第20話

「ごちそうさまでした」

「あら! もうお帰りですか? もっとゆっくりしてってくださいな!」

「今日は一葉さんを紹介しに来ただけだから。また寄らせてもらいます。次は雑煮も食べに」


 会計を済ませながら保胤は三善屋の女将と談笑する。


(保胤さん、なんだか嬉しそう)


 気心知れた店に自分を連れて来てくれたんだと思うと、一葉の顔も自然と綻んだ。


「一葉さんのお口にあったかしら……?」


 女将は心配そうに一葉に尋ねた。


「はい! とても美味しかったです! 大学芋のカリカリがもう最高で……!」


 良かったぁ! と女将の顔は破顔する。


「あれね、若い方に人気があるのよぉ! ご年配からは入れ歯に蜜がくっつくとか言われちゃうんだけど触感が変わって美味しいわよねぇ!」

「白玉のもちもちと相性抜群でした!」

「大学芋はアタシのアイデアなの! やっぱり甘味って味と触感のバランスが大事でしょ! あのね、次の新作も考えててね、やっぱり冬はい――」

「おい! いつまでくっちゃべってんだって! ったく……すいやせんね、旦那」


 店に入ってきた時と同じように店主が暖簾をあげて怒った。保胤と一葉は笑っていた。


 三善屋を出て、一葉と保胤は再び美津越に向かって歩く。行きは保胤の後ろをついて歩いたが、今度は隣に並んで歩いた。


「あの……ご馳走様でした」


 隣をちらりと伺うように、あんみつ代まで当たり前のように払ってくれた保胤に礼を言う。


「いえ。気に入っていただけたようで良かったです」


 マスク越しに保胤は一葉ににこりと微笑んだ。一葉はあまり保胤の顔が見れず視線を逸らす。


(あの傷……)


 初めて保胤の素顔を見た。


 一葉の唇についたクリームを指でぬぐい、自分の口に運んだ。マスクを軽く外して横を向いた状態だったから正面からではないが、確かに見た。


 保胤の右頬、切り傷のような跡。

 小鼻の下あたりからスパッと縦に切ったような形状で、それは顎下あたりまで伸びてぱっくりと開いていた。相当深く、長い傷だった。


(本当は見ちゃいけなかったんじゃないかしら……)


 一葉は傷が見えた瞬間にぱっと下を向いて黙々とあんみつを食べることに専念した。

 直感的に見てはいけないものだと判断したからだ。食べ終わった後も何も見てないふりをして傷のことには触れず会話を続けた。


 一葉が自分の傷を見たかどうか、保胤は気づいていないかもしれない。保胤もまた一葉に何も聞かなかった。



 美津越に戻り、車で自宅へと戻ると三上が笑顔で出迎えてくれた。

 一葉が三善屋のあんみつを食べに行ったと話すと、「保胤様があの店に誰かを連れていくなんて初めてですよ」と教えてくれた。


「僕は少し書斎で仕事をしています」


 一緒に二階に上がると、保胤は一葉にそう言って書斎室に向かう。


「は、はい。お疲れ様でございます」


 後ろ姿を見送る。思わず声をかけた。


「あ、あの!」

「ん?」

「今日は……ありがとうございました。色々と買ってくださったり……その……楽しかったです」

「僕の方こそ今日は付き合ってくれてありがとうございました。疲れていないですか? 身体の方は大丈夫?」

「えっ!? あ、ああ! は、はい! もうすっかり」

「それはなにより。次は、何でしょうね。“い”がつく果物」

「?」


 一瞬保胤が言っていることが分からなかったが、一葉はすぐさま三善屋の女将の言葉を思い出す。


「あ……! “苺”じゃないかしら? 冬の果物と言ったら」


 三善屋の季節のあんみつ。女将さん新作をもう考えていると言っていた。


「かもしれませんね。また一緒に確かめに行きましょう」

「……はい!」


 一葉も自分の部屋へ戻り、夕飯の準備までは休憩することにした。


「はぁ……」


 ばたりとベッドの家に仰向けで倒れ込む。ぼんやりと天井を見つめた。


(あの傷……いつ負ったものかしら。ケロイドの感じからして最近のものには見えなかったけれど)


 今日は一日色んなことがあった。


 日本橋の街並み。

 美津越の高級な品々。

 保胤と食べた三善のあんみつ。


 だけど、思い浮かぶのは保胤の傷跡のことばかり。


「保胤さん……痛かったかしら……」


 あんなに深い傷ちょっとやそっとでは出来ない。

 事故?

 それとも何か事件に巻き込まれたのだろうか。


「痛そうだったなぁ……」


 天井に向かって呟くと、一葉は何故か寂しい気持ちで一杯になった。

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