第7話 参謀のベルガモット
「ランス君。もし良かったら、今から私がここを案内して回るよ」
「そうですか。じゃあお願いします!」
明るい声でそう頷くと、ゼラニムは柔和な面持ちで僕の手を取った。
彼女の手は、死体のように冷えていた。
♢
ゼラニムと、長い渡り廊下をゆったりとした足取りで歩いた。
僕のペースに合わせてくれているらしい。
相変わらず手は握られたままだけど、彼女は僕の方を振り向かないまま言った。
「今日はラミナ星雲が綺麗だね」
窓の外の景色を眺めながら物思いに耽っているようだった。
ここも僕の田舎村同様、夜になると星々の輝きがくっきりと見える。
「私は星が好き。まだここに来る前、
ひとりぼっちだった私の心を癒してくれたから..」
「へーそうなんだね」
「....。あんまり興味ないでしょ?」
「......」
「まぁ、別に良いわー共感求めてるわけじゃなくて、
ただ少し感傷に浸りたくなっただけだからーー」
一人で感傷に浸りたかったと言う通り、
彼女の作る表情はどこか儚げで消えてしまいそうだ。
「あの! ぜ、ゼラニム、、は、、一人でも怖くないの!?」
そんな淡く希薄な彼女に、僕からはこの質問が自然と口をついて出てきた。
「別に怖くないよ。ずっと一人だと、一人でいるのに慣れるから」
「そ、そーなんだ....。でも、、」
「なに?」
「じ、じゃあそんな顔しないでよ。感傷になんか浸んないでよ!!」
「どうしてよ..」
「べ、別に..。なんとなく、ゼラニムには笑ってて欲しいなーなんて」
「ふっ、良いよ。だったら笑ってあげる。これで良い?」
「うん!」
やっぱり、僕はゼラニムの笑った顔の方が好きだ。
「笑顔を維持するのって案外辛いのね..。表情筋がつりそう..。
私は普段、そんなに笑わないから」
別にそうでもないのに、と言いたかった。
彼女は自分では思っていなくても、無意識の場面でたびたび笑顔を見せてくれるとー
「そういえば、さっきは私が吐いたどさくさで言いそびれちゃったけど、
これだけは改めて言わせて欲しいの。ランス君、本当にごめんなさい....」
「..」
「..。ランス君? えー..。どうして泣くかな..。君は泣き虫みたいだね。
女の子に泣かされるなんて、弱っちいの」
そう罵倒する割に、ゼラニムの声は明るく、涙で顔がぐちゃぐちゃになった
僕と目線を合わせた彼女はーー
「泣くくらい悪い事したって自覚あるんだったら、次からはしちゃダメだよ。
許してあげるのは今回だけーーあと..」
おでこにゼラニムの冷たい唇が触れた。顔に髪がかかってくすぐったいーー
「これは、吸血鬼族の慣習。『おやすみなさい』って意味なんだよ!」
「ーーー」
「おやすみ。また明日ーー」
♢
なんだか、僕の身体はおかしくなっていた。
一緒にいる時は何も感じなかったのに、一人になると動悸がやまない。
ドクンドクンドクンドクンドクン
顔も暑くなった。風呂に長く入り過ぎてのぼせてしまったようだ。
『これは、吸血鬼族の慣習ーー』
さっきのゼラニムの言葉が、何度も頭の中でリピート再生される。
こんな感覚になるのは初めだった。
ぷ〜ん
にしてもだ。ずっと気になってたけど、ここら辺は異常に臭い。
牛を何頭も飼育している酪農家の、牛舎のような匂いだ。
そのせいで、
僕はゼラニムとのやり取りの余韻から現実に引き戻されていった。
「あぁ..。早くねよーー」
バタン!!
するとその時、
恐らく腐臭の匂いの発生源である部屋から何かが倒れるような音がした。
「え? いや..。まさかまさか、、」
確か人間の死体は、長い間放置されると臭くなるらしい。
「まさかまさか」
僕は興味本位で部屋の扉を開け、刹那(せつな)その決断を後悔した。
「うっ」
星々の輝きに照らされ明瞭になった室内の隅々に散らばった本や紙の山。
破壊され、大きな穴が開いた壁に血痕のようなシミのついた天井
まるで殺害現場のような有様に僕は絶句すると同時に、
足元に何やらひんやりと冷たいボトルが6,7本ーズゥっと奥まで並べられていた。
僕は試しにその容器を一つ手に取ってみたが、
中には半透明で黄色い液体が注がれていたため、蓋を外し匂いを嗅ぐと、、
「お、オェッ..。こ、これってまさかーー」
人間のオシモから出る排泄物だと判明ーー
僕は蓋を硬く閉ざし、そっと地面に置いた。
なるほど、腐臭の原因が分かった所で次の議論はここは誰の部屋か?
という事ではあるが、その答えはもう推測する余地もなく必然的に定まった。
あの、腹が出ていて口の臭い、
”ニホン”という異世界から召喚されたおじさんだ。
見た目だけでなく、どうやら部屋の内装の方も”汚”がつくに相応しい代物だ。
セルフネグレクトという言葉が頭をよぎった。要は、自己放任ーー
それにこの部屋の主人が居る場所の目処は大体たった。
足の踏み場もない散らかった床を歩いていった先にあるほんの小さなサイズの窪みの中から、よくよく耳を澄ましてみると何やらイビキのような音が聞こえてきたからだ。
「スゥースゥーー」 と、この部屋に見合わない無駄に上品な寝息だ
今からあのおじさんを起こしに行くのは癪だったけど、
僕も協力してあの汚物入りペットボトルを退かさないといよいよ屯所内が
臭気でいっぱいになってしまうーーだから背に腹は変えられない!
いざ、出撃!!
ベチャ
????
足の裏に、べっとりとした何かが付着した気がした。
♢
昔、僕は父にたびたび、親戚の営む牛舎に連れて行かれる機会があった。
「うええ..。汚いよーパパー! どうして牛ってどこにでもう○こするの!?」
「そりゃあ、牛は人間と違って、決まった場所でう○こをする習慣がないからな。自分のタイミングで、したい場所でするだけだよーー」
♢
「うわあああああ!! う○こ踏んじゃったよーーーー」
あのクソデブ! 死○! 死○! 死○!
いくらホルスタインみたいな体型をしているからって、、、
こうなったらもうタダでは済まさないと僕は固く決意した。
例の窪みの中にいるあの人を叩き起こして叱り付けないとーー
「田中部長!! 起きて下さい! そして部屋を片付けて下さい今すぐに!」
と言って、例の中を睨みつけるように覗き込んだ直後、
僕はまたもや絶句した。
何故ならそこに居たのは中年のおじさんではなかったから。
身体中が垢にまみれ、かろうじて色は視認できるものの伸び放題の髪ーー
指と同じくらいの長さにまで達した爪に、
ビリビリに破けた服と挙げればキリがない。
僕と同じ歳くらいの少女が、苦しそうな顔を浮かべ横たわっていたのだ。
「ま、まずいまずい!」
慌てた僕は
すぐに彼女をあの汚部屋から出し、
さっき入ったばかりのお風呂場に連れてった。
一刻も早く身体に付着した汚れを洗い流してあげないと可哀想だ。
服を脱がさないと..。えっと、、分かりにくい。どこをどうやって、、
するとその時、
眼下で熟睡していたはずの少女の瞳がパチリと開いた。
まるで澄んだ青空のような色をした美しい瞳だった。
「あの! 今から綺麗ーー」
バシっ
「へ..」
腹を何者かに思い切り蹴飛ばされた衝撃が走った。
唐突すぎて状況の整理が全く追い付かないその時、横たわっていたはずの
少女はゆらりと立ち上がり、なおも悶絶する僕を見下げてこう語った。
「おい人間! 誰の許可を取って妾の”聖域(サンクチュアリ)”に侵入した!?
不敬であろう、不義であろう、不審であろう、不埒(ふらち)であろう。
よって死刑!!」
あぁーー僕は、彼女の容姿に心当たりがあった。
金髪の長耳族(エルフ)、その名を『ベルガモット』と言う。
神の代行者の一人、
”トト”の称号を授かった御年46歳(人間だと8歳くらい)の重鎮
確か彼女の神託は、『全魔族の居場所の特定』だったっけ....。
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