第31話
コーヒーブレイク、あるいはアフタヌーンティー。どちらも美味しい飲み物と菓子を囲んで、楽しく、優雅に過ごす、お洒落なひと時。会話に花を咲かせて親交を深めるにはもってこいだ。
talk onで「~について話す」という意味になる。この on という前置詞は机の上のコーヒーから立ち上る湯気の上に身を乗り出すほどに、顔を近づけて会話ににめり込んでいることから来ている、なんて話もこの間、授業で聞いた気がする。
一方、今の僕たちは。
「そんなに難しい顔をしなくてもいいじゃないか、世良町君。せっかくのお茶だ、美味しくいただこう」
紅茶の香りがお気に召したのか、穏やかな表情でそう言う彼女。対照的に、横にはお茶にもケーキにも手を付けず、俯いたままの染谷。
その向かいの座席にはコーヒーカップと僕。
湯気の壁に遮られるような小さなため息をついて、僕は言葉を発した。
「で、どういうことなんだ」
「あれ、アイスブレイクはお嫌いかな?このお店についての話とかしたくないかい?」
「生憎と、今そんな話されても集中できそうにないんでな。本題に入ってくれるか」
彼女は小さく笑うと、ティーカップを静かに机の上に置く。
「そうだね……私から色々話してあげてもいいんだけど、君からの質問に答える方が過不足なくてよさそうだ。それでどうだい?」
質問という単語に、以前の雨の日、彼女との電話を思い出す。そもそも、面接でもないのに質問に答えるスタイルにしよう、などと言う彼女の思考に思うところはあるが、それは個性として受け止めよう。
それに、実際のところ、彼女に好き勝手に話されては、話を煙に巻かれかねない。
「2人の関係はなんだ?友人か?いつから?」
結局のところ、僕が一番気にしているのはこれだ。この2人の関係性は一体なんなのか。
「そうだね……」
「まて」
彼女が答えようとするのを手を上げて制止する。僕はそのまま視線を滑らせて染谷の方に向けた。
「染谷、教えてくれ。お前はこいつとどういう関係なんだ」
「え、わ、私?」
「ああ。こいつに先に喋らせるのはどうも嫌な予感がする」
「ひどい言い様だねぇ。まあ、良いけど」
小さく笑った後に、フォークをケーキに刺す。嬉々とした表情でそれを口に運び、「ん~!」と頬を押さえた。……なんか腹立つな。
「え、えっと……」
染谷は僕の方に視線を向けては逸らし、また向けては逸らしを繰り返す。もともと、学校でも口数が多い印象はなかったが……
「分かった。質問を変えよう」
どうもうまく答えられなさそうだったので、僕はより率直に訊くことにする。
「染谷。お前がいじめられている時、既にこいつと交流があったのか?」
「……」
僕の問いに、染谷は数秒固まった後、静かに首を縦に振った。
「ただ知ってる、という関係じゃなくて、少なくとも友人という認識であってるか?」
「……うん」
その答えを確認して僕は小さく息をつく。
「お前は、染谷がいじめに遭っていたこと、知ってたのか」
僕が彼女にそう問うと、彼女は一口紅茶を飲んでから、僕に視線を向けることなく言った。
「君はどう思うんだい?」
「答えは、イエス」
「その心は?」
「お前の言葉だ」
僕は彼女と初めて会った、あの木陰でのやり取りを思い出した。彼女に見惚れ、弁当を落とし、授業をさぼって隣に腰掛けた、ある日の午後。
「お前、僕に話題を振ったよな。『いじめについてどう思うか』って。普通に考えたら、提供する話題があれになるわけがない」
「へえ、世良町君は私のこと、普通だと思ってるんだぁ?」
揶揄う様な口調で言うが、彼女のペースには乗せられない。僕は鼻で笑って答える。
「まさか。だが、あの話の切り出し方にはそれなりの因果関係があったと考える方が自然だろ。最近、身の周りで見たとか、聞いたとか」
僕の考えはこう。染谷が僕たちのクラスでいじめられていた。クラス内で相談できるような相手のいない染谷は、この彼女へと助けを求めた。その後の彼女がどう動いたのかまでは分からない。だが、染谷から話を持ち掛けられていたとすれば……彼女はいじめのターゲットが染谷から僕へと移ったことに関しても知っていた可能性が高い。
だからこそ、あの場でいじめについての話を持ち出した。
「……うん。なるほど。君の問いに正式に答える前に、だ。加奈」
先ほどまで紅茶を飲み、穏やかな表情をしていた彼女はカップを机に置き、横にいる染谷を明確に見据えた。
「世良町君に言うべきことがあるだろ」
「……」
「緊張しなくていい。そもそも、君がしたいって言ったんじゃないか。私自身、それは正しいと思うし、君の口から言うべきことだと思うよ」
それは、普段の飄々とした、つかみどころのない声音や口調ではなく、子供を諭す優しい親の様だった。彼女は染谷にの背中をそっとさすり、緊張した様子の染谷をなだめる。
そうして数秒時間が経ってから。
「せ、世良町君」
染谷がようやく、僕をまっすぐに見据える。震える紅い唇と、潤んだ眼。必死に何かを伝えようとする、染谷のその先の言葉を、僕は呼吸を落ち着けて待つ。
染谷は、ゆっくりと口を開いた。
「まず、ご、ごごごめんなさい。せせ、世良っま、まち君がひ、ひどい目に合ってるのにわ、私っ。何も……なにっも……」
「染谷……」
僕の介入によって、いじめのターゲットが彼女から僕へと移った。染谷はそのことを気に病んでいる。だが、この件に関しては染谷は何も悪くない。誰が悪いかと言えば、彼女をいじめていた人に他ならないのだから。
大体、ロクな準備もせずに割り込んだ僕も良くなかった。クラスの友達はなんだかんだ僕を見捨てない、助けてくれるという甘い見通しが、僕は結構大人なのだというしょうもない自負が、最終的に僕自身を精神的に追い込んで、疲弊させた。
むしろ意外だったのは染谷の方。僕は自分がそうしたように染谷が僕を助けてくれるなんて、最初から考えていなかった。一度いじめられた子は、その恐怖から、もう一度その場に戻ろうなどと思うわけがない。当時はそこまで考えが回っていない突発的な行動だったが……今思えば、染谷自身ががいじめる側に加担してもおかしくないが、そうはならなかった。
そういえば、僕にターゲットが移動してから、染谷を教室で見かける機会が減ったような。
「そ、そそそそそれと、とととと、たたたす……」
先ほどよりもさらに、声の震えが増して、上手く聞き取れなくなる。
「落ち着け、加奈。すまない、世良町君。少し席を外すよ」
「あ、ああ」
彼女は染谷を抱えるようにして立ち上がると、そのまま店の奥の方へと消えていく。化粧室だろう。幸い店内に他の客はいなかったので、僕が染谷を泣かせたなどと、怪訝な目で見られることはなかった。
「やあ、すまないね。少し時間を貰うよ」
「……ああ」
彼女は染谷を化粧室に置いてきたようで、1人だけ戻ってきた。
「染谷は、いつもあんな感じなのか」
「半分は肯定、もう半分は違うかな」
「半分?」
気になる彼女の物言いに思わず言葉を復唱する。その僕の声を聞いて、彼女はティーカップを見つめながらそっと告げた。
「それに関しては、私が語るわけにはいかないよ」
「ならそんな気になる言い方するな」
「ふふ、会話の糸口を提供くらいしておかないとね」
糸口。それを聞いて、僕は一瞬忘れかけていたことを再び彼女に尋ねる。
「それで、お前は染谷といじめについてどこまで知ってたんだ」
先ほどと似たような質問。だが、彼女の返答はさっきとは違う。
「概ね全て。加奈がいじめられているという話。その手法や、頻度。相手。その場にいなくても全容が把握できるくらいには、加奈自身から聞いていた」
「……お前は、何もしなかったのか」
友人がそんな目に合っていると知って、こいつは行動を起こさなかったのか?……お前は、そんな奴なのか?
「結果的に見れば、そういうことになるね」
「……なんでだよ」
ぽつりと、声が漏れる。漏れてしまう。
「お前なら、お前だったら……何とかできたんじゃないか?」
いつも冷静で、頭が良い彼女なら。と期待をしてしまう。この感情を彼女に向けてもいいものかと、どこか迷いがあっても。一度口から出てしまったそれは、もう元には戻らない。
そんな葛藤に苛まれる僕に対して、彼女はただ一言。端的に告げた。
「かもね」
「だったら!!」
ガチャン!と食器の揺れる音。机を叩くようにして立ち上がった僕の怒りを汲み取ったかのような音。その音に続く、らしくないような強い、張り上げるような僕の声。
「なんで!!なんで、助けてやらなかったんだ……」
「これは、私個人の考えだけど」
カチャリ、とティーカップをソーサー置く音。カップから視線をあげれば、彼女が僕をまっすぐに見つめていた。
「私はいじめを肯定する気はない。紛れもなく、擁護できない、するべきではない犯罪だ。だけど、いじめられる方にも原因があるというのは、私も意見を同じくする」
「じゃあ、染谷がいじめられていたのはあいつ自身のせいだと!?」
「責任はない。だけど、理由の一端はあるだろうね」
「お前……!」
思わず胸ぐらをつかみたくなるが、それを何とか自制する。そしてその反動とばかりに声が大きくなる。
「少し落ち着いた方が良い。人が少ない時間を指定してはいるけれど、誰も来ないとは言い切れないからね」
「……」
どかっと、やや乱暴気味に席に座り直す。こいつは何を考えているか分からない。どこか達観したような態度で、周囲を観察して楽しむような、面白がるようなスタンスは……はっきり言って不快だ。最近はそのことを忘れていた。だが、やはり。初めて会った時に感じたこの感覚は、根底に存在している。
この、その場にいない全く無関係な第三者のような、部外者面する質の悪い神様のような。そんな得体のしれない「何か」が。そこにいる。
それは、やはり同じような態度で、紅茶を口に運ぶのだった。
木陰の彼女は~逃げた先で出会った不思議ちゃんと僕の話~ 雨菊小枝 @LotusF
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