第6話 忌血の子

 ヒト族が他種族との交配を忌避するようになったのはおよそ300年前ーー


 原因は分かってないけど、

とにかく僕も学校で聞いた事があるくらい有名な話で、

無学な両親でさえもこれだけはと、

口うるさく言われたから覚えてしまったものだ。


 他種族の中でもとりわけ、長命族(寿命が物凄く長い種族のカテゴリー)との

間に子を設けるのは絶対に禁止。


 なぜならそうやって出来た子は

『忌血(いみち)の子』と呼ばれ差別されるから。


 そして『忌血の子』を作った親も同様に迫害を受けるからーー

駄目なものは駄目なんだと言われ続けたから、それが普通だと思ってた。


 なのに、僕がゼラニムに対し『忌血の子』という言葉を向けた時、

彼女の纏(まと)う空気が変わった。


 身体が小刻みに震え、何かに酷く怯えているようだったから

いきなり頬を打たれて僕は困惑したと同時に、


 『忌血の子』という語は他者への軽蔑と差別意識をも

内包し得ているのだと悟った。



「団長。僕、ゼラニムに酷い事言っちゃったんです..」


 夜ご飯を食べながら、罪悪感に堪えきれなくなった自分はついに告白した。


「うん。なんて言ったの?」


 それに対する僕の答えを予期していたせいか、

団長はキリッとした眼差しを僕に向けた。怖いけど、正直に言おう..。


「忌血の..子だって....。そうしたら、、いえ、なんでもないです..」


「頬が赤く腫れているのは、なるほどそのせいか..。

忌血の子ーーやはり私が危惧していた通りだったか..。ゼラニムの奴、これで

また心を閉ざしたりしなければ良いんだけど..」


「あの!!」


 僕への関心から、ゼラニムへの深い同情心へと感情の動いた団長に対し、

僕は自分のしてしまった事の本当の意味を再認識する事になった。


「ごめんなさい..。ごめんなさい、、ごめんなさい..」


 清掃の行き届いたテーブルクロスが、僕の涙でシミを作った。

一度泣き出すともう止まらなかった。声が上擦って、頭が痛いーー


「ごめんなさーー」


「もう、過ぎてしまった事は仕方ない。泣き止んで..」


 そう言って、団長は僕の頭を撫でてくれた。小さいのに、暖かくて筋肉質で、

皮が剥けた痕やマメの潰れた痕が、日々の修練の過酷さを物語っていた。


「ゼラニムの事だ..。きっと君を挑発するような話をけしかけて、

売り言葉に買い言葉、、という感じになってしまったのは想像がつく..」


「....」


「でも許してやってはくれないか..? あの子は過去の環境のせいで、

他者との正常な人間関係の構築法を知らない..。相手を罵倒して、その人の

本心を炙り出す。そうする事で、、自分に害を与え得る人間を本能的に避け続けてきた」


「人一倍傷つきやすくて、繊細で、、とっても素直な子ーー

だから私はそんな彼女を心の底から歓迎し、仲間として迎え入れたし、

彼女も私が害のない人間だって事を、分かってくれたんだと思う..」


「ランス君..。

その、、日没になればゼラニムはあの防護服を着なくて良いんだ..。

普段は地下室に居るから場所は伝えておく。行くか行かないかは君次第だよーー

けどこれだけは覚えておいて欲しい。感情が昂った時、不意に口から出た言葉は

紛れもないランス、君自身の本音だ。だから冗談ではなく、

君は君の本音で彼女を傷つけてしまった。それだけはーー」


「はい..」


 団長はそのまま部屋を後にし、僕だけが残されたーー


「なんて謝ったら良いんだろう..」


「あぁ? 謝るとか、お前はだらしのない奴だなー」


「た、田中部長!?」


 ずんぐりむっくりとした、見覚えのある体型と口臭ーー

僕の背後に立つ中年親父は、まるで値踏みをするかのような視線を僕に送った。


「良いか? 男ってのはな、謝ったら負けな生き物なんだ!

だから俺は一度も謝った事がない。ババァの金でソシャゲにウン10万課金してもな!」


 バン! と凄い勢いで食器をカートの上にのせた彼は、その後も意味の

分からない単語を呟き語気を荒げながらその場を立ち去って行ってしまった。


 謝ったら負けーー


 彼はそう言ったけど、自分にはそれが正しい事だとは思えなかった。


 ちゃんと面と向かって謝りたい気持ちが一層強まった。


 団長曰く、


 ゼラニムのいる地下室は屯所一階に位置する彼女の執務室の本棚を、

横にスライドさせると出てくる隠し通路を

ずっと降って行った先にあるらしいからーー


 席を立ち、扉を開けた時、僕の目の前には一人見知らぬ女性が立っていた。


 王国内では珍しい黒髪に、ルビーをそのままはめ込んだかのような

光沢のある美しい瞳に切長の目。顔の輪郭はシャープで、半開きになった

口から覗かせる八重歯は鋭く、まるで人間以外の血が混ざってーーー



「あ...」



 彼女は防護服を着ていないゼラニムだと

理解するのにそう時間は掛からなかった。無意識に窓の外を見た。


 日はもう既に沈んでいたーー



「ゼラ、、ニム....」



 僕が彼女の名を呼ぶと、彼女の瞳の中の光沢は水の膜で揺らいた。


「あの、、さっきは....」


 心臓がドクンドクンと脈を打ち始めた。


「ごめん」

「ごめんなさい..」


「え..? どうしてゼラニムが謝るの?」

「それはこっちのセリフよ..。どうしてランス君が..」


「その、、ゼラニムの事..。忌血の子だって言おうとしたから..」

「.....。そうーーそれに対して、

急に手を上げて頬を叩いてごめん。腫れてるね。痛い?」


 良く見ると、

彼女は闇と同一化してしまいそうなほど黒いマントを身に纏っていた。


 僕のほっぺたに触れるため彼女が身を屈めると、バサッという音がした。


「どれ..。見せて..?」


 異常に色白な彼女の顔が、どんどん僕の方へと近付いていった。


「あ、、その、、」


「ウップ....」


 ゲロロロロロロロロロロ


 その時だった。ゼラニムは途端に顔色を悪くし吐き出した。

胃の中の残留物が、

床の上に敷かれた白の絨毯(じゅうたん)を真っ赤に染め上げていく。


「うわああああああああああああ!! 血だーーー!!」


「うっぷ、、落ち着いて..。私の身体が消化した

食べ物は酵素の働きで血液に変換されるの、、

それより今日の夜、ニンニクを使った料理とかは食べたりした..?」


「うーん。なんか皮の中に肉とか野菜が入ってるのなら食べたけど」


「餃子か、、きっとそれのせいね、、全く..。田中部長の奴ニンニクは抜けって言ったのに..」


「うわー! 服に血が..」


「......」



 水面から湯気が上りたつ屋外露天風呂は

近くにある山から源泉を引っ張ってきているらしく、打ち身、擦り傷に対し効能があるとかーー


 シャワールームで、桶をザバっとひっくり返したゼラニムは語った。


「ルルドの水って言ってね。

君が今優雅につかっているその温泉水、瓶に入れて路上で売れば

そこそこの値段で買い取ってもらえるよ」


「ゼラニムは売ったの?」


「ううん..。でも、前に団長がね、

温泉水を冷やしたのを夏祭りの日に配らないかって。

ひと商売したみたいで結構売れたそうよ..」


「へぇ..。水風呂にでもするんですか?」


「違う。飲むのよ」


「え..??」


「しかもね。団長はその時、自分が入浴していた水には2倍の値段をつけてた。

成分は変わらないのにそっちは飛ぶように売れたわ(特に男に)」


「それは嘘?」


「ふふっ、、そうよ。団長がそんな事するはずがない..」


「じゃあ今の全部、ゼラニムの妄想?

ゼラニムは自分の浸かった温泉水に2倍の値段をつけるの?」


「まさか? 私だったら、自分の浸かっていないただの温泉水に、

浸かったものだって言って売るわ。とはいえ、忌血の子のそれなんて..

一体どこに需要があるのかって話だけど..」


 ザバっと、入浴前の打水を身体に浴びせる音と共に、彼女はゆっくりと

湯船の中に足をつけ、お湯加減を測ってから体全体を静かに熱水の中に滑り込ませた。


「ふぅ..。あったまる。良いお湯ね〜ランス君はどう?」


「最高で〜す」


 身体中の血流が加速し、強張った筋肉がほぐれていく。

湯気の匂いを鼻の奥まで充満させた僕は、ゆっくりと深呼吸をした。


「昔ね..。私の父さん、蒸発したのよ..」


「それって、急にいなくなったって事ですか?」


「ううん..。父さん、吸血鬼族だからさ。しくじって陽の光に当たって、

そのまま”蒸発”して跡形もなくなっちゃったんだ..。ふふっーどう? 笑える?」


「不謹慎すぎてちっとも笑えない!」


「あぁそう..。じゃあ次はもっと面白いの考えないと..」


 そう言い残し、ゼラニムはしばし逡巡した。

ケロイドによるものか、爛れた右手を顎の下にあて考えるポーズを取ったため、

彼女のそれについつい目線を奪われた僕は気になって聞いた。


「その、右手どうしたの..? 任務中の怪我?」


「あ..。これ? 違うよ。これは私がまだ小さかった時、父さんも母さんも

いなくなっちゃったから一人で外に出るより他は無かったんだけど、、

ちゃんとそこは吸血鬼族の血を引いててね..。蒸発こそしなかったけど、

少し日向に入っただけでこのザマーーだからもし、そこで団長と出会えなければ

私は飢えて死んでたかもしれない」


「そうなんだ..。小さい時って、、いつ..?」


「うーんと..。確か、ちょうど今のランス君と同じくらいの時だったかな..。

当然神託だって授かっていないし、あるのはこの、薄汚れた血と身体だけ」


 ゼラニムはそれから、僕に立ち上がるよう促した。

近くにサウナがあるらしく、そこで耐久勝負をしないかと持ちかけられた。


「私は絶対にこの十字架のネックレスを外してはいけない..。

私の中の、吸血鬼族の血は年々強まっているせいで、外せば誰でも

見境なく襲ってしまいかねないし、それこそ陽の光に当たればもう、

火傷なんかじゃすまないと思う..」


「そうだったんだ..。僕、ゼラニムの事全然知らなかった..」


 暑くて思考が上手くまとまらない中、反射でそう答えた時、

首筋からつたった汗がサウナ室の座っている場所近くの布に垂れた。


「別に、初めてだから仕方ない。それに私も言い過ぎた..。

年下の男の子の扱いには全然慣れてないせいで、どう接していいか分からなくて、

無理に明るくしたり、砕けてみたりしたーーでも、これが素の私だよ。

つまらないよねーー」


「別につまらなくなんかないよ! そっちの方が絶対に良い!」


「えっへへ、、そーかな..? ありがとう!」


 そう言って、ゼラニムは溌剌(はつらつ)とした笑顔を僕に見せてくれた。


 どれだけ色んなキャラを作ろうと、この笑い声だけは変えられないらしい。








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