近因

毒理観飴

1.いやーよかった

男の心は空と同じようにどんよりとしていた。それをごまかすようにただ目的もなく歩いているのだ。街を歩く人々はみんなどこか忙しい様子で、男は街の様子になじめずにいた。ふと男が時計をみようと視界を下ろした瞬間、視界は想像を超えて落下し両手は地べたについていた。驚きつつ見上げるとスーツの男が申し訳なさそうに立っていた。

「ごめんなさい。」

スーツの男は謝罪する。

男はそれに頷き、立ちあがろうとしたときポケットに携帯が入っていないことに気がついた。周りを見渡すと、画面の割れた携帯が落ちていた。電源をつけるとヒビの入った娘が笑っているのが見えた。


空の曇りは増した。


スーツの男は割れた携帯を見ると、さらに謝罪する。

「本当にすみません。許してください。」

男は応える気力もなく、無言でその場を去った。しかし、スーツの男はしつこく追いかけてきた。

「許してください。お願いしますよ。」

男が少し驚き足を止めると、スーツの男はまわりこんで男の前に立ち塞がった。

「許してくれないと困るんです。本当に許してください。」

その狂気にも見える表情に男は恐怖を覚え、反射的に走り出していた。幸い、スーツの男を撒くのにそこまで労力はかからなかった。男は家に着くと一安心し、少しだけ眠ることにした。ベットに入り目を閉じて永遠の安寧を願った。


しかしそれが叶うことはなく、インターフォンが男を目覚めさせた。

ドアを開けると案の定スーツの男が立っていた。もう男には逃げ場がなくなり、応じるしかなかった。

「私のしたことを許してはくれないでしょうか。」

「もう俺の負けだ。君を許すよ。」

そう言った途端、スーツの男は真剣な表情を見せた。

「本当に、私がしたことを全て許してくれるのですね。」

"全て"という言葉に少し引っかかったが、それだけだった。

「ああ、そうだとも。全部許すからはやく帰ってくれ。」

「ありがとうございます。これで今日はよく眠れます。」

スーツの男が帰る姿勢を見せた瞬間、ドアを閉めた。これで狂気とはおさらばだ。


するとドアの向こうから声が聞こえてきた。


「いやーよかった。娘を殺したことまで許してもらえるなんて。」

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近因 毒理観飴 @Dokurikanamme

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