第32話
「……そうだ。僕からも最後に一つお聞きしたいことがあります」
「ははッ! 最後と言わずにいつでも何でも聞いてくれ」
重苦しい雰囲気を払しょくしようと慶一郎が好意的な態度を見せる。
「ありがとうございます。それではお聞きします」
保胤も態度を軟化させて礼を言う。
しかし、次の瞬間。
先ほど仕事の話した時とは比べ物にならないほど冷徹な顔で慶一郎を見た。
「一葉さんの髪は、何故あれほど短くなったのですか?」
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一葉が台所で片付けをしている(ふり)をしていたら、応接室に来るよう呼ばれた。部屋に慶一郎と部屋で2人きり。
「保胤の情報の方はどうだ? 何か掴めているか?」
「あ……いえ……まだ何も」
慶一郎の眉がピクリと上がる。
「お前はこの家に来て今日で何日目だ?」
「え、えーっと……」
「四日目だ。四日も経っていてまだ何も掴んでいないだと……?」
慶一郎は明らかに苛立っていた。先ほど保胤との会話で交渉がうまくいかなかったことが原因だろう。
「も、申し訳ありません……」
「明日まで何か掴んで私に報告しろ」
「あ、明日!? 明日は婚礼の日ですよ!? そんな時間どこに――」
「……お前は自分の任務が何か分かっていないのか?」
慶一郎の目が一層冷たく一葉を射貫く。
「それは……分かっています……ですが流石に明日は……」
「ならば今すぐうちへ帰ってこい。お前には別の仕事を与える」
「えっ……!?」
「私が気付いていないとでも思っているのか? お前も私たちの会話を聞いていただろう」
ぎくり、としたがそれもそうかと一葉はどこかで納得した。諜報稼業をしている喜多治家の当主がこの部屋に仕掛けられた盗聴器に気付かないはずがない。
「あの様子じゃ保胤は喜多治家とは仕事をする気はないだろう。分かっていたことだが、やはり私情では動かない男だった」
歯を食いしばり、慶一郎の眉間の皺はますます深くなる。
「何よりあの男……完全に私を小物扱いしていた……」
ただならぬ慶一郎の表情に一葉は背筋が凍った。
(まずいわ……このままじゃこの男が何をしでかすか……保胤さんに危険が及ぶかもしれない……)
慶一郎はこれまでも自分を見くびってきた人間や自分を裏切った諜報員を陰で抹消してきた。今はまだ保胤の利用価値を天秤にかけて堪えているようだが、利用不可と判断すれば今回の屈辱に対して必ず何かしらの復讐をするはずだ。
「お前も使いモノにならないなら他の手段を考える」
「お、お待ちください……! 分かりました……! 必ず明日何かしらの情報を掴んでご報告いたします! 製鉄所建設に難色を示しているのなら……その理由を探ってみます!」
「出来なかったらどうなるか……分かっているのだろうな。お前もお前の両親もだ」
「……ッ!」
ドアをノックする音が部屋に響く。
「一葉様、着付の先生がいらっしゃいました!」
ドア越しで三上の声がした。
「は……はい! ただいま!」
「……フン。今日のところは帰る。分かったら報告しろ」
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「明日の準備で忙しいところ突然悪かったね。これで失礼するよ」
「いえ。何のお構いも出来ず申し訳ありません。明日はどうぞよろしくお願いします」
三上、一葉と共に保胤が慶一郎を見送る。広い正面玄関を出ると、門前で喜多治家の車が待機していた。
「ここで構わないよ」
慶一郎は見送りを断った。
「一葉」
「は……はい!」
「明日の君のハレ姿、楽しみにしているよ」
そういって、慶一郎は正門へと続く長い道を歩いていく。一葉は唇をきゅっと結び、慶一郎が車に乗り込み、車が走り去るまで見つめ続けた。
「一葉さん」
「……」
「一葉さーん」
「は、はい!」
保胤の手がぶんぶんと自分の前で振られていることにようやく気付いて返事を返す。
「どうしました? 顔色が悪いようですが」
「あらら! 着付のお打ち合わせ後にいたしましょうか?」
保胤と三上が心配そうに一葉の顔を覗き込む。
「い、いいえ! 私は大丈夫です!」
「三上さん、悪いけれどそうしてもらえますか? もう振袖は準備出来ているのだし着付なら明日でも構いないでしょう」
「ええ。慣れてらっしゃる先生ですから何も問題ございませんわ!」
「大丈夫です……! 出来ますから……!」
「ここで倒れたら元も子とないですよ。ね、そうしましょう」
「は……はい」
「一葉さん、休憩がてら僕の部屋に来てくれませんか? あなたに見せたいものがあるんです」
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