第11話

 一葉はとう細工の椅子から立ち上がり、盗聴器をつける場所を探す。


 窓枠は……掃除の時に見つかるかもしれない。

 椅子の下も座り立ち上がりの頻度が高いと間違って外れてしまう危険がある。あまり人の目につかず、声の拾いやすい場所がいい。


「ここ良さそう」


 サンルームの壁に掛けられた大きな柱時計が目に入った。手を伸ばしてねじを回し、中を開ける。カチコチと規則正しく動く針を手で止めて、中に盗聴器を仕掛けた。


「……!!」


 突然、夜更けのサンルームに光が入る。一葉は眩しくて手で目元を覆ったが、その光はすぐに消え、館の正面玄関の方へと移動した。


「やばい……!」

 

 保胤が帰ってきたのだ。

 サンルームに一瞬差し込んだ光は送迎車のライトだと気付き、一葉は慌てて移動する。


「やばいやばいやばい……!!」


 ここからじゃ二階の自室に戻るのは間に合わない。

 どうしよう、どうしよう。勝手に家の中を動き回っていたと知られたら保胤にますます怪しまれてしまう。初日から失敗したりしたら洒落にならない。


 ガチャリという玄関を開く音が一葉の耳に聞こえてきた。


「……」


 保胤が玄関を開けて二階の自室へ戻ろうとした時、ふと違和感を感じた。途中まで上がった階段を再び降り、その正体の元を辿るようにあたりを見渡す。微かに聞こえる物音とぼんやり浮かぶ光の方角へ足を向ける。


「おかえりなさいませ」

「……何をなさっているんです?」


 正体の先にいたのは一葉だった。寝巻姿で鍋をかき混ぜている。


「お帰りの車が見えたのでお夜食のご用意を」

「寝ていなかったのですか?」

「お味噌汁召し上がると聞いていましたので……差し出がましいことでしたら申し訳ありません」

「……いえ。わざわざありがとうございます」


 鞄を置いてきますと言って、保胤は出て行った。その後ろ姿を一葉は張り付いたような微笑みで見送る。保胤の姿が見えなくなると、くるりと身体を反転させて鍋に向き合う。


(……っぶなかったあぁ)


 一葉は盛大なため息をついた。うなだれながらお玉をぎゅっと強く握る。危機は脱したようだがまだ心臓がバクバクして痛い。


 臨機応変に危機を脱するのは諜報員の鉄則。そう教えられてきたが、こういうのは何度経験しても焦る。


(残りの盗聴器はまた今後にしよう……)


 焦りは禁物……禁物……と、まるで呪文のように心の中で唱えながら一葉はぐるぐると味噌汁の鍋をかき混ぜ続けた。







「いただきます」


 保胤は一葉の作った味噌汁を啜る。上着は部屋に置いてきたようで、ベストとワイシャツ姿だった。


「美味しいです」

「お口に合って良かったです」


 保胤の言葉が一葉はほっとした。しみじみと味噌汁の味を噛みしめている姿は昼間見た少し意地悪な保胤の態度とは違い、本当に心からそう思ってくれていることが伝わってくる。


 保胤はマスクを外してはいるがその素顔は一葉からは見えない。顔を深く下にして食事をしていたからだ。保胤のそんな動作から一葉もなんとなく彼の心情を察して、食事をしている姿は見ないように視線を外した。


(見られたくないのかもしれないわね……)


 相手に合わせて行動を変える、というのは諜報員の適正行動の一つだと慶一郎から教えられていた。


「僕のせいであなたをこんな時間まで待たせてしまって申し訳なかった。我が家に来たばかりできっとお疲れだろうに」


 食堂の壁に掛けられた時計を見ると12時を過ぎていた。いつの間にか日付が変わっていたようだ。


「いえ、なんだか私も眠れなくて起きていましたので。お気になさらないでください」

「……眠れませんか。まぁ、無理もありませんね。急な縁談でしたから心の準備も出来なかったでしょう」

「……」


 保胤の言葉にどう返していいか分からず一葉は一瞬黙り込む。しばらく考えた後、遠慮がちに口を開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る