少女の忘却
Fourth・What's your name?
憲兵の男性と話している途中突然意識を失なった彼女が目を覚ますと、真っ先に視界に飛び込んできたのは白い天井だった。
白い天井なら孤児収容所にもあったのだが、ここはベッドも柔らかい上に血のようなにおいもせず、とても快適なのだ。あたりを見回してみても、窓に鉄格子なんかはまっていないし、ドアも電子ロックらしきものはついていない普通の物だった。
恐る恐るドアのタッチセンサーに触れ、外に出てみると急に初老の女性に話しかけられた。
「おや、もう起きたのかい。大量に入ってきた病人の中で起きたのはあんただけじゃよ。朝食は一階の食堂で食えるから、さっさと降りて食べな」
「は、はぁ」
「何突っ立ってるんだい?ここの料理にゃあのクソみたいな所のように変なもんは入っとらんよ。さっさとお行き!」
急かされると、元D-2034は急いで一回に降りて行った。
階段を下り、掲示板に掲示されていた構内図を頼りにして食堂に入ると、とても美味しそうな匂いがあたりに立ち込めていた。後ろの方には見覚えのある男性達もいる。
「あんちゃん、食うならさっさと食うと言ってくりゃしんねぇかね?」
「いや、あの...お金って...」
「馬鹿、ここは職員食堂兼病院食堂なんでぃ。金が要るわけないだろ。ほら、食いたいもの言え」
そういわれると彼女は一瞬迷ったような表情を浮かべたが、直ぐにもとの顔に戻って味噌カツ丼を注文した。
「作り終わったら言ってやるから、どっか席に座っときな」
一人でも別にいいのだが、それはそれで気まずいため取り敢えずD-2034は自分たちのことを物の数分で倒し切った男性達のとのなりに座ることにした。
「お、おはようございます...あの、昨日はありがとうございました」
彼女があいさつをすると、彼らは一斉に彼女の方を向いて品定めをするように見たを後、異口同音に挨拶を返した。
「おはよう。私は西籤。呼ぶときはクジさんでいい。代々そう呼ばれてきた」
「やぁお嬢ちゃん、やっとおきたか。俺は佐藤。ゲームソムリエをやっているんだ。よろしく」
「君にいいことを教えてあげよう。こいつは嘘をついてるんだぜ。ゲームソムリエなんつぅ職業はないのに。僕は浅井。マシンガンナーさ!」
そこまでは年相応の男性の挨拶だったが、驚いたのはその次の挨拶の後に言い放った言葉だ。
「おはよう。私は羽坂。ところで、君はどうやら一晩しか寝ていないと思い込んでいるだろうが、それは大間違いだ。もう2週間は経過しているぞ」
「え?!そうなんですか!」
思わず大きな声を少女があげると、西籤を名乗る人物がまた声をかけてきた。
「ところで君の名前は何というんだ?それくらい覚えているだろう」
「は、はい。私の名前は...その...」
「なんだ?わからないのか?」
「漢字が...分かんないんです」
「そうか。まぁいい。とりあえず紙に書いてくれ」
そういって羽坂がメモ用紙を取り出すと、彼女はそこに「きたむら まいか」と書いた。
「へぇ、まいかちゃんか!いい名前だなぁ」
「書いてみても漢字はわからないのか?できれば教えてほしいものだが」
「じゃあ皆で漢字を当てはめてみたらどうだ?パズルみたいにな。そうすればきっとしっくりする名前ができるはずだ!」
「馬鹿、名前という物は一度付けたらほぼ一生変えられないんだぞ!そんなパズル感覚でやっちゃいかん。きちんと戸籍を探し、見つからないとわかった後しかるべき手続きを...」
羽坂がそう言いかけた瞬間、「まいか」と名乗った少女が唐突に口をはさんだ。
「あの!」
「なんだ?」
「私の名前の漢字、皆さんに決めてほしいです!」
「あのなぁ...」
呆れたような声調で口をはさむと、羽坂は言葉を続けた。
「そもそも、君には名付け親がいるはずだ。その親の意志を無視して勝手に名前を変えるというのは、君の親の意思に反するかもしれないんだぞ?」
「...それは、そうかもしれません。でも...私、あの場所にいた間ずっと、自分が誰なのかよくわからなかったんです。自分の名前は知ってても、私が『きたむらまいか』である理由が全く分からなくなってたんです」
彼女は少し俯き、言葉を続けた。
「でも、皆さんみたいな人たちに名前をつけてもらえたら、私が生きている意味みたいなものが、何か変わるんじゃないかなって...名前は、私にとって新しい人生を始めるためのものになれると思うんです」
彼女の言葉に、一同はしばらく沈黙した。羽坂も腕を組み、深く考え込む。普段は厳格で冷静な彼だが、目の前の少女の懇願には、どこか放っておけないものを感じていた。
数秒後、浅井がその沈黙を破った。
「おいおい、そんな悲痛な雰囲気になりすぎるなって。まいかちゃんが自分の新しいスタートを切りたいってんなら、俺たちも協力してやるのが筋ってもんだろ?それに、名前をつけるってちょっと面白そうだぜ」
佐藤が続けて茶化すように笑う。
「それなら僕が『無敵のまいか』とか、『最強戦士まいか』みたいなカッコいい名前を考えてやろうか?」
「ふざけるな!」
羽坂が大きな声で佐藤を怒鳴る。
「真剣な話だと言っているだろう。冗談で決められることではない!」
叫んでいる羽坂をたしなめるために、西籤が小さく笑いながら話に加わった。
「まぁまぁ、硬くなるな。羽坂。だが確かに、まいかちゃんの言葉には一理ある。人生の節目には、名前が新たな決意を固める原動力になることがある。せっかくだから、彼女の気持ちを尊重して考えてみてもいいんじゃないか?」
羽坂は不機嫌そうに溜息をついたが、まいかの真剣な眼差しを見ると、諦めたように頷いた。
「わかった。ただし、慎重に考えることが条件だ。それと最終的に決めるのは当事者である。軽々しい決断は許されないぞ」
まいかは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます!皆さんと一緒に、新しい名前を考えられるなんて…本当に嬉しいです!」
こうして、一同はまいかの新しい名前を考える作業に取り掛かることとなった。用意された紙にはいくつもの候補が書き連ねられていく。
それぞれが真剣に、あるいは冗談交じりに名前の案を出し合い、食堂には自然に和やかな空気が広がっていった。
その後も候補を四人で出し合う中、少しずつ名前の方向性が見えてきた。西籤が提案した「舞」という字が気に入ったまいかは、どんな字と組み合わせるかを考え始めた。
「『舞』はそのままにしたいです。なんだか、自由で楽しそうな感じがして…」
そう言いながら、彼女は暗くなっていた目を輝かせる。
「それなら、下の『か』に合わせる漢字を探そう」
と西籤が言い、全員が今度は「か」の所に当てはめる漢字の案を出し合い始めた。
「どうだ、『華』なんてのは?『舞華』って感じでさ、華やかでいいだろう?」
佐藤が自信満々に言う。
「いや、それだと少し大げさすぎる。どうだ、『佳』にしてみては?『舞佳』なら、良い舞いを表すようで意味が深いだろう。」
羽坂が落ち着いた声で提案する。
「僕は『香』がいいと思うな。『舞香』なら、舞い踊る香りって感じで優雅だろ?」
そこに浅井が口を挟む。そして、そこにまた羽坂が反論し、また新たな意見が生まれていく。一人の少女の人生がかかった意見が飛び交う中、まいかは一つ一つの提案を噛みしめるように聞いていた。全員が案を出し切ったところで、羽坂が静かに尋ねた。
「さて、まいか。どれが一番しっくり来る?」
彼女はしばらく迷っていたが、やがてそっと微笑みを浮かべ、自分の希望を話した。
「...迷うけどやっぱり『舞華』がいいです。舞い踊る華、っていうのがなんだか素敵で…。私もそんなふうに自由に生きたいな、って思ったので」
その言葉に佐藤がガッツポーズをする。
「よっしゃ!俺の案採用だぜ!やっぱり俺はネーミングセンスがいいんだ!」
「浮かれるな。決めたのは彼女自身だぞ」
羽坂が佐藤を軽くたしなめた。
「でもいい漢字だよなぁ、『舞華』って。君にぴったりだよ」
浅井が笑顔で言う。
西籤も満足げに頷き、
「それじゃあ決まりだな。これから君は『北村舞華』だ。新しい名と共に、人生を始めるんだよ。三笠九尊のご加護がありますように」
と語りかける。
「はい!」
彼女を勇気づける言葉に対し、舞華は力強く返事をした。その顔には、これまでに見せたことのなかった自信と希望が満ちていた。
その瞬間、彼女の心に新たな覚悟が芽生えた。名前をもらっただけではない――彼女はこれから、この名にふさわしい人生を自ら切り拓いていくと心に誓ったのだ。
一同が談笑を続ける中、舞華の目に急に涙が浮かんできた。
「お、おい。なんで泣いているんだ?何か嫌なことでも言ってしまったか?」
羽坂がそう問いかけると、舞華はこう答えた。
「違います、違うんです...なんだか、久しぶりに私のことを分かってくれる人にあった気がして、とっても嬉しいんです」
その言葉を聞いた一行は、彼女が施設でどれだけ苦しんだかを想像し、胸に熱いものがこみあげてくることを感じた。
少ししんみりとした雰囲気になったのち、空気を呼んで待っていてくれたのか後ろに立って話が終わるのを待っていた男性が、長机の前から舞華の所に味噌カツと米が大量に盛られた丼ぶりを置こうとした。
「ほら、待たせたな。味噌カツ丼、できたで」
男性が手を伸ばして丼を舞華の前に置くと、カツの香ばしい香りが立ち上る。見るからにサクサクとした衣に覆われたカツが甘辛い味噌ダレに絡められ、その下に敷かれた白いご飯と絶妙に調和している。舞華は目を輝かせながら、丼を両手で抱えるようにして感謝の言葉を述べた。
「ありがとうございます」
五人が見守る中、手を合わせ、「いただきます」という。
彼女は初めに一口、カツとご飯を一緒に箸で頬張った。口に入れた瞬間に、ジューシーな豚肉の油の甘みと味噌の香ばしい甘みが口いっぱいに広がり、舞華は思わず感嘆の声を漏らした。
「...おいしい!」
その感想を聞いて、羽坂たちは笑顔を浮かべた。
「そりゃあよかった。あそこの孤児院という名の実験施設で食べてたもんとは大違いだろう?」
浅井がからかうように言うと、舞華は頬を少し膨らませた。
「そんなこと言わないでくださいよ。でも、本当に全然違います。これ、本当においしいです!」
「だろう?ここは病院食とはいえ、調理係さんの腕がいいんだ。僕たちもケガしたときはお世話になってる」
西籤が微笑みながら話し、舞華も安心した様子で再び丼に向き直る。
羽坂たちは既に食事を済ませていたが、舞華が丼を一心不乱に食べる姿を見て、なんとなく微笑ましい気持ちになったのか、話を振り始めた。
「舞華。そういえば、お前はあの施設でどんな生活をしていたんだ?」
全く空気を読まない羽坂の突然の問いに、舞華はビクッとして箸を止めた。一瞬、表情が曇る。
「...毎日、同じことの繰り返しでした。起きて、注射とか実験とかをして、食事して、また実験して。全部強制されて何も考えなくてもいいような生活だったから、自分が何のために生きているのかが分からなくなってたんです...」
彼女の声は次第にか細くなったが、そこに皆にジト目で睨まれた羽坂が自分のせいで落ち込んだ舞華を元気づけるように言葉をかけた。
「だが、今は違うだろう?お前には新しい名前と自由な体がある。これからは、自分といつかはできる大切な人のために生きることを考えるんだ
その言葉に、舞華は顔を上げた。
「はい...。そうします」
彼女の決意に満ちた表情を見て、佐藤がニヤリと笑った。
「いいねぇ!そうだよ、これからは俺たちがいるんだから、何か困ったことがあったら頼ればいい。一応頼りにはなるぜ?
「佐藤が一番頼りにならなさそうだけどね」
西籤が冷静に突っ込み、浅井も笑いながら付け加えた。
「佐藤はともかく、俺は頼りにしてくれていいぜ?マシンガンナーとしてな!はははっ!」
全員のやりとりに、舞華はつい笑ってしまった。
「うふふっ...みなさん、本当に優しいんですね」
「優しいかどうかは分からないが、お前みたいな境遇の者を保護した以上、憲兵隊はお前を守る。それが人民を守る憲兵の義務だ。今の年齢でも別に入隊できないことはないが、もう少し大人になったらぜひ来てくれ」
羽坂が言うと、舞華は目を輝かせながら大きく頷いた。
「はいっ!」
その後、舞華は味噌カツ丼を一気に平らげ、空になった丼を見て満足そうに微笑んだ。
「ごちそうさまでした!本当に美味しかったです」
調理係の男性に礼を言うと、彼も誇らしげに笑った。
「気に入ったならまた食いに来ぃや、嬢ちゃん。ここは暫くあんたの家みたいなもんやからな」
「はい、ありがとうございます!」
食事を終えた舞華は、羽坂たちとともに再び談笑を始めた。彼女の心には、ようやく光が差し込んできたようだった。
その後、調理係の男性にお礼を言って羽坂たちと共に食堂を出て行くと、西籤に舞華が唐突に質問をする。
「そういえば、西籤さんの能力っていったい何なんですか?」
そう問われると、西籤は一瞬困ったような表情を浮かべ、羽坂、浅井、佐藤に目配せをしたのち、立ち止まってこう話した。
「僕の能力は生まれつきのものなんだよ。代々三笠九尊を祀る西籤家の遺伝なんだ。母様と父様に見せてもらった巻物の複製品を見る限り、どうやらご先祖が三笠山というたまたまたどり着いた後、そこで『三笠九尊』という名前の神様に出会って、ご神体と能力を授けられたらしいんだ。詳しいことはわからないけれどね。ところで、君の能力ってなんな...」
「へぇ、じゃあどんな能力を使えるのですか?」
冷や汗をかきながら必死に話題をそらそうとする西籤だが、全く彼女には効果が無く、それどころかさらに西籤の能力関連の話を質問してくる始末であった。
「あ、あ~その、もうこの話はやめよう!な?」
「へ?何でですか?もっと皆さんのこと知りたいのに...」
ここまでくると西籤の冷静防壁も崩れ始める。少し元気がなくげっそりしているとはいえ、眩しい陽光のような笑顔を浮かべている超美少女を前にしたら、どんなに冷静な人物でもテンパってしまうだろう。
「な、なぁ舞華ちゃん。ここはいったんお開きにしないかい?僕たちも仕事があるし、君もゆっくりと療養しなきゃだし!」
「ああ、浅井が正しい。お前はまだまだ完全に回復しているとは言えないからな」
見かねた浅井と羽坂が助け舟を出すと、西籤の冷や汗はすぐに引っ込み、羽坂たちと共に笑顔で舞華に手を振った。
「じゃぁね。舞華ちゃ~ん」
「元気になれよ!」
「さよなら」
愉快な憲兵たちと別れたあと、舞華は今までのことを思い返しながら階段を駆け上った。もうすべてを強制される生活は終わり、自由に自分の行動を自分で決め、自分の責任の管理も自分へと移ったのだ。
自分と同じ境遇の人たちとも今なら悲しみと苦しみを分かち合い、これからは助け合える良き友人になれるだろう――そう考えていた矢先、彼女は気が付いてしまったのだ。自分の病室には『使用中』と緑色の字で表示されているのに、他の部屋には赤い字で『清掃中』と書かれているだけだった。
それを見て、彼女は一瞬「自分以外の能力者はみんな死んでしまったのか」と考えたが、もしかしたらたまたま自分の病室がほかの能力者たちと離れているだけかもしれないと考えなおし、病棟を回ってみることにした。
しかし、その考えは全く幻想的且つ理想主義的であったことに彼女は気が付いた。
どの病室を回っても『清掃中』、『清掃中』、『清掃中』...ごくたまに『使用中』と表示された病室もあったが、それらにはすべてきちんとした病人の名が書かれた札が掲示されており、明らかに能力者たちのものではなかった。だが、彼女にとっての本当の悲劇はここからだったのだ。
最後の病棟を回っている途中、急に病室が途切れ、途切れた廊下の中ほどに何も書かれていないドアを見つけた。
「...スタッフさんがいるのかな?入って聞いてみようっと」
そうしてドアをノックしたが、反応はない。不審に思った彼女がドアをそっと手で押すと、案外簡単にドアは音を立てながら開く。その後、数分間歩いていると、彼女は電気のスイッチであろうものを二つ見つけた。
「...どっちが電気をつけるスイッチだろ...あ!そうだ。両方とも押しちゃえ!」
「自分ってあったまい~」と心の中ではしゃぎながら、一つ目のボタンを押すも、『ヴィーン』という軽い作動音が聞こえただけで、電気はつかなかった。二つ目のボタンを押すとやっと電気が付き、真っ暗だった部屋の全体が照らされる。
暗かったためさっきまでは分からなかったが、その部屋は巨大で、どこかあの施設に似ている気がした。部屋の中には人がすっぽり収まるサイズのカプセルが置いてある棚が大量にあり、奥の方からは青白い光が漏れ出していた――
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