fifth・Cruel reality
青白い光を見つけた彼女は、それが何から出ているのかが疑問に思い、見に行ってみることにした。その光は、金属のように冷たく、また刃のように鋭かった。
光に向かって歩いている時、舞華は時々機械音が聞こえることに気が付いたが、好奇心が勝ってそんなちっぽけな疑問は過ぎに引っ込む。しかし、彼女は新しい場所、そして話し相手に浮かれすぎてしまっていたのだ。
舞華は青白い光を頼りに、薄暗い部屋を進んでいった。その光が漏れ出る部屋の扉は、かすかに開いており、中から低く響く機械音が漏れていた。心臓が速く打つのを感じながら、彼女はその扉を静かに押し開けた。
中は驚くほど冷たい空気に満たされており、青白い光源が部屋の中心に据えられた巨大な水槽から放たれていた。水槽の中には何かが浮かんでいる。氷のように透明な液体に包まれた人型の影だ。近づくと、そこにいるのが人間だと分かった。目を閉じ、静かに浮かぶその体には、奇妙なほど穏やかな表情が残っていた。
「気になるのかい?これが」
突然、背後から声がした。舞華は驚き、振り向くと、白衣を着た中年の男が立っていた。彼の目は冷たく鋭く、研究者らしい知性がにじみ出ているが、同時にかすかに記憶に残った父のような雰囲気も漂わせている。
「それはね、厚生労働局の施設で、麻酔銃弾を使用して仕留めた能力者なんだ。まったく、運が悪かったな。せっかくの貴重な生体標本が
研究者は楽しげに言いながら、水槽に近づき、アクリルに手を触れた。
「だけどね、死んでしまったものは仕方ないんだ。だが、こうしてホルマリン漬けにして保存しておけば、いつかは研究には役立つ。もっとも、生きたままのほうが理想だったが」
舞華は息を呑んだ。この冷たくも無神経な口調が、胸の奥にざわつく感情を呼び起こした。そうして、研究者の正体を聞こうとしたその時、部屋の空気が変わった。
不意に背後で「ギギギ…」という不快な金属音が響いたのだ。その音に反応し、恐る恐る振り向いた彼女の目に飛び込んできたのは、異様な姿をした兵士だった。異常に長い手足を持ち、にんまりと笑ったような気味の悪い仮面をかぶっている。
その仮面の目が、舞華をじっと見つめた瞬間、彼女の背筋が凍り付いた。動こうとするが、体が言うことを聞かない。
「誰...?」
声が震えながら漏れるが、兵士は何も答えず、さらに一歩近づいてきた。仮面の口元が笑みを深めるように見える。
そして――。
視界がぐるりと回転したような感覚に襲われたかと思うと、全てが真っ暗になった。冷たい床に倒れ込むような感覚の中、舞華の意識は徐々に薄れ、暗闇に飲まれていく。
その暗闇の中、舞華はまるで深い湖底に沈んでいくような感覚に囚われていた。何も見えず、何も聞こえない。ただ冷たく重い水圧が彼女の全身を包み込み、息苦しさが胸を押し潰す。しかし、湖底に達する前に意識はゆっくりと戻り始めた。
目を開けると、視界に真っ先に飛び込んできたのはぼんやりとした青白い蛍光灯の光だった。頭に鈍い痛みを感じながら、彼女は床に横たわる自分の体をゆっくりと起こそうとする。だが、腕が動かない。焦って周囲を見回すと、自分が手足を拘束され、ベッドに金属の腕輪で縛り付けられていることに気がついた。
「ここは...?」
声を出そうとしたが、喉が渇ききっていてかすれた音しか出ない。仕方がなくなって視線を上げると、彼女を見下ろす白衣の男の顔が視界に入った。彼は相変わらず無表情で、此れもまた輝きのない虚ろな瞳が舞華をじっと観察している。
「やっと起きたか。では、今から君に実験をする。生きている状態でこの過程を見届けられるのは、能力研究者の端くれとして実に喜ばしい限りだよ」
男は満足そうに口角をわずかに上げたが、それは通常の微笑みではなく、ただの無慈悲な笑みだった。彼は舞華の体の周囲をゆっくりと歩きながら、ノートに何かを書き込んでいる。
「あなた...私に何をするつもりなの!?」
舞華は必死に声を振り絞る。だが、彼の耳にはその問いかけは届いていないかのようだった。
「これが持っている能力の奇蹟性を測定する必要がある。興味深いことに、このタイプの能力者は非常に珍しい。この瞳色だと遅視能力...か。面白い。潜在的な戦闘力が高いとされているタイプだ。しかし、それを引き出すためには適量の『刺激』が必要だったはずだな」
彼は冷たい声で言葉を続けた。その内容は舞華にとって理解不能なものだったが、彼の意図することが彼女に危害を加えるであることだけははっきりとわかった。
「待って!私は戦える能力なんて…使えない!あなたの求めているものは私には...」
「黙れ!」
彼女の声を遮るように、男は怒鳴る。その言葉には鋭い刃のような威圧感が込められていた。そして怒鳴られた途端、舞華の喉が凍り付いたようになり、声を出せなくなった。
少し間が開き、研究者が右手でデヴァイスの何かを押した次の瞬間、部屋の隅から先程の仮面の兵士が姿を現した。長い手足が不気味に動き、カタカタという金属がぶつかるような音を立てながら彼女の側に近づいてくる。
数歩歩くと、兵士の仮面の目が再び彼女を捕え、その歪んだ笑みが彼女を飲み込もうとしているかのように変化した。
「いや…来ないで…!」
舞華は暴れるが、拘束は一切緩む気配がない。男は兵士に向かって手を振り、一言だけ命令を下した。
「犯れ」
仮面の兵士はその場で片手を持ち上げた。指が奇妙に分離し、鋭利なコードの雄端子のような形状に変形する。それを見た舞華の心臓は恐怖に陥り、彼女は全力で逃れようともがくが、その動きは拘束具に邪魔されるばかりで全くの無駄だった。
「やめて…お願い…助けて…!」
涙を流しながら叫ぶ彼女の声は、冷たい部屋の中で虚しく響くだけだった。兵士の指が彼女の肌に触れると、冷たい金属の感触が彼女をさらに恐怖のどん底へと叩き落とした。次の瞬間、激しい痛みが彼女の腕に走る。
「くっ...!きゃああああっ!」
舞華の悲鳴が部屋全体に響き渡る。だが、男はその声を楽しむかのように観察を続けるだけだった。
「いい反応だ。これで能力が覚醒するかもしれない」
しかし、彼女の痛みは終わりを迎えなかった。兵士の動きは止まることなく、次々と指を刺していく。
それは、彼女にとって永遠とも思える時間だった。舞華の意識が再び闇に落ちるまで、彼女はその地獄のような苦痛に耐え続けた。
だが、その時、研究室の外から鋭い足音とともに怒声が響き渡った。研究室の重厚な扉が爆発音と共に大きく開く。白衣の研究者が驚いたような表情をして顔を上げると、煙の中から四つの影が現れた。
「大和連邦憲兵隊第一三五班だ!即刻その場で動きを止めろ!」
鋭い声と共に羽坂が手に憲兵手帳を掲げながら堂々と歩み出る。後ろには西籤、浅井、そして佐藤がそれぞれ武器を構えて続いていた。全員の顔には険しい表情が浮かび、部屋の異様な光景に警戒を強めている。
白衣の男は一瞬驚いたように眉を上げたが、すぐに冷笑を浮かべた。
「憲兵隊と母体...か。面白い」
彼は舞華の無残な姿をちらりと見やると、興味なさそうに肩をすくめる。
「貴様を威力任務妨害および無断人体実験禁止法違反の容疑で拘束する!」
羽坂が容赦なく告げると、浅井が補足するように声を上げた。
「逃げる余地はない。さっさとお縄につけぇ!」
だが、白衣の男は動じることなく小さく鼻を鳴らした。
「ハッ!残念だが、私を無事捕まえたとしても君たちがここを出ることは不可能...おそらく2%以下だろう」
彼が低い声で告げると、仮面の兵士がゆっくりと羽坂たちに接近してきた。長い手足を不気味に動かしながら、にんまりと笑った仮面が羽坂たちを睨む。その異様な姿に、佐藤が低く唸る。
「なんだありゃぁ…」
「気にするな。ただの敵だ」
羽坂は冷静を装いながらも、その正体が明らかに異常であることを察していた。だが、それでも部下たちの動揺を抑えるように鋭い命令を飛ばす。
「奴の脳を破壊する!全員、頭部を狙え!」
羽坂の号令と共に、銃弾が仮面兵士に向かって放たれた。だが、仮面兵士は人間離れした速度で身をよじり、次々と攻撃を回避していく。その動きは滑らかでありながら機械的な正確さがあった。その時、西籤が不意に叫ぶ。
「こいつら、まるで俺たちの動きを読んでいるみたいだぞ!」
浅井は歯を食いしばりながら射撃を続けたが、仮面兵士の異常な回避能力に翻弄され、次第に焦りを募らせていった。その時、羽坂が低い声で指示を出す。
「佐藤、西籤、俺と浅井が突撃する隙を作れ!」
佐藤と西籤が素早く動き、仮面兵士の注意を引くために牽制射撃を繰り出す。その間に羽坂と浅井が一気に距離を詰め、刃物を持った手に集中攻撃を仕掛けた。仮面兵士が一瞬怯んだ隙を見逃さず、羽坂が叫ぶ。
「今だ!仮面を狙え!」
浅井が振り下ろした銃床が仮面を激しく叩きつけ、裂け目が走った。その瞬間、仮面の裏に隠されていた素顔が覗いた。そこに現れた顔を見た全員の動きが止まった。
「…嘘だろ」
浅井に呼びかけられ、振り向いた羽坂が言葉を詰まらせた。そこに現れたのは、羽坂自身の顔だったのだ。だが、それは全くの無表情であり、生気を感じさせない死んだ目が彼らを見返していた。
「これは...まさか...」
西籤が唖然と呟く。だが、白衣の男はその光景を見て満足げに笑った。
「そうだ。こいつらは君たちのデータを元に作り出された。言うなれば、君たち自身の完成形なのだよ」
羽坂の拳が震える。
「貴様…俺たちを、クローンだとしても...こんな化け物にしやがったのか」
静かに激怒する羽坂を見ても、男はただ冷たく微笑むだけだった。
「さて、君たちはどこまで自分自身と戦えるかな?私としてはとても興味深いがね...」
しかし、無情にも再び戦闘は始まる。仮面の兵士、いや、「羽坂のクローン」は無感情な目で羽坂らを見下ろすと、再び長い手足を奇妙な角度に曲げながら動き出した。その動きは異常な速さで、羽坂たちの間に一瞬で潜り込む。
「散開しろ!」
羽坂が叫ぶが、その声が響くよりも早く、クローンの腕が鞭のようにしなる。鋭い音とともに浅井の機銃が床に叩き落とされ、続けざまにクローンの長い脚が振り上げられると、今度は西籤の身体が吹き飛ばされた。
「くそ…!」
浅井が刀を抜き、必死に応戦しようとするが、クローンの動きは人間よりもはるかに速く、力強かった。彼の刀はクローンの腕に当たったかと思うと、まるで金属にぶつかったかのような鈍い音と共に刃が跳ね返された。
「これが俺たちの完成形だと?冗談じゃない!」
浅井が歯を食いしばりながら叫び、再び攻撃を仕掛けるが、クローンはその言葉に反応することもなく、一番効率的な動きで彼の攻撃をいなし、攻撃し続ける。
その間にも、佐藤が西籤を助け起こしながら羽坂に向かって叫んだ。
「羽坂さん、どうする!このままじゃ全滅ですよ!」
羽坂は視線を鋭くし、全身を巡る怒りと冷静さを必死に両立させながら状況を分析した。撤退しようという考えも勿論浮かんだが、床に転がる舞華の姿が彼の視界の端にちらつく。彼女の命が危険にさらされている今、退く選択肢など存在しない。
「撤退はせん!奴の動きを封じるぞ!浅井、俺と一緒にあいつを挟撃しろ。佐藤と西籤はあの研究者を確保して後ろを塞ぐんだ!急げ!」
羽坂の指示に全員が即座に応じ、再び動き出した。
浅井と羽坂が同時にクローンに接近し、それぞれ反対側から攻撃を仕掛ける。クローンは両腕で自分への攻撃を防御しようとしたが、羽坂が狙ったのはクローンの胴体ではなく、仮面そのものだった。腕に力を込め、一撃を繰り出す。
「このパチモン野郎がっ!」
銃床が仮面にめり込み、仮面の表面が完全に崩れ落ちた。その下に現れたのは、羽坂自身の顔そのものだったが、それは機械のような冷たい視線と共に、無機質な表情を浮かべていた。
「……」
一瞬、羽坂の手が止まりかける。刹那、その隙を見逃すことなく、クローンは羽坂の喉元を狙って腕を振り上げた。しかし、その瞬間、浅井の刀がクローンの腕をかろうじて弾く。
「羽坂さん!気を抜くな!」
浅井の声で羽坂が我に返る。迷いを振り払うように、彼は次の銃撃をクローンの頭部に集中させた。
ガガガガガッ!
爆音と共に、クローンの首があらぬ方向に傾き、その体がようやく床に倒れ込む。
その間に佐藤と西籤は研究者を取り押さえ、逃走経路を塞いだ。
「こいつを連れて帰れば、全ての証拠が揃う...!」
西籤が吐き捨てるように言い、研究者を強く押さえつける。
「よくやった。浅井」
羽坂が浅井に方手を差し出し、彼を助け起こす。だが、安堵している暇はなかった。倒れたはずのクローンが再び立ち上がる音が、静寂を破った。
「まだ動けるのか…!」
羽坂たちが振り向いた時、クローンは機械的に壊れた音を発しながら、再び異様な動きを始めた。その顔には笑みが浮かんでおり、それは羽坂自身の顔であるにもかかわらず、明らかに異質で、冷酷だった。
「終わりじゃないぞ…」
羽坂が低く呟きながら、再び構えを取り直す。戦いはまだ、終わっていなかった。
羽坂たちがクローンを睨みつけながら身構える中、ふと浅井が異変に気付いた。
「…待て、一体いない!」
周囲を見回す浅井の声に、全員が緊張を強める。その瞬間、天井から不気味な音が聞こえた。金属と金属が擦れるような音が次第に大きくなり、鋭い金切り音と共に現れたクローンに羽坂以外の全員の視線が上へ向く。
「天井だ!」
佐藤が叫ぶと同時に、天井に張り付いている羽坂のクローンの内の一体がにんまりと笑う。その体はまるで蜘蛛のように不自然に反り返りながら、手足で天井を掴み、こちらを見下ろしている。その顔には、またしてもあの奇妙な笑みが浮かんでいた。
「なんだあの動き…!」
西籤が驚愕しながら銃を構えたが、また別のクローンが彼の動きを見越したかのように素早く移動し、佐藤に向かって飛びかかった。
「馬鹿、避けろっ!」
羽坂が咄嗟に佐藤を突き飛ばし、自分が代わりに攻撃を受ける。鋭い衝撃と痛みが羽坂の肩を襲ったが、彼は痛みに耐えながらクローンを重傷で押し返した。
「西籤、天井の奴を引きはがせ!」
羽坂の声が響くと、西籤は深呼吸を一つする。彼が右手首を左手でつかみ、手の甲を地に向けた途端、手のひらに柔らかい光が集まり始める。
「
西債がそうつぶやいた瞬間、光が一機に拡散され、見えない力が天井を掴むように渦巻き、クローンの体を一瞬で固定した。
「引きずり下ろしてやる…!」
西籤が手を振り下ろすと、天井に張り付いていたクローンの体が無理やり引き剥がされ、床に叩きつけられた。だが、その衝撃をものともせず、クローンはすぐに立ち上がると壁に飛び移り、まるで獣のように超高速で走り出した。
「まずい、狙いを定められない!」
佐藤が焦りながらアサルトライフルを射撃するが、弾丸はことごとくクローンの残像を追い越して壁に当たってしまう。クローンの速度は圧倒的で、壁面を走りながら次々に角度を変え、羽坂たちを翻弄した。
「西籤、もう一度やれ!」
羽坂が叫ぶが、西籤は額に汗を滲ませながら呻いた。
「ダメだ、あんだけ速いと空間の掌握が追いつかない...!」
その時、浅井が声を上げた。
「なら先を読んで攻撃すればいいだけだろ!」
そう叫ぶと、浅井は腰の刀を抜き、壁を駆け回るクローンの軌道を冷静に見極める。クローンが次に跳び移るであろう壁を予測し、その位置に向かって素早く踏み込んだ。
「ここだ!」
浅井が力強く斬りつけると、クローンは狙い通りに刀の軌道に飛び込んだ。その刃がクローンの胸を貫き、一瞬だけ動きが鈍る。すると、浅井が作った隙を逃さず、羽坂が再び銃剣をもって突進した。
「これで終わりだ!」
羽坂がクローンの顔面を銃剣で刺し貫き、その衝撃でクローンが壁に叩きつけられる。動きが完全に止まったその自分のクローンの変わり果てた姿を見下ろしながら、羽坂は深い息を吐いた。
「次は逃さない。西籤、残りのクローンも見つけ出すぞ」
羽坂たちは再び武器を構え、異常な敵との戦いに備える。それぞれの心には、クローンたちの正体への疑念が渦巻いていたが、戦う意志はなお揺るがなかった。
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