第31話

 三上と共に紅茶を準備して、応接間に入る。保胤と慶一郎が向かい合うように座っていた。


「どうかね、保胤くん。うちの一葉は? 迷惑をかけていないかな?」

「迷惑だなんて。楽しく暮らしていますよ。ね、一葉さん」


 一葉が保胤の前に紅茶を置いたタイミングで尋ねる。自分に聞かれるとは思っていなかったため一葉は動揺して手が滑りそうになる。


「へっ!? あ、は、はい! ソウデスネ……?」

「なんで急にカタコトなんだ……保胤くんに迷惑を掛けていないか心配だよ。色々と至らない娘だろう?」


 一葉の返事に慶一郎が呆れる。


「彼女は家政婦さんではありませんから僕に迷惑を掛けても至らなくても問題ではありませんよ」

「そうか。仲良くやっているようなら私も安心したよ」

「一葉さん」

「は、はい!」

「お義父様と大事な話があるんだ。応接間には誰も通さないようにしてくれるかい?」

「かしこまりました」


 一葉は二人に頭を下げて、応接間を出る。扉を閉めた瞬間、急いで自分の部屋へと向かった。



『……いい香りだ。これはアールグレイかな?』

『いいえ、ダージリンですね。アールグレイはフレーバーティーですから全く別ものですよ、お義父さん』

『そ、そうか。いや、紅茶は飲みなれないものでなぁ』

『白米と炊き込みご飯ぐらい違いますよ、お義父さん』

「ぶはっ!」


 思わず吹き出して笑ってしまった。

 一葉は焦り顔できょろきょりと辺りを見回す。自分の部屋だから誰もいないはずだが、会話を盗み聞きしている手前後ろめたかった。


 急いで部屋に戻ると、トランクから盗聴器用受信機を取り出した。イヤホンマイクを耳に当てて、慶一郎と保胤の会話に耳を傾ける。


(約束もなく一体何しに来たのかしら……?)


 三上と一緒に紅茶の準備をしていた時、慶一郎は保胤と会う約束を事前にしていた訳ではなかったと聞いた。


(それに大事な話って……? 何か目的があるに違いないわ)



『いやしかしあれだな、保胤くんにお父さんと呼ばれる日がくるとは……なんだか感慨深いよ』

『一葉さんの婚前同居を早めていただき感謝します。しかし、彼女には知らせていなかったのですか? うちに来た時、日にちを間違えてしまったと大変驚かれていましたよ』


「えっ!?」


 緒方家に来た時、確かに嫁入りの日は来週だと言っていた。


(……保胤さんは知っていたの?)


『あ、ああ。日にちが数日早まった程度だからわざわざ伝える必要もないかと思ってな』


(さっさと追い出したかっただけなのに。よく言うわね。だけどどうしてわざわざ早めたりしたのかした……?)


『ご家族水入らずの時間を奪ってしまって申し訳なかったですね。僕も三上に伝えていなかったので色々と準備が揃っておらず、彼女には不自由な思いをさせてしまいました』

『いやいや、あの娘にそんな心配及ばんよ。緒方家の嫁になれるなんてそれだけで最上の幸せ。無論、君が私の息子になるだなんて夢のようだ。あの緒方商会の次期社長の君が私の息子になるとはなぁ』

『恐れ入ります』


(うーわ、あからさま……)


 一葉は慶一郎のご機嫌な声を聴いて、思わず“べぇ”と舌を出した。


『しかし、随分とあの子を気にかけてやってくれているみたいだな。うまくやっているようで私も安心したよ』

『ええ、まぁ』

『……それでだ、保胤くん。今日は例の件で相談に来たんだ。緒方商会が進めている製鉄所建設事業にうちも参画する話、考えてみてくれたかね』


 製鉄所建設……? なるほど。早速身内のよしみで仕事を請け負いたいって話か。


『社内で検討は進めています。数日中にはお返事が出来るのではないかと』

『そうか! いい返事を期待しているよ。製鉄技術は独逸ドイツ人技師から受けると聞いている。うちは最近は海外展開をしているから技師確保では何か役に立てるはずだ』

『……おや、その話はどなたから伺ったんです?』


 一葉は保胤の声色が変わったことに気付いた。

 それまでどこか飄々としていた口調に、真剣さが増す。


『あ、ああ。風の噂でな! ほら、うちも色んな会社と取引があるから色々と情報は耳に入ってくるんだよ』

『……そうですか』


(……きっと緒方商会に侵入させているうちの諜報員が掴んだんだわ)


『お義父さん』

『なんだね?』


 改まった様子で、保胤は慶一郎に語り掛ける。


『あらかじめお伝えしておきますが、製鉄所建設はまだ検討段階の計画に過ぎません。過去にも国内製鉄所はありましたが、失敗に終わっていることはご存じですか?』

『あ、ああ……まぁそれは……』

『火災による木炭の供給不足、技術不足による操業の不安定さ、工部省の鉄鉱石埋蔵量の見積もり甘さ。色々とリスクもあります。実際に操業停止と廃山が決定した製鉄所がありましたしね。本当にやるメリットがあるか、官民一体となって動けるかどうかも含めて議論がなされています。無論、最終的にやらないという判断になるか可能性もある』

『もちろん懸念点が多い事業だということは私も分かっているさ。だが、これは緒方商会にとって大きなチャンスであることは間違いないだろう?』

『御社にとっても、ね?』


(なんだか……いつもの保胤さんと違う……)


 言葉や声色はいつもの保胤だが、三上や自分への話し方とは異なり、どこか冷徹さを感じた。


『……否定はせんよ。業種は違えど私とて商売人だからね。君の会社から見れば小物だという自覚もしているが』

『緒方商会は取引する会社を会社の規模で選んではいませんよ。我々が求めるのはあくまで“cleanかどうか”です』

『……私は英語は不得手でね。どういう意味か教えてくれるか?』


 ごくり、と一葉は喉を鳴らした。

 保胤と慶一郎の間に流れる空気が重くなったことを、二人の声を聴いているだけで十分伝わってきた。


『……まあ、この話はおいおいだな。いい返事を期待しているよ』


 慶一郎が折れた態度を見せて、一葉はほっとした。


『最後に一葉と話して行きたいんだ。出来れば親子水入らずで話がしたいんだが……少し時間をいただいてもいいかね?』

『ええ、もちろんです』

「……!?」


 自分の名前が出て、一葉は慌てて受信機を外す。急いで一階へと降りて行った。


 だから、気付いていなかった。


 この時、保胤と慶一郎の会話にまだ続きがあったことを。

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