四章 ヲタクの戦士

 特攻服を着た雨宮さんのバイクに俺と西野さんは乗っていた。西野さんは頭の中で、俺は三段シートの上だ。幽体と呼べる状態なのに壁抜けもできないが、風が当たるのくらいは実感できる。

 またサービスエリアで醤油ラーメン食べる雨宮さん。

『山上さんって雨宮さんの恋人だったんですか?』

「うるせえバーカ」

 雨宮さんが声に出して言うものだから周りの人が皆振り返って見ていた。

 早めに帰ってきて、雨宮さんは日本酒を飲んだ。

『明日も仕事でしょ、酒が残りますよ』

「うるせー、悲しいことを思い出したんだよ」

『山上さんって人のことですか』

「そうだよ」

 雨宮さんは一升入った紙パックの酒をぐびぐびと飲むと、潰れて眠ってしまった。

 朝、目覚ましが鳴っても雨宮さんは起きなかった。頭の中で『新しい朝がきたあ! 希望の朝だあ!』と俺が叫ぶと彼女は起きた。

 そして病院へ行く。総合病院で人が多いので、自分一人でドアを開けたり自動ドアを通ることができなくても色々な場所に出入りできる。

 内科の待合室でソファに座って待っている男がいた。昔同じ予備校に通っていた男だ。

 中肉宙背で肩にかかりそうな長髪、イケメンでもないのにオタク臭いV系の服装。岩波中というやつで、中はアタルと読むのだが、仲間内では岩波中学とか岩波書店とか呼ばれていた。

 近くから彼の顔を眺めているとアタルは「正樹!」と俺の名前を呼んだ。本当に見えているのだろうか? 面倒なのは嫌なので、無言でアタルの頭の中に入った。俺の幽体が見えるのなら入れるのではないとか思いそうしたのだが、すんなりと入れた。

「見間違いだったのか……?」

 アタルは顔面に疑問符を貼り付けた。

 そして病院で薬を受け取るとロードバイク漕いで帰っていくアタルの家までついていく。彼が医学部は諦めて地元から近い国立大学に入ったのは知っていた。

 アタルの頭の中で息を潜めているのだが、彼が俺の存在に気づくそぶりは見せなかった。

 しばらくロードバイクを走らせると、それを駐輪所で止め、アタルは庶民臭い外壁が少し汚れたマンションの中へと入っていった。アタルの家は親が甘やかしなので、今はもう違うが、浪人の分際で彼は実家の近くのマンションを借りてもらっていた。自炊が面倒だったらいつでも家に帰ってくればいいということらしい。

 部屋に入ると、そこは見た感じ2LDKくらいの間取りだった。

 彼はお湯を沸かしてカップ麺を作って食べると、さきほど病院でもらってきた薬を飲んだ。その後で体温計で熱を測ったのだが、三十七度と少しだけ熱があった。軽い風邪で病院に行ったらしかった。

 パソコンや漫画、アニメのDVDにフィギュアなど、オタクグッズが沢山ある部屋で、眠るのかと思って見ていると、彼はパソコンを起動してエロゲをプレイしはじめた。俺も数本ならやったことがあるが、〝エロ〟がつくから普通の人は忌避するもののネットで調べるとストーリーが素晴らしいゲームもたくさんあるようだった。文字を読んでエロゲ声優の声を聞いて、たまに選択肢を選ぶだけのデジタル紙芝居だ。

 アタルの頭の中という特等席で俺はエロゲの画面を眺めた。文字を読むスピードも俺とアタルは大差ないようで、殆ど自分でプレイしているのとかわらなかった。

 そして夜になってエロシーンまで到達した。俺までモンモンとしてくるのだが、アタルが先に机の前で性器を曝け出したので、萎えてしまった。それからもアタルはエロゲを続け、いつの間にか眠ってしまった。いわゆる寝落ちだ。

 何を思ったか俺はアタルの身体の主導権を奪おうとした。気づくと俺はアタルになっていた。それは雨宮さんの他に身体を借りられる人間を見つけたということだった。

 取りあえずその日の深夜はエロゲをして過ごした。アタルの意識は眠っているようで、何も言ってこなかった。

 朝になって、ちゃんと戸締まりを済ませると、アタルのロードに乗って雨宮さんのアパートまで帰ってくる。同じ最寄りの駅なので大して時間はかからなかった。

 まだ早朝だったがピンポンを押しまくった。

「……あなた、誰ですか?」

 所々髪が跳ねたり立ったりしている雨宮さんが出てきた。

「秋葉正樹です!」

「はあ? そりゃ正樹の姿は昨日から見てないけど……」

「本当ですよ、新しく中に入れる奴を見つけたんです!」

「……それは良かったな。この身体の方の男と正樹との関係は?」

「元同じ予備校生です」

「ふーん」

 雨宮さんはアタルの身体をした俺をアパートの中に入れてくれた。取りあえずお湯を沸かしてインスタントコーヒーを飲む。インスタントでもとても美味かった。

 雨宮さんが作った朝食を食べると一度トイレに入れられて、彼女は仕事に行く準備をしているらしかった。

 そして西野さんも含めて三人でテレビを観る。西野さんもアタルの頭の中に入ろうとするのだが入れなかった。アタルの場合二人は入れないのかと思い、一旦頭から外へ出ると、彼の意識が覚醒してしまった。

「ここはどこだ……?」

 面倒なことが起る前に俺はまたアタルに身体の主導権を奪った。

 頭の中で声がする。

『なんだこれは……おれは電波に操られてるのか……?』

『お前、今時電波系かよ。違うよ、秋葉正樹が乗り移ってるんだよ、お前、見舞いにもこないで……』

『正樹!? お前今、何やってんだ。連絡しても電話取らないしLINEもメールも無視するし』

 アタルは俺が自殺未遂したことも知らないようだった。逡巡して俺は正直に答えた。『浪人生活に絶望して自殺したんだよ』

『嘘だ! 信じないからな』

『……じゃあ今から病院に行こう』

「雨宮さん、今日は出勤のときスクーターの後ろに乗せてもらっていいですか?」

 アタルの喉からは当たり前だがアタルの声が出た。

「別にいいよ」

「ありがとうございます」

 そうして、雨宮さんの運転するスクーターに乗って病院までやってきた。面会ができる時間がくるまで待合室でアタルのスマホをいじって時間を潰した。二次元美少女の壁紙以外女っ気がないスマホだった。

 そして時間が来て、俺の身体が眠っている病室に行くと、身体の制御を奪われた。

 アタルは俺の身体が寝ているベッドの前に膝をついて号泣した。

「おれが医学部諦めて逃げに走ったのも関係してるのか……?」

『してるかもしれないけど、きっと頭がおかしくなってたんだ。お前に恨みも何もないよ』

 アタルはそれから一時間近くも泣いては泣き止んで泣いては泣き止んでを繰り返した。

 彼が泣いている最中、白衣を着た親父が俺の病室にやってきた。

「あなたは息子とどういう関係ですか」

 起伏に乏しい表情で親父がアタルに聞く。

「前は同じ予備校生でした」

 鼻をすすりながら彼は答えた。

「ゆっくりしていってください。息子ももしかしたら耳くらいは聞こえているかもしれません」

「はあ……」

『絶対に俺のことは言うなよ。頭おかしいと思われるぞ』

『わかってるよ』

 親父が病室から出て行く。

 なんだか俺はむしゃくしゃしたので、アタルを急かして病院を出た。雨宮さんはまだ仕事中なので、バスで近くまで戻って十分ほど歩いてアタルのマンションに帰ってきた。

 積もる話もあるだろうに俺とアタルはひたすらゲームして過ごした。最初はネットゲームで遊んで飽きてくるとまたエロゲで遊んだ。

『何か使ってないゲーム機とソフト貸してよ。雨宮さんのアパート、ファミコン互換機しかないんだ』

『エロゲとノーパソ貸すけど』

『……いや、それは困る』

 途中インスタントな物を食べながら夜まで遊んだ。

 そして大きなリュックサックにそこそこ古いゲーム機とソフトを持って、またロードバイクで雨宮さんのアパートまで行った。

 彼女は既に出来上がっていて、よくわからないだろうにアタルのマンションから持ってきたゲーム機で遊んだ。西野さんがわかる範囲で説明している。アタルは出された発泡酒や焼酎を飲む。

『わたしの声も聞こえますかー?』

「聞こえるけどなんで?」

 アタルは不思議そうに西野さんに返事した。

『わたしも幽霊ですから。普通の人には見えないんですよ』

「へ、へえ……」

 彼は短期間に幽霊と幽体に出会って、引いているようだった。

『今日はこいつを泊めてください』

「駄目だ。あたしには好きな人がいるから。実際に身体がある男は泊められない」


 酒を飲んでしまったので自転車を押しながら俺たちは歩いた。

「ソープでも行くか」

『いいよ、やめておこうよ』

「いや、いく」

『……』

 商店街までくると、裏道を進んだ。そこには俺が知らなかった場末の風俗街があった。こんな田舎でこんな時間なのに、スーツを着たキャッチも含めて人が多い。ソープの他にも話に聞いたことだけあるピンクサロンやセクシーキャバクラがあった。

「この店入るから。おれに乗り移ることができるんだろ? それならお前の分無料で楽しめるけど……」

『いいよ、いいよ、外で待ってるよ』

「わかった。先に帰るなよ。おれは九十分のコースだから」

 九十分も時間を潰すのは大変だったが、エッチなお店から出てくる客と、見送りする風俗嬢を見るのは少しだけ楽しかった。酔っ払って排水溝に嘔吐している男もいる。

 あっという間というほどではないが、周りを観察していたら、アタルが入ったお店から出てきた。わりと美形の女の人が季節とマッチしない薄着でアタルを見送る。

「正樹、お前童貞だろ」

『童貞だよ。素人童貞よりマシだろ』

「それは哲学的な命題だな」

『……そうかもね』

 そして時間をかけてアタルのマンションまで帰ってくる。

「おれはいつでもできるから」

 そう言って、アタルが身体の主導権を渡してくれた。パソコンでユーチューブやチャット、掲示板を楽しみ、部屋にあった追っていた漫画を楽しむ。

 すぐに朝がきていた。やることがあると時間の進みが早い。アタルは頭の中で眠っているようだった。

 自分の本名で作ってあるSNSのアカウントもあるが、更新すると驚かれるのでそれはしなかった。

 そして朝になり、大学が休み中のアタルと一緒に雨宮さんのアパートへと帰った。ドアの横に洗濯機が置いてあるボロボロのアパートの前で西野さんだけが立っていた。話を聞くと、雨宮さんは日勤でとっくにアパートを出たらしい。

「アタルさんが来るのを待ってたんですよお、わたしのこともアキバや池袋に連れて行ってくださいよお」

 なんて西野さんは言い出す。アタルがいいぜと言って電車でアキバや池袋に行くことになった。

『二人のデートを邪魔するのもよくないから、俺はいかない』

『デート!? これはデートなんですか!』

「そうだよ」

 アタルは恥ずかしがらずにそう言った。

『わたし、そんなの生まれてこの方したことないです……』

「二人きりだと気まずいからお前もこいよ」

『……わかった』

 電車の中で俺は無言でアタルの隣に座り、西野さんは彼の頭の中に入っているようだった。これだったらアタルはぶつぶつ独り言のように声を出す必要がなく西野さんと話せる。俺は暇だったので窓の外の景色を眺めていた。

 横に流れる木々も多い景色を見て、ただ思う。

 俺はこのままどこへ行くんだろう。

 面倒だった、いつ死んでもかまわない。

 この間の一件で、妹に嫉妬する気持ちは消え失せていた。だが俺自身は身体に戻って、また受験勉強に明け暮れたいとは思っていなかった。だったらいっそ死んでしまいたい。電車に轢かれてもいいし、また飛び降りでもいい。俺はもう頑張りたくなかった。それが包み隠さない本音だ。

 そして二時間はかからないで秋葉原についた。

 どういうわけだか西野さんはアタルの頭の中から出てきた。

 アタルは西野さんがいるのにソフマップで中古エロゲを物色しだした。

 小声で独り言のようにアタルが言う。「エロ目当てじゃないからね。ストーリーを知りたいだけだからね」

『わかってますよ。そういう人って意外と多いですよね』

 会計を済ませアタルはでかいリュックに沢山中古エロゲを詰めた。

 一旦店から外へ出る。

『わたしもBLゲームとか見たいです』

「ええっ! それじゃおれ同性愛者って思われるじゃん」

『大丈夫です。誰も見ていませんよ』

 秋葉原を歩き、アニメイトAKIBAガールズステーションと書かれているお店に入る。

 どういうわけか西野さんはアタルの頭の中に入らないで、こっちこっちと指さして自分が行きたいコーナーへ俺達を先導した。

 西野さんが俺達を連れてきたのは、男キャラ同士でする恋愛の二次創作漫画のコーナーだった。BLとかやおいと呼ばれるジャンルだ。

『やっぱりシュン×イッキですよね』

「おれはシリュウ×ヒョウガの方が好きだなあ」

『お前ゲイなの?』

「ちげえよ、長年ヲタクやって、毎年コミケにも行ってれば嫌でもBLとかやおいの知識がついちゃうんだよ」

 その店を出ると、今度はとらのあなというお店に入った。そこは男性向けのエロ同人誌もあるお店だった。西野さんの幽体が見えない。ということは今BL本を物色しているアタルの身体の主導権を握っているのは彼女のようだった。

 そして数十分物色するとBL本とBLゲーを持ってレジに行こうとする。アタルの身体から飛び出るようにポンっと西野さんの幽体が出てきた。

「DLサイトコムで買わないか……? いくらおれだって恥ずかしいよ」

『駄目です! パッケージや付属品も含めて作品なんですから』

「……わかったよ」

 アタルが声を出して俺達と話すものだから、周りの人達はこわごわと彼を見ていた。安物っぽい十字架のネックレスをしているしロング丈のレザー・トレンチコートなんて着ているし、バンダナや指抜き手袋まではしていないものの、アタルはモロにアキバ系の男だった。

 レジでお金を払うと、有名なガチャポン会館に行った。アタルはキャラクターグッズのガチャポンを十個くらい引くのだが、西野さんがおねだりしてさらに十個以上引かされていた。それだけで五千円以上も使っていた、人のことは言えないが十万円以上するロードバイクにも乗っているし、親が金持ちなのだ。

 そして今日のシメということで、アタルがよく行っているらしいメイド喫茶に入った。雑居ビルにあるそこは繁盛店らしく、入るまで三十分も待たされた。

「おかえりなさいませ、ご主人様あ!」

 店内はほぼ満席でお出迎えしてくれたメイドは一人だけだった。ヘッドドレスもしているピンクと白を基調としたメイド服を着たメイドさんだった。たしか甘ロリという類の格好だろうか。

「今日は楽しんでいくよ」

 お前はオヤジか。

「はあい、どうぞ楽しんでいってくださあい」

 アタルはカウンター席に通されて、メニューも見ないでフード・セットというメニューをメイドに注文した。ホットコーヒーとオムライスをアタルは指定した。

 まずはメイドの手によって、ホットコーヒーがアタルの前に置かれる。

「お砂糖とミルクはどうしますかあ?」

「たくさん入れて」

 メイドはコーヒーにミルクと砂糖を投入するとティスプーンでくるくるとかきまぜた。

「ありがとう」

「いえいえ、どういたしましてえ」

 そうしてカウンターの別の場所にメイドは行く。

 アタルはじろじろと色々なメイドを眺めていた。

 西野さんが引いた声で言った。『男の人って自分の思い通りになる女が欲しいだけなんですよね』

 さすがにアタルはこんな場所でまで独り言を言っていると思われたくないのか、彼女のセリフを黙殺した。代わりに俺が答える。

『でもさあ。男が悪者になることが多いけど、それは女の人だってそうじゃないの?』

『いいえ、違います。悪いのは男です。女の子は好きな人に愛されたいだけです』

『それはそうとメイド嫌いなの?』

『嫌いじゃないですよ、むしろ憧れます。でもこんなキャバクラまがいのメイドは嫌です。海外にいるような本物のメイドなら尊敬します』

『……ふーん』

 そうしてアタルは「大好き!」とケチャップで書いてもらったオムライスを食べて、ステージのような場所でメイドさんとのチェキを撮ってもらい、お店を後にした。帰りは三人のメイドさんが「いってらっしゃいませ、ご主人様!」とアタルを見送った。

 歩くのが面倒なのか西野さんはアタルの頭の中に入った。

 二人が何を話しているのかは知らないが電車に乗って地元へ帰る。アタルは俺達を雨宮さんのアパートまで送ってくれた。

『今日はありがとうございました』

 西野さんがお辞儀した。

「三月が終わるまで暇だから、時間があるときにでも家までゲームやりにきていいよ」

 ゲームとはアキバで購入したBLゲームのことだろう。西野さんのために買った本だけ置いて、アタルはロードバイクで去って行った。

 アパートでは雨宮さんが酒を飲みながら「西野ちゃんに男が出来るのかあ」などと嬉しそうに言う。

『アタルさんはいい人ですけど、わたし死んでますし……あの人メイド好きですし』

「メイド?」

『はい』

「メイドかあ。メイドじゃなくていいから金持ちになれたら、家政婦さんは雇いたいな」

『……』

 雨宮さんは焼酎のストレートを一気に煽った。

 翌日は出勤する雨宮さんと一緒に病院に行った。週末で学校が休みだというのに、妹は相変わらず俺の病室で勉強していたし、少しの時間両親も眠っている俺に話しかけていた。

 最近、今まで思っていたことに疑問を感じた。両親は不器用なだけで、俺のことを本当は愛してくれていたのではないだろうか。一瞬だけそう思い、俺は頭を振った。いや、両親は俺を医者にしたかっただけだ。

 もう医者になるのを諦めると何回も反抗した。だが両親はもっとよく考えなさいと言って、俺の罪悪感に訴えかけるだけだった。

 両親が仕事へ戻ってしばらく経った頃、アタルが俺の病室に来た。

 アタルはまた俺の身体の前で涙を流した。西野さんは俺の隣にいた。俺は行こうかと言って、西野さんを連れて病院の中庭に出た。

『あんないい友達がいてなんで自殺するんですか』

『ノイローゼだったんだよ』

『わたしにもアタルさんみたいな友達がいたら自殺しなかったでしょうね』

『西野さんの友達はどんな感じだったの?』

『一人もいませんでした』

 広い病院なのにアタルに見つかる。まだ目が少し赤い。

「おれの部屋で遊ぼうぜ」

『いいですよー』

『じゃあ俺は帰るよ』

『秋葉さんも来て下さい。二人きりじゃ間が持ちません』

『……わかった』

 ロードバイクに三ケツ(?)するとアタルのマンションまでやってきた。

 西野さんは早速アタルの身体の主導権を握って昨日買ってもらった同人ゲームをプレイし始めた。

「後一ヶ月以上は大学休みなんだけど、西野さん、また一緒に出かけないか?」

『いいですよ』

『俺はいかないから。二人で行ってきなよ』

「気い使ってる?」

『一応……それは……まあ』

 その日の深夜、俺は歩いて雨宮さんのアパートまで帰ろうとしていた。西野さんとアタルを二人きりにしてもキスのひとつもできないわけだが、志半ばでいってしまった西野さんに幸せになってほしかった。

 で一時間近く歩いて雨宮さんのアパートへ帰ってくる。

「お前、最近調子くれてんじゃねえの? 出て行くなら出て行くで、はっきりしてくれ」

『今度から帰りが遅くなるときは、ちゃんと言うか連絡します。許してください』

「よろしい」

 それから雨宮さんは前のように俺の前に水が入ったグラスを置いて、自分は酒を飲み始めた。

『幽霊と人間のカップルができそうなんですが』

「別に悪いことじゃないんじゃないのかあ?」

『でも西野さんはいつ成仏するかわかりませんし』

「普通の人間同士の付き合いと一緒じゃん。あたしだって明日バイクで死ぬかもしれないし」

 雨宮さんは突然、チェッカーズのギザギザハートの子守歌を歌いだした。

『……古いけど知ってる曲です』

「ああ、そう」

 翌朝、雨宮さんと病院に行って、久しぶりに話し相手がいない時間を過ごした。雨宮さんとラーメン屋に行って帰ってくると、残りの昼休みの時間、親父と母さんが病室で俺の身体に話しかけていた。

「正樹、お父さんはお前がいつか目を覚ますと信じてるよ、それで仕事が頑張れるんだ」

「お母さんもそうだよ」

「早く目を覚ませよ。お前の部屋も掃除だけしてそのままなんだから」

「正樹、がんばってね」

 そう言って母さんは俺の手を握った。

 俺はその光景をへんな気持ちで眺めていた。

 罪滅ぼしのつもりなのだろうか。

 学校が終わる時間になると妹がまた病室にきて勉強を始めた。

 雨宮さんのアパートに帰ってくると、彼女の身体の主導権をもらって、俺は酒を大量に飲んだ。

『飲み過ぎなんじゃ』

「いいんです、飲まなければやってられません」

 喉からは俺の声ではなく雨宮さんの声が出た。

「すべて出来が悪い俺のせいなんですよ」

『自暴自棄になるなよ』

 酒を飲んでいると、もうかなりいい時間なのに、アタルがロードバイクでアパートまで来た。西野さんもいる。

「池袋に行って男一人でも入れる執事喫茶に行ったら、執事は執事でもゲイっぽい筋肉ムキムキの執事に接客された……」

 なんてアタルはこわごわと言った。

「雨宮さん、正樹借りてもいいですか?」

「どうぞどうぞ」

 西野さんはアタルの頭の中に入って、俺は高い自転車の後ろに無理に乗って、アタルのマンションまで来た。

 アタルの住んでいる部屋について、俺はさらに酒を飲みたかったが、西野さんがアタルの身体に憑依して缶ビールを何本も空けた。

 酔っ払ったのか西野さんは、『わたし、チンコ見たことないんですよね』などと言った。

「見てもいいよ……」

 なんて言ってアタルは革のズボンのジッパーを下げようとした。

『いいですよ! この変態!』

「ふひひひ、サーセン……おれみたいなキモい奴と話して嫌じゃないの?」

「アタルさんは気持ち悪くなんかないです、優しそうな顔してるじゃないですか」

 そしてなんのつもりなのか、たしかにゲイっぽい執事と一緒にアタルが写っている画像をスマホで見せられた。その執事は筋肉ムキムキで半袖のYシャツを着ていた。長袖のシャツが着られないほど腕が太かった。

 アタルと再会して以来遊んでばかりだが、西野さんと三人で地元のさびれたカラオケボックスに入った。雨宮さんが使っている所とは違うカラオケボックスだ。

 アタルは好きなアニソンゲームソンなら、女性ボーカルの曲だろうと歌った。アタルにしか聞こえないが、俺と西野さんも歌った。西野さんもアニソンを歌った。

 別の日の夜、タイヤが大きくて細いロードバイクに乗って、アタルがまた雨宮さんのアパートへやってきた。

 彼は酒を持ってきていたので雨宮さんと二人で飲んだ。

「自転車でも飲酒運転になるから押して帰りなよ」

「はい。それはそうと正樹に聞きましたよ。雨宮さんロリババアなんですね」

「なんだそりゃ。本当はババアって言うほどババアじゃないよ。まだ三十代だよ」

「女は高校生からババアです」

「お前、ロリコンなんじゃないの?」

「違います。小学生や幼稚園生が好きなことをロリコンと言います」

「……死ね、キモオタ野郎」

「ふひひ、光栄ですね。キモいの真の意味は尖ってるって意味ですからね」

「いや、違うよ? 単純に気持ち悪いんだよ?」

『雨宮さん、アタルさんはキモくないです!』

「あらあら、彼女に怒られちゃったよ」

『彼女!? 違いますう』

「そういうことにしておいてやるよ」

 雨宮さんの部屋がややこしいときに、浅井さんがやってきた。

 彼の姿を見ると、アタルはビビって帰り、西野さんもついていった。幽体の俺がいるだけで、雨宮さんと浅井さんはサシ飲みをした。

 浅井さんが仕事の愚痴を言おうとすると雨宮さんが怒った。

「ここはそういう店じゃねえんだよ、愚痴ばかり言いたいなら女の子がいる飲み屋行け」

「すいません……最近なんか色々と上手くいかなくて」

「楽しい話をしろ」

「楽しい話ですか。こうやって姐さんと飲めることですかね」

 雨宮さんは浅井さんを警戒しているのか、いつもより飲んでいなかった。

「嘘吐くな。もっと若い子の方が嬉しい癖して」

「姐さんは十分若いですよ」

「五個も年下に言われたくねえよ」

 いつしか浅井さんは雨宮さんのことを押し倒していた。

 彼女は浅井さんの顎にアッパーカットを入れると、立ち上がり、げしげしと何度も蹴った。

「姐さん……さすがに痛いですよ」

「いやでもお前が悪いだろ。タツが生きてたらころされてるぞ」

「総長が生きてたら二人きりで会っただけで殺されますって……」

 そして浅井さんは運転代行を呼んで帰って行った。

『雨宮さんの元彼って族の総長でタツさんって言うんですね』

「うるせえ、バーカ」

 雨宮さんは歯を磨いてさっさと寝てしまった。

 翌日、雨宮さんは仕事が休みだったし、西野さんはアタルのところに行っているので、二人きりになった。

「あたし達もデートするか」

 今回は特攻服もマスクとサングラスもしていなかったが、朝っぱらからロケットカウルの族車に乗って少し長い時間高速道路を走った。幽体なんて如何にも風に飛ばされてしまいそうだが、今のところそうなったことは一度もない。

 冷たさを感じない風を浴びながら、俺は考えていた。雨宮さんにどこまでも連れて行ってほしかった。天国には行けなかったし、そもそも自殺だから地獄行きだろうが、一種の楽園や、人と人が誤解なく分かりあえる近未来に行きたかった。

 そして雨宮さんは高速道路を降りると、また山上さんのお墓まで言った。

『眠っている人は、山上タツさんって言うんですか?』

「そうだよ」

 雨宮さんは墓石を掃除して、自分で煙草を吸うと、それとは別に新品の煙草を一箱、お墓に供えた。

 帰りのバイクの上で「そろそろ雨宮さんの過去を教えてくださいよ」と聞くのだが、嫌だね、と言われてしまった。

 雨宮さんが家事をするのを眺めていた。結婚したら奥さんの背中をこんなふうに眺めるのだろうか。

 夜になると、浅井さんがまた遊びに来た。この間のことを怒っているのか、雨宮さんはあまり喋らないで酒ばかりを飲んでいた。

 次の瞬間、雨宮さんはまた浅井さんに押し倒されていた。彼女はすぐにキスをされた。俺は挙動不審になった。

 雨宮さんは浅井さんの顔に唾を吐きかけ、殴りつけると彼の腹を蹴っ飛ばした。

「今度やったら絶交だからな」

「すみません。もう帰ります」

 浅井さんが逃げ帰った後、雨宮さんは歯を磨いてうがいをした。シャワーも浴びる。「お前もへんな気起こすなよ。あたしにだって好きな人くらいいるんだから」

 それはお墓で眠っている山上タツさんだということはもう分かりきっていた。

 二人きりの夜を過ごした。明りを消して眠っている雨宮さんに俺は言った。『浅井さんじゃ嫌ですか?』

 雨宮さんはまだ起きていた。

「あいつにそういう気持ちはないよ」

 西野さんは翌朝も帰ってこなかった。仕事の雨宮さんと一緒に病院へ行く。その日の高校が終わったのか病室に来ると、妹は勉強もしないで眠っている俺の身体をじっと見つめていた。

 何時間もそうしていた。

「絶対にお兄さんは起きてくるから」

 雨宮さんは無責任に妹にそう言った。

 その後で自分のこめかみを叩いた。

『ちょっと身体に重なってみろ。戻れるかもしれないだろ?』

『はあ』

 自分の身体の上に今の自分の身体である幽体を重ねるのだが、意識を実在の身体の方に戻せることはなかった。

 その日の晩、雨宮さんは雀荘に行った。一応電話番号を交換していたのか、彼女はアタルも呼び出した。アタルは麻雀が結構強かった。

「ヤクマンのリャンシャンテンで降りやがって……降りてちゃ勝てないよって雀鬼様も言ってるだろ」

「麻雀とはベタ降りに始まりベタ降りに終わるんですよ」

 なんて言ってアタルは笑った。

 麻雀がおひらきになると、雨宮さんに断ってアタルのマンションに寄ってもらった。アタルのマンションでよさげな参考書を何冊か譲ってもらった。幽体のままじゃ掴めないが、麻雀で疲れている雨宮さんの身体を動かして、アパートまで参考書を持って帰った。前に約束した通り彼女が眠った後、二時間だけ勉強させてもらうことにする。いや、本当は一時間もオーバーしてしまった。

 雨宮さんが目を覚ましたのか頭の中で言った。

『こんなになってまで勉強するのか?』

『勉強しなかったら今までの俺を否定することになると思いましてね』

『へえ、かっこいいな。でもそろそろ寝ろよ。あたしの仕事は肉体労働のようなものだからな』

『わかりました』

 そして、俺と雨宮さんは眠った。

 次の日の夜も勉強したのだが雑念が湧く。身体に戻れるとも限らないのに、勉強して何になるのだろう。戻れたとして俺はいつかは医学部に行けるのだろうか。答えの出ない毎日だった。

 夢を観た。小さな頃の夢だ。自分すらも俯瞰する夢だった。

 俺の身体は小さくて、母さんが見守る中、公園で親父と身体に割に大きなボールを投げて遊んだ。

「いくぞー」

「うん!」

 親父と俺の間をボールが何往復かすると、取り損ねて顔にボールがぶつかった。痛いというよりは失敗したショックで俺は泣いてしまった。すると親父は俺の身体を抱き上げ、何度も縦に揺すった。

「正樹はこれからなんでもできるようになるからな。ボールを取れなかったくらいで泣くなよ」

「だって……だって」

 親父は優しく子供の身体をした俺の頭を撫でた。

 目が覚めて少しの間、俺は泣いた。

 その日は雨宮さんが夜勤だった。彼女は久しぶりにドラクエⅢができると喜んでいた。

 雨宮さんは味方のパーティが全滅しそうになっても、敵に攻撃を続けた。だから何度も全滅して、レベル上げばかりをしていた。

『もっと回復魔法使わないと』

「そんなことしたら呪文唱えている間にボコられるだろ」

『そういうゲームもありますけど、これはそういうゲームじゃないですから』

「うーん、そうなのかあ、じゃあ回復魔法も使ってみようかな」

 回復魔法をちゃんと使うようになると、これまでレベル上げばかりしていたのもあって、雨宮さんはどんどんとストーリーを進めていった。

 病院で雨宮さんがお爺さんお婆さんに食事をとらせているのを眺めていた。彼女がとても母性的な人に見えた。

 休憩時間に雨宮さんは喫煙室で煙草を立て続けに何本も吸った。

『なんで煙草を吸うんですか?』

『煙草があるからだろうね。世界中のどこにもなかったら吸わないよ』

『そうですか』

 夜勤が終わり家に帰ってきて眠り、雨宮さんが午後六時くらいに起きると、西野さんとアタルがやってきた。

「俺達付き合うことになったから」

「そうか」

 雨宮さんは別に驚いていなかった。

『おめでとう』

『ありがとうございます』とお辞儀をする西野さん。

 二人で決めたことなのだから、俺にはとやかく言えなかった。

 二人がお祝いをしてくれと言うので、雨宮さんは買い物をしてきて食事を作った。ラーメン、チャーハン、餃子にデザートのアイスクリームだった。俺は雨宮さんの身体で、西野さんはアタルの身体で食事をとった。

「西野ちゃんはこんなオタク野郎のどこがいいの?」

『むしろオタクだから、気が合っていいんですよ』

「おれヲタ充ですから」

「なんだそりゃ?」

「ヲタクで充実した人間のことです」

「へえ……」

『お前、西野さんのこと泣かすなよ』

 いつあの世に行ってしまうかわからない彼女のことを大切に扱ってほしかった。

「大丈夫だよ」

『西野さん、幸せにね』

『ありがとうございます』

 夜、遅くなって西野さんとアタルはロードバイクに乗って帰って行った。

 夜になると雨宮さんが眠ったので身体を借りる。彼女は酒を飲んでいたので、身体も酔っ払っている感じがした。

 だが俺は勉強した。自殺する前はそれ以外のことはすべて逃避だと決めつけて生きてきたので、勉強は辛いが充実した。こんな勉強バカの俺でも医学部には入れないのだから、世の中頭のいい人間が大量にいるものだ。

 翌朝、雨宮さんからアタルに電話してもらって、迎えにきてもらった。俺はすぐにアタルの頭の中に潜る。二人きりの時間を邪魔して西野さんには悪いが、アタルのマンションで四六時中勉強した。勉強を再開したのは最近のことなので復習ばかりに時間を割いた。

『わたしには全然分からない内容の勉強ですね』

「それは、文系と理系の違いはあるし……」

『それでもすごいです』

 退屈なのか、アタルは自分の頭の片隅で眠っているようだった。

 勉強の合間に少しだけ西野さんと話した。

「アタルは幸せにしてくれそう?」

『どうでしょうね。それよりわたしが不幸にしてしまいそうで怖いです』

「そうなんだ」

 夜になると雨宮さんから電話がきたが俺はアタルのマンションに泊っていくと答えた。

 深夜零時を過ぎると、アタルとバトンタッチして、俺は頭の中で眠った。

 翌朝八時には脳の体力が回復して感じられた。アタルに申し訳ないが、この日は勉強でオールしようと決めていた。勉強していないと不安だった。

 勉強なんて簡単だ。

 長い時間勉強するのも簡単だ。

 効率良く勉強した内容を頭の中に残すのが最大に難しかった。受験生の中には天才のような人もいるので、そういう人の一時間と自分の十時間のどちらが勉強になるか、自信を持って答えられなかった。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい、目が覚めると、明け放れたカーテンから見える外は晴れていて、俺はアタルの頭の中にいるらしく、西野さんと彼は一緒に仲良く録画したアニメを観ていた。

 アタルに甘えてばかりでは悪いので、俺は黙って彼の頭の中にいた。それにしても長い時間二人はアニメを観ていた。

 午後になるとアタルの身体で西野さんはお菓子を作り出した。

 夜になれば料理も作った。

 アタルが夕飯を食べている最中に西野さんと話した。

『実質同棲生活じゃん』

『そうですね。永遠に続けたい同棲生活です』

 またアタルのマンションで目を覚ますと、彼はネットで短期のアルバイトを探していた。

『金あるのになんでバイトするんだ?』

「事情があるの」

 その日の内に面接があって、スーツを着てアタルは出かけて、アタルの頭の中には二人同時に入れないので俺はお留守番だ。彼が帰ってきて夜にはスマホに採用の電話がきたようだった。

 お祝いということで身体は一つしかないが、西野さんが作ったご馳走とコンビニで買ってきた酒を堪能した。俺にも身体を貸してくれたのでいくらか食べて飲んだ。

 寝て目を覚ます。

 朝から西野さんの姿がなかった。まさか成仏してしまったのではないかと俺は心配した。

 アタルはもっと心配していたが、アルバイトに出かけた。

 夜になってアタルと一緒に西野さんが帰ってくる。俺もそうだが西野さんは雨宮さんやアタルがいないとドアが開けられないのでマンションの入り口でずっと彼を待っていたらしい。

『久しぶりに実家に行ってきました。両親はまだ、わたしの部屋をそのままにしてました。わたしはとんでもねえ親不孝ものです』

「他の誰もが西野さんを責めてもおれは好きだから!」

 物に触れられない幽体の西野さんとアタルはキスをした。

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