよ?』
「昔ほどじゃないけど、あたしは今でもタツが好きだ。例え西野ちゃんが消えちゃっても、好きな人がいた思い出の分だけ幸せだよ」
『珍しくまともなことを……』
「ああっ? 正樹なんて普通の身体してたら、何回も拳骨浴びせているんだからな!」
『あはは』
雨が降ってきた。
俺と雨宮さんは駆けだした。
彼女はずぶ濡れになりながら笑っている。
そういう何でもない日常の一コマが幸せなのではないかと俺は思った。
雨宮さんはアパートに帰ってきて急いでシャワーを浴びた。
翌朝になっても彼女は風邪なんか引いていないようで、普通に出勤して行った。俺も一緒に病院へ行く。
遊び相手がいなくなったので暇を持てあまし、俺は待合室でまたテレビを眺めていた。
そして俺の病室に美樹がやってくる。
その日の妹は少し違った。ノートも参考書も広げないでじっと俺の顔を見ている。
気づくと妹は俺の身体の唇についばむだけのキスをした。その後で何故だか自分と俺の唇にリップクリームを塗って妹は恥ずかしがった。俺の方こそ恥ずかしい。まあ前に見た日記やセーターと同じでふざけているだけなのだろう。
夜になって雨宮さんのバイクでアパートへと帰る。
『長々とお世話になってすみません』
「あたしが世話したいから世話してるだけだよ。小学校の頃は生き物係だったし、今は職業としての生き物係だ」
『人間を生き物って言っちゃうのはちょと怖いですね』
「ははは、そうだな」
俺の前には水が入ったグラスが置かれるだけだが、久しぶりに雨宮さんと二人で飲んだ。
『雨宮さんって昔は暴走族の総長の女だったんですね。合ってますか?』
「そうだよ。ついでにこめかみに傷もある」
『……』
「そういうおばさんは嫌いか」
『嫌いどころか恩人ですよ』
「そうか、ありがとう」
雨宮さんはビシバシと酒を飲んでいった。
少しして、アタルから雨宮さんに連絡がきた。西野さんの幽体がどんどん透明になってきているらしい。雨宮さんは大声で怒鳴って彼らを呼びつけた。
アパートにやってきた西野さんの身体はたしかに半透明だった。
「きっと西野ちゃんは天国に呼ばれてるんだ。悲しいけどおめでたいことなんだから、あたしたちが引き留めるわけにはいかない」
雨宮さんがそう言うと、触れられないのに二人は抱き合って、そんなの嫌だと言った。
「お前らまだしてないことがあるだろ。明日、仕事休むから、もう一人来るけど皆で出かけよう。今日は家に泊っていけ」
その場で雨宮さんは電話をする。聞かれたくないのか雨宮さんはトイレに入った。
「ばかやろー、この間あたしにキスしただろお前も代償を払え」
部屋まで聞こえてくる。電話の相手は浅井さんのようだった。
翌朝、雨宮さんはいつもより多めに食事を取った。そして俺とアタルをトイレに押し込む。部屋に戻ると彼女は白のスーツを着ていた。
早い時間にアパートの前に白いセダンが停まる。それに乗り込むと運転手は浅井さんだった。その格好を見ただけでこれから何をするのか分かってしまった。彼は黒のマオカラー姿だった。
浅井さんは長い時間、車を運転した。
アタルはずっと泣いている。『仕方ないことですから』と西野さんはアタルの頭をずっと撫でていた。
四時間以上も車は走って、最後に山の中に入ると、目の前には教会の廃墟が広がっていた。
「あたしの前の男の物で悪いけどお前はこれに着替えろ」
車の中でアタルも白のスーツに着替える。
廃墟だが教会の祭壇前まで皆で行った。
「姐さん、そいつと結婚するんですか?」
「ったく、ややこしいなあ。ただの儀式だよ気にするな。お前も牧師役やれ。ドラマとかの簡単なのでいいから」
「そんなの出来ないですよ」
「だから適当でいいんだよ。いや、ほんとは良くないけど、素人がそんなに厳密な結婚式なんて挙げられないだろ。西野ちゃん、あたしの身体を使え」
『はい!』
西野さんはドレスではないが白い服を着た雨宮さんの身体の主導権を奪ったようだった。
雨宮さんの中の西野さんとアタルは朽ち果てた祭壇の前で手を握る。
「二人は永遠の愛を誓いますか」と牧師役の浅井さんが二人に聞く。
「誓い……」
「誓わないでください。アタルさんにはこれからの人生がありますから」
「でも……」
「いいんですよ。短い間ですけど、一緒にいられて良かったです。楽しい思い出を胸にわたしは天に召されます」
「……永遠じゃなくても二人は愛し合っていると誓いますか?」
二人は誓いますと声を揃えて答えた。
「では指輪の交換をしてください」
アタルは自分の薬指から指輪を二つ外すと、片方を伴侶の親指に填め、もう片方を伴侶から薬指に填めてもらった。
「二人の結婚が成立しました……これ以上何を聞いたらいいのかわからないので結婚式を終了します……ああっ!」
気づくと二人は唇を重ねていた。
浅井さんが酷く驚いている。
次の瞬間、雨宮さんの身体からウェディングドレスを姿の西野さんが飛び出てきた。
彼女は空へと上っていく。嬉しそうにアタルに手を振っていた。
「ソラあ! 行くなあ!」
『最後の最後に幸せを手にしました。束縛はしません、あなたは新しい幸せを手にしてください』
雲の中に西野さんの幽体は消えていった。
「今のなんですか……?」
浅井さんにも西野さんの幽体が見えたらしかった。
帰りの車の中、アタルはずっと泣いていた。
『西野さん、結構幸せだったと思うぞ』
「本当か?」
『本当だよ。人のこと言えないけど異性との経験が少ないだろうし、最後に愛してくれる男に出会えて幸せだったと思うぞ』
突然助手席に乗った雨宮さんが口を開いた。
「指輪返した方がいいか?」
「いいえ、雨宮さんが持っていて下さい。あなたは半分ソラです」
「そうか。無くさないようにするよ」
地元に戻ってくると、辺りはもう暗かった。
アタルをマンションの前で下ろす。
「いつ遊びにきてくれてもかまわないから」
雨宮さんは彼にそう言った。
浅井さんに送ってもらい俺達もアパートに帰ってきた。
雨宮さんは着替えもしないで無言で酒を飲んだ。普段はロックや水割りを飲むことも多いのに、彼女は焼酎をストレートでバカみたいに沢山飲んでいた。
「西野ちゃんが天国にいっちゃったよお……」
『次は俺の番ですね……』
「お前は身体があるだろ! 絶対に目を覚まさせてやるからな」
『……』
雨宮さんはさらに酒を飲み、ベッドの上で潰れてしまった。
翌朝彼女はむくんだ顔で仕事へ行った。
テレビを点けっぱなしにしてもらったので、俺はアパートでお留守番をした。
俺もいつかはああいうふうに空に上って行ってしまうのだろうか……? 少し怖いが、少し期待していた。生きることは辛いことばかりだ。
何年も浪人しているのだから医学部に執着心があった。
だが、何回受験しても受かる気がしない。俺にとっては医学部に入れないイコール死だった。
完全に一人の時間なので色々考えた。
自殺したら天国へはいけないとよく言うが、死後の世界とはどんなものなのだろうか。灼熱の地獄や全ての人が分かりあえる天国がどこかに存在するとは思えなかった。無とは何なのかわからないが、それでも死んだら無が待っているように俺には思えた。
テレビを眺めていたらあっというまに夜が来て、雨宮さんが帰ってきた。
『休んで怒られなかったですか?』
「なんとか」
翌日。
アタルと遊びたかったがそれどころではないだろうということで、俺はまたアパートでテレビを観て過ごした。
浪人生の頃はテレビなんて観る精神的余裕もなかったのでかなり楽しい。映画、バラエティ、クイズ、テレホンショッピングのCM、どれも楽しかった。何より何もしないで時間が進んでくれる。
夜になるとスクーターで雨宮さんが帰ってきた。
「身体貸してやるからたまに家事をやれ」
なんとか作れる物だけで夕食を出す。風呂も沸かしてやるとご機嫌に雨宮さんは脱衣所へと入っていった。
それから彼女はいつものように酒を飲んで眠ってしまった。
翌日もチャンネルも替えられないテレビだけで過ごした。西野さんが天国へ行ってしまったことがきいているのだろうか。
夜になって騒がしく雨宮さんが帰ってきた。
「大変だ! お前の身体の方が危篤状態だ。お前が死んじまうかもしれないんだよ、病院へ行くぞ」
『いいですよ、別に』
「いいわけあるか! 行くぞ!」
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