第6話

 日程を間違えた!? 

 そんな馬鹿な!?


 慶一郎も玲子も使用人達も今日が嫁入りだと言わんばかりの振る舞いだった。全員、勘違いしていたのだろうか。


「あ……」 

 

 違う。間違えたんじゃない。これはわざとだ。一葉は給仕の女性たちの会話を思い出した。


――嫁入り先もさすがにびっくりするんじゃない? まぁ、早く出て行って欲しい気持ちは分かるけどさぁ

 

「……も、申し訳ありません。私ったら早く保胤様にお会いしたくて日取りを勘違いしたみたいです。出直して参ります」


 これ以上保胤に悪い印象を持たれるのは避けたかった。それに、わざと追い出されたからといって嫁入り前の家に世話になるわけにもいかない。

 一葉は保胤と三上に頭を下げて敷地から出ていこうとした。


「そ、そんな! お帰りならずとも……まだ何の準備も出来ておりませんが一葉様がよければこのままお越しくださっても構いませんよ!」


 三上が慌てて一葉を引き止める。


「ねえ、保胤様。よろしいですわよね?」

「一葉さんは焼き芋はお好きかな?」


 三上の言葉には返さず、木の枝で枯葉の山をほじくり返しながら保胤は一葉に尋ねた。この辺はもういいね、などとのんびり言いながらぶすりとさして芋を持ち上げる。


「え? えーと……はい、焼き芋は大好きですが……あの……?」

「……ふ、大好きか。正直なことはいいことだ」


 保胤は三上から新聞紙を受け取り、枝にさした焼き芋を包んだ。


「どうぞ」


 一葉は保胤から焼き芋を受け取った。ほかほかとした温かさに冷えた手先がじんわりと温まっていく。


「三上さん、一葉さんに何か飲み物を。水もなくては食べにくいだろうから」

「そうでございますね! ただいま!」


 三上は早足で屋敷へと戻っていった。その後ろ姿を見送りながら、一葉は隣に立つ保胤の様子を伺う。


「あの……何から何まで申し訳ありません……」

「いえいえ。あ、ソレ、熱いうちにどうぞ」


 手に持った焼き芋を食べるように促される。


「ああでも、慌てないで。喉に詰まらせて死んでしまうかもしれないからね」


 優しいがどこか引っかかる言い方だと一葉は思った。保胤は目だけ微笑んだが、口元が黒い布で覆われているため全ての表情までは分からない。



 緒方保胤おがたやすたね

 重工業で財を成した大商社・緒方商会の若き専務であり、創業者の息子ということで次期社長と言われている。だが、その正体はほとんど謎に包まれていた。


 なによりその風貌そのものが謎めいていた。顔半分を覆面で覆い、その素性を見たものは、極近しい者しかいないという。


 極度の人嫌い、対人恐怖症、人前に出せぬほどの醜男。


 いくつか彼にまつわる噂は流れていたが、その真偽はどれも定かではなかった。


 その人物は今、一葉の隣に座っている。


「そ、そうでございますね……では、いただきます」


 新聞紙をそっと開き、中の芋にかじりつく。


「あちち……んん、おいしい」

「そう、良かった」

「あ、私ばかりごめんなさい。保胤様は召し上がらないのですか?」

「お構いなく。僕は嫌いだから」

「えっ?」

「お嫌いなのに焼いていらしたの? どうして……?」

「さぁ? どうしてでしょう? 一葉さん分かりますか?」


 分かりません……という言葉は飲み込んだ。心の中では浮かんだがそれを口に出すのはなんだかまずい気がした。


「一葉さん、分からない? 本当に?」

「ええ? ええと……その……」


 なんだろう、この人。さっきから会話がかみ合ってない。かみ合っていないというか、腹の中を探られているような座りの悪さを感じる。


 覆面をしていて表情が読み取れないから余計にそう感じるのかもしれない。栗色の髪に、目じりは細長くシャープな雰囲気が余計にそのミステリアスさを醸し出していた。

 長身でがっしりとした筋肉質な体格はしているが着物から伸びる手足をみると一葉よりも白いのではないかというほど肌が白い。だが、か弱い印象は全くなくこうして隣に立ってみる威圧感に圧倒されそうになる。


「ねぇ、どうしてだと思う?」


 保胤は一葉の方へと身を乗り出した。しゃがみ込むように顔を近づけ、瞳の奥を覗き込む。吐息が掛かるほど距離を詰められ一葉は息を飲んだ。


「え、あ、あの、それは、その……!」

「うん?」

「も……燃やしたいほど………………嫌い、だから……?」

「……………………ぶはははははははっ!」


 長い沈黙の後の突然の爆笑に一葉の肩がびくりと跳ねる。


「さ、さすがの! 僕も! そこまでサディスティックじゃ……あはっ! あははは!」


 保胤はお腹を抱えて笑い転げる。一葉はぽかんと口を開けていた。


「あらあら、睦まじいこと~」


 三上がシルバーのトレイにお茶を準備して戻ってきた。


 睦まじい……? どこが……? 

 一葉は困惑したが、三上の登場にほっと胸を撫でおろした。


 その後、焼いた芋は三上も一緒に食べた。保胤は手を付けず、少し離れたところで煙草を吸っていた。マスクを外しているようだったが、離れていることもあり全貌までは見えない。


「保胤様は怒っていらっしゃるのでしょうか……突然押し掛けて来て……」


 並んで焼き芋を食べながら、一葉は恐る恐る三上に尋ねた。


「そんなことはございません! 保胤様は一葉様がいらっしゃる日をずっと待ち望んでいらっしゃいましたよ。こうして緒方家に来てくださることになり私も嬉しゅうございます」


 三上の言葉に、一葉は思わず涙ぐむ。他人からこんな優しい言葉をかけてもらえるなんていつぶりだろう。優しい。すでに大好き、三上さん。


 確かに今回の縁談は緒方家の方からの打診だったと慶一郎は言っていた。保胤が一葉を気に入っている、ぜひ縁談をと緒方家の使いの者が喜多治家へ訪れた。


 慶一郎はこの縁談を大層喜んだ。何故なら、この縁談こそが一葉を養子に向かい入れた最大の理由だったからだ。

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