第18話:旦那様の素顔
日本橋から京橋までの丁度中間地点で保胤は路地へと入った。そして、
「いらっしゃいましー! あらぁ、若旦那!」
保胤が扉を開けるやいなや、恰幅のいい女性の店員がその姿を見て声をあげる。
「女将さん、ご無沙汰しています」
「ほんとですよぉ! もうとっくに桃の時期は終わっちゃったわ! あらやだ! そちらの可愛らしい方は?」
女将と呼ばれた女性は目を輝かせながら保胤の背後にいた一葉を見た。
「僕の婚約者です。喜多治一葉さ……」
「んまぁーーーーー!!」
保胤が一葉の名前を言い終わる前に女将は口元に手を当てて歓声を上げる。その声はまるで声楽者のように店内に響き渡り、店にいた客は一斉に保胤達の方を見た。
「おい! なにデカい声出してんだ! 旦那、すいやせんね……ほんとうちのやつが」
奥から白い作務衣を着た中年の男性が出てきた。どうやらここの主人のようだ。
「早く奥のお座敷へお通ししろってんだよ」
「あ、ああそうだったわ! 二重三重にびっくりしたもんだからさぁ!」
がはは! と元気よく笑いながら、女将は二人を奥へと案内した。
「ここはね、あんみつ屋です。最近はご無沙汰してしまっていたけれど日本橋を訪れた時は必ず立ち寄っているんです」
個室の座席に通され、一葉と保胤は向かい合う形で座った。保胤はお品書きを一葉に渡す。
「甘いものお好きなんですか?」
「そうですね。割と食べる方かもしれない。和菓子は得意な方ではなかったけれど、ここのは何故か食べられるんですよ。雑煮も出しているから軽食代わりに来たりね。一葉さんは甘いもの好きですか?」
「だ、大好きです」
「……ふ、大好きか。一葉さんは本当に正直ですね」
優しく微笑み返されて、顔には出さないけれど後ろめたさが募る。
正直なんて、既に大きな嘘をついている諜報員に向けられる言葉じゃない。一葉は保胤から目をそらし品書きを見た。
「保胤様のおすすめはありますか?」
「そうですねぇ……僕はこの季節のクリームあんみつかな。時季によって上に乗っている果物が変わるんです。僕は桃が好きで夏はよく食べていました」
「ああ、だからさっき」
「あいにく桃は終わってしまったようですね。今だと何かな。さつま芋かも」
「じゃあ、それにします」
「あなたは焼き芋もお好きですしね」
季節のクリームあんみつを2つ注文した。
「あの……」
「ん?」
マスクをずらし、器用に口元が見えないような角度でお茶をすする保胤に一葉は切り出した。
「先ほどは申し訳ありませんでした」
「髪飾りのこと?」
一葉の謝罪が何をさしているのか保胤はすぐに理解した。
「今日は私のために色々としてくださったのにあんな態度をとってしまってごめんなさ――」
「一葉さんってさ」
一葉の言葉を遮るように保胤は口を開いた。しかし、その言葉は続かない
「あの……?」
「……いや、やっぱりなんでもないです」
「な、なんですか?」
「えー?」
腕を組み、座椅子の背もたれに身体を預けながら目だけにやにやと笑っていた。
「気になります……! 最後までおっしゃってください」
「じゃあ、ひとつ。僕の質問に答えてください」
「はい! 何でも答えます!」
「さっきどうして泣いていたの?」
一葉は言葉に詰まる。
母との思い出。
そして、保胤の言葉に傷ついたから泣いていたとはとても言えなかった。
「僕と結婚するの、本当は嫌なんじゃないですか?」
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