第25話

 扉をノックすると、すぐに鍵が開けられる音がした。


(部屋にいる間も鍵を掛けてるのね……)


 その用心深さに、よっぽどこの部屋に人の出入りを避けたい理由が隠されているのだろうと一葉は察した。


「やあ、一葉さん。どうぞ入って」

「し、失礼します」


 保胤は扉を開け、中へと一葉を促す。保胤が扉の前で紅茶を乗せたお盆を受け取り、最悪中へ入ることなく作戦が頓挫する可能性もあったがどうやら第一関門はクリアしたようだ。


「机の上に置いても大丈夫でしょうか?」

「はい、お願いします」


 一葉は机の端にティーカップを置き、ポットに入った紅茶を注いでいく。保胤は書斎の椅子に座り、その様子を眺める。


「おや」

「ど、どうかされましたか?」


 一葉は心臓が飛び跳ねた。まずい、もう何か異変を感じているのだろうか。


「三上さんが紅茶を淹れる時はいつもカップに注いだ状態で持ってきてくれていたんです。僕、猫舌なもので少し冷ましてから紅茶を飲むんですよ」

「あ……! そうとは知らず申し訳ありません……!」

「いえ、謝らないでください。本来はこうして飲む寸前に注ぐのが美味しい飲み方なのは存じています」


 恐縮しながら一葉はソーサ―を保胤の前に置いた。


「いい香りだな……」

「茶葉はアッサムにいたしました。ミルクも別でご用意しています」

「ありがとう。甘みのある紅茶が飲みたいと思っていたところだったんです」

「それは良かった……! あ、あと、こちらも!」


 焼き菓子の乗った小皿を紅茶の隣に置く。


「おや、マドレーヌ。久しぶりに食べます」

「ミルクティーにはバターをしっかり使ったお菓子が合うかと思いまして」

「へえ、一葉さん詳しいですね。僕、洋菓子大好きなんです。特にこのマドレーヌに目がなくってね」

「それは良かった……!」


 一葉は安堵の笑顔を向けた。


(よしよしよし。この調子よ。あとは食べてもらうだけ)


「人気の洋菓子店のマドレーヌなんです。買い求める人で連日行列が出来るぐらいの看板商品で、私も並んで買ってきちゃいました! 保胤さんのお口に合うといいのですが」

「へえ、そんなすごいマドレーヌなんですか?」

「はい! どうぞ召し上がってみてください!」

「ならば一葉さんも一緒に食べませんか?」

「はい?」


 保胤の言葉に一葉は素早く瞬きをしながら返事をした。


「折角2つあるのだから半分こしましょう」

「半分こ…………」

「行列に並んでまで買うなんて大変だったでしょう? そんなに美味しいマドレーヌ1人で食べるのは忍びない。あなたと一緒に食べたいです」

「…………い、いいえ。私は良く頂いているので大丈夫ですわ!」

「ええでも、なんだか僕だけじゃ気が引けちゃうなぁ」

「なんっにもお気になさらずに! どうぞどうぞどうぞ!」

「そうですかぁ? いや、でもなぁ……」


 保胤はマドレーヌを見つめるだけで全く手を伸ばさない。


(まずいまずいまずい……何とかさっさと食べてもらわないと!)


「ほら、もうすぐ夕餉の時間でしょう? お菓子2つも食べちゃったらご飯が食べられないかもしれないし」

「そんな可愛らしい胃袋されているとは思いませんよ? ほら、小ぶりですしこんなの大差ありませんって」

「バターって結構お腹に溜まるじゃないですか」


 埒のあかない会話に一葉はうんうんと頭を捻る。


(一応耐毒の訓練は受けているからいけるか……睡眠効果を打ち消す解毒剤も持ってきているし食べた後に急いで部屋を出れば問題ない……はず……!)


 一葉は腹をくくった。

 

「そ、そこまで……おっしゃってくださるのなら頂こうかしら……?」

「ええそうしましょう、そうしましょう。はい、どうぞ」


 保胤は待ってましたとばかりに、小皿を持って一葉の目の前に差し出した。

 一葉はマドレーヌをひとつ摘まんで保胤に会釈する。


「い、いただきます」


 と、言ったもののマドレーヌを持ったままじっとそれを凝視する。

 ちらっと保胤を見ると、マドレーヌの乗った小皿を置いてぬるくなった紅茶を飲んでいた。


(なに飲んでんのよ! 先にさっさと食べなさいよ……!!)


「ああこの紅茶、すごく美味しいです。一葉さん、淹れるのお上手ですねぇ」


 保胤は気に入った様子で紅茶を愉しんでいる。一葉が用意した小さなミルクピッチャーのミルクを注いで味変までして。


(駄目だ……もう覚悟を決めるしかない)


 一葉は目をつぶって保胤に気付かれない程度に軽く深呼吸をした。意を決して、手に持ったマドレーヌをひょいと口に運ぶ。なかばヤケクソ気味にもぐもぐと咀嚼した。


「ご、ごちそうさまでした! それでは失礼いたします!」


 お盆を胸に抱えて、急ぎ足で一葉は部屋を出ようとした。


 その時――

 

 ぐにゃりと視界が歪む。頭では部屋から出ようと足を動かしているつもりなのに、まどろむような感覚に囚われてうまく前に進まない。


(待って……いくら何でも効果が出るのが早すぎるわ……!)


 意識を手放さないように一葉はぎゅっと目をつぶって頭をぶんぶんと振った。とにかく一刻も早くこの部屋から出ようと必死に意識を集中させる。


 ドクンッと一葉の胸が跳ねる。


(あ……あれ……?)

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