第41話

「花嫁様、もっと少し新郎様に近寄ってください!」


 カメラマンに指示されて一葉はぎこちなく保胤に近寄る。


「お姫様抱っこのポーズでもします?」

「いいですいいです普通がいいです!!」


 保胤の提案を全力で否定する。それも西洋風でいいですねぇ!なんてカメラマンはノリノリだったが一葉は聞こえないふりをした。


 無事に滞りなく式をとり終え、最後に緒方家の庭で記念写真を撮ることとなった。参列者が少ないこともあり、養父母の慶一郎と玲子も当たり前のように望まず、撮影は夫婦だけだった。


「あの……あとで三上さんと一緒に撮りたいのですがいいですか?」

「もちろんです。彼女も喜びます」


 カメラマンが色んな角度から自分たちを撮影している。保胤との距離が近くて、一葉はなんとなくそわそわしてしまう。


「花嫁様、笑顔笑顔!」なんて指示を受け、ぎぎぎっと広角を上げる。


(笑顔……笑顔ね……)


 呪文のように唱えながらなんとか要望に応えようと頑張る。ぎこちない一葉の笑顔に隣の立つ保胤が苦笑する。


「ふふっ、その嫌そうな顔いいですね」

「もう、笑わないでくださいよ! いや、笑わなきゃ笑わなきゃ……」


 漫才の掛け合いのような会話をしながら二人は素直に撮られ続けた。


「一葉さん、綺麗です」


 突然、保胤が一葉を褒めた。


「えっ!? あ、あ、あ、ありがとうございます……保胤さんも、その、お着物素敵です」

「ありがとうございます」

「そうだ……着付をしてくださった呉服店の女将さんから聞きしました。この髪型、保胤さんが地毛が活かせるように出来ないかと相談してくださったみたいですね……色々とお気遣いいただきありがとうございます」


 一葉は自分の襟足に手をやり、角隠しの下で結い上げた髪を保胤に見せる。自分の知らないところで色々と配慮してくれていたことについて、素直に礼を言った。


「……だって、僕のせいなのでしょう?」

「えっ?」

「あなたのお父上から聞きました。僕のせいで髪の毛を切ったと」

「あ……ああ。髪の短い女性が保胤さんのお好みだと聞いたので。でも、自分で決めたことです。あなたのせいではありません」


 結い上げられた襟足に保胤の手が触れる。


「何も知らず、あなたに酷いことを言いました」

「酷いこと?」


 それなら沢山ありすぎるけど……と、一葉は心の中で思いながら保胤に言われたことを思い出そうとした。


「ほら、美津越であなたが髪飾りを見ていた時。忘れちゃいましたか?」

「……あ!」


 ――髪なんてまた伸ばせばいいじゃないですか


 母が身につけていたものとよく似た、束髪用の髪飾り。それは髪の短い一葉には不要なもの。いらないと断ったのに保胤はまた伸ばせばいいと簡単に言った。


「忘れては……いません……」


 あの日、保胤の言葉に深く傷つき思わず美津越の化粧室へ逃げた。


「僕のせいで髪を切らせていたのに酷いことを言って泣かせてしまって申し訳なく思っているんです」


 化粧室から保胤の待つ部屋へと戻った時、一葉の目が赤く腫れていることに保胤は気付いていた。


「もう気になさらないで。私こそあんなことで泣いたりして困らせてごめんなさい」


 一葉はこれ以上この話をしたくないと思った。保胤がこれから何を言おうとしているのか分かったからだ。


(それを言われたら私は何も言えなくなる)


「どんな思いであなたが髪を切ったのかも知らず、無神経でした。知らなかったとはいえ許してください」


 保胤は素直に謝罪をした。深く頭を下げる彼のつむじをみて、一葉は苦笑した。ああ、やっぱりこうなるのかと。


「……保胤さんはずるいです」

「えっ?」


 保胤は顔を上げる。


「あなたのような方にそんな風に素直に頭を下げられたら私は許すしかないもの。どんなに傷ついていても、どんなに悲しくても、私は忘れなきゃいけなくなります」

「一葉さん……僕そんなつもりは……」

「言ったでしょう? 髪を切ったのは自分で決めたことです。あなたに少しでも好かれたくて自分で切ったの。決してあなたのせいではありません。だから、もう私に謝ったりしないで」


 困ったように笑って、この話はこれでおしまいとばかり一葉は保胤から顔を背けてカメラに集中する。


(ずるいのは……どっちかしら)


 母が持っていたのと良く似た髪飾り。本当に母に良く似合っていた。

 自分には到底似合わない。

 伸ばしたってあの髪飾りを着ける資格なんて、もうない。


 髪の長さだけじゃない。随分と色んなことが変わってしまったと一葉は思った。取り返しがつかないほどに。何もかもが。


「……じゃあ許さないで」


 保胤は一葉の手を強く握る。


「これから僕があなたにすること、全て残らず覚えておいてください」

「あ……あの……?」


 握られた手に力が込められる。保胤の顔をみると、眉を寄せ長いまつげが切なげに揺れていた。


「あなたに忘れられることの方が僕は辛い」

「保胤さん……い……痛い……ッ」


 逃がさないとばかりに握った手にぎゅうぅ……と力が籠る。痛みで一葉の顔が歪む。


「次は三上さんも一緒に撮影しましょう! 場所の移動をお願いします!」


 カメラマンが近づいてくるのを察して、思わず一葉は保胤の手を思いっきり振りほどいた。


「は、はい……!」


 保胤は一葉に声を掛けることもなくカメラマンの誘導に従って歩き始めていた。じんじんと痛む手をさすりながら、一葉はその背中について行った。


「うう……一葉様……本当にお綺麗です……! 保胤様も本当に良かったですね……! 三上は本当に本当に嬉しいです……!」

「み、三上さん……もう泣かないでください、ね?」


 二人の晴れ姿に感極まり、涙を流す三上の背中を一葉は背後からゆっくりさすった。保胤と一葉の間に椅子を置き、その椅子に三上が座っている。


「喜んでくれるのは嬉しいけれど、それ以上泣いたら写真に泣き顔しか残りませんよ?」

「そ、そうでございますわね……申し訳ありません……ぐずっ……」


 保胤からも促され、三上はハンカチで涙を拭い顔を上げる。


「大丈夫そうですかねぇー? 撮りますよー!」


 ついさっきまで泣いていたから目元は赤くなっていたが、カメラに向けて三上は笑った。その笑顔があまりにも美しくて一葉は胸がいっぱいになった。


(三上さんありがとう……ごめんなさい……)


 偽りとはいえ、これほど自分たちの結婚を祝福してくれているのは三上ただ一人だけだ。彼女を騙している罪悪感はぬぐえなかったが、それでもこんな風に心から祝福してくれることがありがたかった。


 ふと、隣に立つ保胤を見ると優しいまなざしで三上を見ていた。保胤もまた、一葉と同じ気持ちだったのだろう。


 一葉の実の父と母はこの場にはいない。

 保胤の父親もまた海外で欠席。

 養父母の慶一郎と玲子は緒方家を陥れるためだけが目的だ。

 政略結婚という偽りの愛を誓った結婚式。


 ただ、それでも。


「こちらで撮影は全て終了です! この度は本当におめでとうございます!」

「おめでとうございます、保胤様、一葉様」


 三上やカメラマンから祝福の言葉を掛けられ、保胤と一葉は目を合わせる。お互い少し気まずそうに、けれどもはたから見れば完璧なほど幸せそうに笑った。

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