第19話
違うと否定しようと一葉は口を開いたがつぐんでしまった。
「……戸惑っているのは確かです」
保胤に対してもうすでに自分は幾つもの嘘をついている。喜多治家の諜報員としてこの家にやってきた。保胤の妻となり、彼の近くで過ごすのは全ては緒方商会の情報を得るためだ。父と母を助けるためならなんだってやる。それが本心だった。
だけど――
「今朝もお伝えしましたがあなたのことが嫌だとかそういうのではないんです……それは本当に……」
声が震える。自分自身、うまく説明できない戸惑いと迷い。一葉のそのまま黙り込み俯く。
「一葉さ……」
「おまたせしましたぁー!」
保胤が口を開いたと同時に、襖を開けて女将が部屋へと入ってきた。
一葉はぱっと顔を上げて女将を見る。漆塗りのお盆にクリームあんみつを乗せて、一葉と保胤の前にそれぞれ置いた。
「若旦那は桃の方が良かったかもしれないけど、勘弁してくださいね! でも、これも美味しいから! アタシの自信作! それじゃあごゆっくりどうぞー!」
そう言って女将は颯爽と部屋を出て行った。
「……おや、当たりましたね」
「えっ?」
一葉は保胤を見た。こっちと合図するように保胤は目線を下へと向ける。一葉はあんみつの入った器を見た。
白玉、あんこ、寒天、アイスクリーム。そして蜜がたっぷり絡まったサイコロ状の大学芋が乗っていた。
「ほんとだ……」
思わず一葉の顔がほころんだ。
「食べましょう」
「は、はい」
促されて一葉は匙を手に取りあんみつをすくう。寒天とあんこを一緒に口に運んだ。
「おいしい……」
ため息交じりの声を漏らす。
保胤の言う通り上品な甘さだった。ぷりっとした寒天の歯ごたえもいい。今度は白玉と大学芋を一緒にすくって食べる。白玉の柔らかさに大学芋のカリッとした触感がたまらない。
口元を緩めながら夢中であんみつを食べる一葉をしばらく眺め、保胤も匙を手に取り食べ始めた。
「ほんとだ。久しぶりに食べたけどやっぱりおいしいな」
嬉しそうな保胤の声。一葉は身体がじわりと温まるような感覚がした。ふたりはそれ以上は言葉を交わさず、黙々とクリームあんみつを食べた。
「なんかデートみたいですねぇ」
一足先に食べ終わった保胤がお茶を飲みながらしみじみ呟く。一葉は喉に白玉を詰まらせる。
「げほっ! ごほごほっ!」
「そんなに動揺しなくても。違います?」
慌ててお茶で流し込み、もう一度咳払いした。
「ち、違……! いや、違わなくはないですけれど!」
「それは良かった。僕はあなたが好きだけれど一緒にいて僕ばかりが嬉しいのはそれはそれで寂しいものですから」
ストレートな言い方に照れてしまう。この人は何の前触れもなく突拍子もないことをいうから困ってしまう。
「……保胤様って返答に困ることをおっしゃいますよね」
「そうですかね? ところで、その“保胤様”ってやめませんか? 夫婦になるのに様も変でしょう?」
「あ……はい……それもそうですわね」
「はは、あからさまに困った顔してる。夫婦なんて言われて心外?」
「だから違いますってば! しつこいですよ、保胤さん!」
揶揄われっぱなしではいられないと一葉は反撃しようとしたが、一葉の返しに保胤は何故か嬉しそうだった。
「あ」
「今度はなんです……?」
さすがにもう驚きませんよと思った瞬間、一葉の唇に保胤の指が触れた。
親指の腹できゅっきゅっと擦るような仕草をする。最後に、ふにと唇を軽く摘まれた。
「付いてる」
保胤は一葉の唇についたあんみつのクリームをふき取り、その指を自分の口に持っていく。そして、ちゅっと音を立てて吸った。
一葉はその仕草に釘付けとなった。この時初めて一葉は保胤の顔を見たからだ。
初めて見た。
保胤の顔についた、大きな傷跡を。
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