第30話

 僕はお店で貰う紙袋には当たり外れがあると思っている。具体的に言うと、中にちょっと重たいものが入った紙袋で、持ち手部分が細っそい紙だったりすると最悪だ。少し歩いただけで指を切る気なのかと言うレベルで紐部分が食い込んでくる。あまりの痛さに右手、左手で持ち替えるのを何度も繰り返す始末だ。現代のコンプラ配慮した拷問である。


「いやぁ、買ったねえ。これで合宿は大丈夫だよ」


「僕が大丈夫じゃないんだけど、ちょっと手伝ってやろうとは思わないの?」


 買い込んだ大量の荷物はその全てを余すことなく僕が持っている。いや、荷物持ちで呼ばれているんだから僕が多めに持つことは文句がない。そもそも、妹に大量に荷物を持たせようなどとは毛頭考えていない。


 だが。だが!全く持たないというのは如何なものだろうか妹よ。


「え~、しょうがないなあ」


「しょうがなくないだろ。大体自分の部活のことだろうが」


「あー、もうっ。ちくちく煩いな、お兄。そんなんだからモテないんだよ」


 両手をあげて、やれやれと言う仕草をする由愛。こいつ、ホンマ、シバいたろうか。


「じゃあ休憩しよっか。実はこんなこともあろうかと、お兄の好きそうなカフェを見繕っていたのだよ!じゃーん!」


 由愛はそう言って自分のスマホ画面を見せてくる。そこにはレンガ造りの外観が印象的な、レトロチックなお店が映っていた。確かに僕は、レコードとか皮装丁の本とか好きだけど。この店好みな感じだけど。コレでここまでの重労働をチャラにしようとする我が妹の思考にちょっと物申したい。こいつはたぶん金持たせたらダメな奴だ。金で全部解決しようとする。


 小さくため息を1つついてから、僕は由愛に言った。


「その店ここから近いのか?」


「そこの路地入ってすぐだよ。あとちょっと頑張って!」


「……」


 まあ、いったん荷物置けるならいいか。


 僕は由愛に先導されて路地を進んでいく。2、3回ほど道を曲がると、さっきのスマホにあったような隠れ家的雰囲気のお店が姿を現した。


「おお、実際見ると趣深いねぇ。いとおかし」


 こいつ、学校の古文で習ったばっかなんだろうな、いとおかし。口語訳の趣深いって言葉は、なんか綺麗だし気持ちは分からないでもない。そして得てして、習いたての言葉を使いたくなるのが若者というものだ。使うことで言葉は定着するし、良いことではある。ただ、それでマウント取ったりはしないように世の中の学生には言っておきたい。あと、しつこいのもよろしくない。注意しよう。


 とはいえ、だ。確かに学校で習う用語と言うのは度々かっこいいものや、思わず口ずさみたくなるものが出てくる。中学の範囲だと、数学なら因数分解、音楽ならダ・カーポ、理科なら……ボルボックスとか?ボルボックスさんは中学の時の理科であった微生物人気投票では堂々の一位に輝いた存在である。ちなみに2位は1位と僅差でミジンコ。3位は少し差がついてミカヅキモだった。……あの理科担当の先生、なんで人気投票とかしたんだろうか。


 中でも、特に僕個人の印象が強いのは国語の例の人物。あの小説を授業で扱ってからというもの、教室のあちこちであのキャラが大量発生した。一体何匹クジャクマユユが砕かれたんだろう。


 少し懐かしい思いに浸っている僕を、由愛の言葉が引き戻す。


「よし、入ろっか」


 カランカラン、と心地よいベルを鳴らしながら入り口の押戸を開く。店内に入ってすぐ正面に見えるカウンターに、白髭を携えたダンディなおじさんが立っている。おじさんは、グラスを拭く手を止めてこちらを見た。


「いらっしゃい」


「2人なんですけど……」


「はい、大丈夫ですよ。お好きな席へどうぞ」


 立地、それと時間帯もあるんだろう。店内はあまり混んでいる雰囲気ではなく、落ち着いたジャズの音色が優しく空間を満たしている。だんだん指の皮膚や肉だけでなく骨まで痛くなってきたので、荷物を置ける広めの席に行かせてもらおう。


 そう思って歩みを進めようとしたその瞬間。


 テーブル席の1つに、見覚えのある顔が座っていた。


「あ」


「は?」


「……え?」


 まず僕をみとめて思わず声を発した女性。僕の良く知る、例のである。ほぼ同時に僕も疑問の声をあげた。


 少し遅れて声を発したのは、店内を歩く僕たちを視界に入れられた彼女とは反対の椅子に座っていた人物。すなわち僕たちに背を向けていた少女。


 ……あの日、いじめられていた同級生。名を、染谷加奈。


「せ、せせせ世良町君!?なんでここに!?」


 振り向き僕を見て、明らかに動揺した様子で声をあげる染谷。一方のは僕を見てわざとらしく頬杖をついて言った。


「やあ、奇遇だね世良町君。この店を選ぶなんてセンスあるね」


「なんでここに……いや、それはどうでもいい。何でお前と染谷が一緒にいるんだ」


「さて、どうしてだと思う?」


 相変わらず飄々とした態度で言う彼女。その言動に今日ばかりは少しイライラが募っていく。雰囲気からして、この2人が偶然ここであったとは考えにくい。つまり、2人は旧知の仲だ。


 だったら、例のいじめについてどこまで知ってる?他にも、聞きたいことが山ほど……


 ぐるぐると思考が混乱で渦巻いていく中、横からスッと、1人の影が前に出る。由愛だ。


「あの、もしかして兄のお知り合いの方でしょうか?」


「そうだよ。君は彼の妹かな?」


「はい。世良町由愛と言います」


「ご丁寧にどうも」


 由愛に続いて2人も自己紹介を済ませる。由愛は既に素ではなく、仮面をかぶった外行きモードに切り替わって無難な言葉選びで会話をしていた。


「兄さん、せっかくご友人と会われたのですし、少しゆっくりしていかれてはどうですか?私は先に帰っていますので」


 由愛は僕を見てそう言う。察しの良い妹のことだ、僕のさっきまでの対応から、僕が会話したいことくらいは分かっているはずだ。


 だが……


「いや。今日は由愛の手伝い出来てるんだ。話はまたの機会にするよ」


 この大量の荷物を持たせるわけにもいかないし、荷物がなくとも由愛だけ先に帰らせるわけにもいかない。僕の中で今日の優先事項は決まっているし、それは揺るがない。


「良いのですか?」


 首を傾げる由愛にコクリと頷きを返した後、僕は視線の先を変える。


「後日、改めて話す機会を設けてくれるよな?」


 彼女の方を見てそう言うと、僕の問いに不敵な笑みを浮かべて彼女は口を開いた。


「ふふ、良い御茶請けを考えておこう」

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