第34話
「あなたが紅茶が好きだと聞いてね。だけど、家にある茶葉だと僕に遠慮して飲まないじゃないかと思って。あなたが自由に飲めるようにセレクトしてみたんだ。好みの茶葉だといいんだけど」
「ダージリン大好きです……! そんなに飲む機会はありませんでしたが……しかもこれ……ウバまでありますよ!?」
「あ、セイロンティー飲んだことある? スリランカのお茶は僕が好きでさ、一葉さんにもどうかなって思ったんだけど」
「す、好きです! 大好きです!」
「ふ……大好きか。それは良かった」
保胤はほっとしたように目元がゆるむ。
「このカップとソーサ―もすごく素敵です……」
一葉はテーブルの上に上段部分を置いて、下の段のティーカップをそっと手に取った。白磁に金のふちどりが施されたカップは上品な佇まいだが、不思議なほど手馴染みが良かった。まるで一葉が持つことを想定されて作られたかのようにしっくりとくる。
「お揃いにしたくて二客にしたんだ。結婚を機にあなたと同じものを持ちたくてね」
その言葉に一葉は胸がきゅっと苦しくなった。保胤の細やかな気遣い。とても嬉しい。なのに、切なくてたまらない気持ちだった。
「一葉さん? どうかしましたか? まだ体調が悪い?」
正面に座っていた保胤はソファから立ち上がり、一葉の隣に移動した。心配そうにそっと彼女の背中をさする。
「私……こんなに良くしてもらっても……あなたに何も返せてません……」
「僕が好きでやっていることだ。何も気にすることはない」
「でも……」
「いいんだ。気に入ってくれて良かったよ」
「気に入るどころじゃないです……すごく……すごく嬉しいです!」
一葉は胸がいっぱいになりながら何度も保胤に礼を言った。
「私、生まれて初めてです。自分のティーカップを持つなんて……」
父である定信が紅茶を淹れる時はいつも湯呑で飲んでいた。時々、特別な紅茶を飲む時だけはティーカップに注いでくれたが、それは父と母のものだった。茶葉も白磁のカップも高級品。いつか一葉専用のものを買おうと話してくれていたのを思い出す。
「そうなの? 一葉さんは紅茶の淹れ方も上手だし茶葉にも詳しいからてっきりご実家で茶器も色々とお持ちなのだと思っていました」
「あ……ええと、頂き物の紅茶を時々飲むくらいでカップまでは……」
嘘をついた。喜多治家に来てからは紅茶など飲んだことなどない。
「そうなんだ。君のお父上は紅茶をあまり嗜まれる方ではなさそうだものね。茶葉の違いもあまりご存じではなさそうだったし」
「……ふふ」
先ほど保胤に白米と炊き込みご飯ぐらい違うと突っ込まれていた慶一郎を思い出し、思わず笑みが溢れた。
「……保胤さん、私もあなたに何か出来ることはありませんか? そんなにお金はないけれど私もお返しがしたいです」
「気にしなくていいんだよ」
「でも、こんなに沢山私ばかり頂いてばかりでは申し訳が立ちません……私もあなたに何か差し上げたいです」
緒方商会の重役である保胤に自分が差し出せるものなどないかもしれない。それでも何か感謝の気持ちで返したかった。
「本当? 嬉しいな。何でもいいんですか?」
「う……あまり高価なものは……」
言ったものの少し怖気づく。
「ああでもその前に! 僕から見せたいものがあるって言ったでしょ?」
「えっ? このティーセットのことじゃないんですか?」
「これはあげたいもの。見せたいものは別です。ね、手のひらを出して目をつぶって」
一葉は言われた通り、手を差し出し目をつぶった。
「なんか緊張しますね……何ですか?」
「動かないでくださいよ? 見た瞬間ビックリして飛んでいってしまうかも」
「蛙とかはやめてくださいね……?」
「さあ、どうかな?」
「ふふ……まだですか?」
保胤の冗談に笑いながらしばらく待っていたがいつまでも経っても何も置かれない。
「あの……保胤さんまだですか?」
無言のまま、保胤にそっと手を握られると何か小さなものが掌に置かれた。
「目を開けてください」
一葉は目を開けると、先ほどの思いがけない贈り物とは違い見慣れたものが目に入った。それは一葉がずっと探し求めていたもの。
「……これはあなたのものですね?」
一葉の盗聴器だった。
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